第15話 本命

「文ちゃんさぁ、正直嘘っしょ、彼氏いるとか」


「え」


 という声を漏らしてしまったのは僕だ。呆れ顔を浮かべている華乃を、文は真顔で見つめ返すだけだった。


 放課後の帰り道を、僕たち三人は並んで歩いていた。


 車社会で、歩行者なんて小中校生と高齢者くらいしかいない、夕方の生活道路。

 華乃と文が横に並び、その一歩後ろを僕が歩く。


 ちなみに紫子は、お昼のデスゲーム開催がちょっとした問題になったらしく、職員室で事情聴取されている。

 いや別に紫子が行った行為だけを純粋に抜き出したら、ただ先輩方のお弁当を見て回り、数人と交換っこしただけなんだけど。まぁ、うちのクラスの奴らがあんなに泣いて放心状態になっていれば、何事かあったと勘違いされてしまっても仕方ない。


「あ、やっぱじょーたは騙されちゃったんだ。さっすが童貞♪ だってさー、文ちゃん可愛いけど、女の子らしさがないもん。今まで全然男っ気もなかったしー、彼氏いるとか見栄張ってるだけってバレバレー」


 ため息をつきながらも、どこか得意げな様子の華乃。

 僕とのセフレ関係を隠すための嘘が、まさかあのチョロギャルに一瞬で見破られてしまうとは……。まぁ、今回はハプニング的に紫子の口から漏れてしまったから、というのもあるのだろうが。文がしっかり作戦を練った上で華乃を騙そうとしていれば、こうはならなかったはずだ。


「はぁ……参ったな、白石の鋭さには。女の勘というやつか」


 文も観念したかのように、肩を落としている。


「そ。文ちゃんなんかが百戦錬磨のあたしを欺こうだなんて百年早いんだから!」


「そのようだな。散々思い知ったよ。こんな恥をかかされるとは……白石に嘘なんてもう二度とつかない」


「うぷぷっ、わかればよろしい♪ 文ちゃんの名誉のためにも、クラスメイトとかあのメスガキ紫子には黙っといたげる」


 あ、やっぱチョロい。チョロギャルだった。あえて舐められることで、これからより騙しやすくする文の戦術だろ、これ。転んでもただでは起きないセフレ、さすがだ。


「しかし、私だって、そろそろ彼氏の一人くらい欲しい気持ちがあるんだよ」


「ふーん、でもそれも意外だったなー。あたしらの関係とか茶化してくるくせに、自分のそーゆーのには興味ないのかと思ってた」


「まさにそんな君達の関係のせいだろう。あんなイチャイチャを四年以上も間近で見せつけられてしまっては、私だってイチャイチャに憧れてしまうさ」


「ちょっ……! もうっ、またそーゆーさー! ほんっと勘弁してよ、文ちゃーん!」


 ほんっと嬉しそう。何で毎回、素で「ちょっ……!」ってできるんだろう。


「そーだなー、文ちゃん、顔はめちゃくちゃ可愛いしー、ポニテも似合ってるしー、制服とかも校則通りだけど綺麗めに着こなしてるしー、自信さえ持てば余裕だと思うけどなー。狙ってるっぽい男子もいっぱいいるし」


「おい、誰だそれ。教えろ」


「なんで突然じょーたが話入ってくんの?」


 やばい、つい……。

 文もチラッと振り向いてきた。真顔だったけど、目がちょっとジトッとしてた。


「自信なんて持てるわけがないだろう、私に。昼にも言ったが、私は白石や柚木と違って、スタイルも良くないしな。背も低いし足も短いし、脱いだら相当だらしないぞ?」


 しかし、すぐに前に向き直り、文は華乃の意識をまた会話に引き戻してくれる。

 こうやって過剰に自分を下げて、女としての存在を侮らせるというのも戦術の一つなのだ。そもそも僕はその絶妙なだらしなさが好きすぎて堪らないんだけど。ほんと都合の良い、というか、具合の良い体つきなのだ。


「ふーん、そっかそっかー」


 他の女子と違って「全然そんなことないのにー」とは言わないところが華乃らしい。


「じゃ、ダイエット教えたげよっか?」


 この教えたがりはむしろ男子のそれだ。


「遠慮しておく。食事制限なんて無理だ、私には。節制が出来ない女だからな」


 生理中は食欲湧いちゃうタイプだしな。まぁ、君が本当に節制できてないのは性欲の方だけど。僕ほどじゃないか。


「ダメダメだなぁ、文ちゃんは。意識が低いよ、女子として。食事制限と運動は基本中の基本だからね?」


「運動も苦手だ。走りたくない。汗っかきだしな」


「有酸素だけじゃないよ。長い目で見たら、むしろ筋トレの方が大事なの。ね、じょーた?」


 得意げな顔で僕に話を振ってくる華乃。


 ん? え? これ、まさか……!


 僕は精いっぱい何気なさを装って、華乃に答える。


「まぁ、そうだね。女子でも筋トレはやった方がいいよ。特にスクワットかな。あとベンチとか、懸垂もアシスト有りならできるだろうし」


「難波まで……簡単に言うがな、そもそも私のように根本的な運動神経がない人間は、そういう当たり前の動きも取れなかったりするんだよ。自分では出来ているつもりでも、周りからは笑われたりするんだ。中学の時とか、君達もそんな私の姿を見たことがあるはずだが」


「笑わないよ、僕は。笑わないし、君が求めるなら力になる」


 自然と言葉が出た。何かを装う必要なんてなかった。そんな僕の習性を知った上で、文は狙ってこのセリフを引き出してきたのかもしれない。

 まぁ、こんな力強く言う必要は全くなかったんだけど。ただのクラスメイトの女子に対してかける声の調子と言い回しじゃない。


 ミスったか……と思ったが、華乃はいぶかしむどころか、どこか嬉しそうに頬を綻ばせ、


「うん、いいじゃん、それ。実はあたしも、じょーたジムで筋トレとか教えてもらってんだよねー。あ、じょーたジムってのは、じょーたの家にあるガレージジムでー、じょーたもそこで鍛えてるんだけど、あたしもよく行っててさー、あたしが勝手にじょーたジムって呼んでただけなんだけど、今では澄佳ちゃんや幸太さんや千代姉ぇも普通にそう呼ぶようになってんだよねー。せっかくだし、文ちゃんもいっしょに、じょーたジムでやろーよー」


「……まぁ、白石がそこまで言うのであれば……お手柔らかに頼むぞ、難波」


「はあ。まぁ、うん。あまり無理せずにね、千里」


 首だけで軽く振り返った文と、さらっと言葉を交わす。


 お、おお……おおお……! マジか!

 自然な流れでガレージジムへの出入りが解禁されたぞ! 自然どころか、もはや華乃からの提案だった! これで堂々と文がうちに出入りできる! ここまで狙い通りか、文!


「じゃ、あたしはここでー。文ちゃん、ダイエットは、明日から、ではダメなんだかんね? 思い立った今日からやるってのがポイントなの。さっそく今から、じょーたジムデビューしてきちゃいなよ!」


「そうだな。柚木が難波にちょっかい掛けたりしていないかも、ついでに監視しておこう」


「文ちゃん! さすが文ちゃん!」


 上機嫌そうに手を振って僕らと別れていく華乃。今日もこれから、ばあちゃんちで華道だ。



「…………」

「…………」


 華乃の姿が見えなくなるまで――いや、あいつの目は僕たちより良いからプラスしてさらに十数秒歩いてから――僕は文の隣に進み出て、ようやく声をかける。


「文! やったな!」


「ああ、丈太の援護も素晴らしかったぞ。あんな熱い演技が出来たのだな、君にも」


「おい、わかってて言ってるだろ、茶化すなよ、もう」


「ん? もしかして、演技ではなかったのか?」


 こいつ、真顔で調子こきやがって。おしおきしてやるからな……!

 だが、それはまた今度の話だ。今は他にも言わなきゃいけないことがある。


「それと、お昼はごめん、文……僕のせいでまた迷惑かけた……」


「謝らないでくれ。あれは、私が悪い」


 文は前を見据えたまま、そう答える。横顔にはやはり、変化はない。いつも通り、人形のように整った小顔だ。


「いやいや、どう考えても文は被害者だろ。紫子の凶行もそうだけど、僕だって、文のおにぎりを紫子に発見されてしまったことを報告しておくべきだった。ホントごめん。その、タイミングがね」


 嘘だ。言い訳だ。


 すぐに履歴さえ消せばラインでだって伝えられたわけだし。それをしなかったのは、紫子のあのおにぎり論評がグサリと刺さってしまっていたからだった。あれほど手間暇かけてくれた逸品を冷凍庫に放り込んで存在すら忘れかけていたということを、文に知られたくなかったのだ。

 そりゃ、まぁ、都合の良い女扱いしてきたのは事実だし、文自身もそれを受け入れてくれているわけだけど……これはまた別の話だしな。何がどう別なのかは具体的に説明できないんだけど……。


 しかし、文は小さく首を横に振る。


「防ぐことが出来た被害だ。丈太に作ったものを、ほとんどそのまま詰めてきてしまうとはな。何て言うか……こんなことで優越感に浸りたかったわけではないのだが……誰に見せつけるわけでもないのだから、匂わせにもならないのにな」


「え。それは、どういう」


「いや、聞かなかったことにしてくれ。私が一人で猛省して、二度と同じ過ちを犯さなければそれで済む話だ。とにかく、白石のチョロさに慣れてしまったせいで、油断し過ぎていたわけだ。やはり柚木紫子を侮ってはいけない。むしろ、彼女に私を侮らせるために、全力を尽くしていかなければならないだろう」


 文らしくもなく、ほんの少しだけ、早口になっている気がする。


「文が自分を下げるアレね。いい作戦だとは思うけど、あまりやり過ぎるのはなぁ」


「ん? わざとらし過ぎたか?」


「演技は完ぺきだよ。……演技だよね?」


「必ずしも演技とは言えないな。百パーセントの嘘というのは見破られてしまうものだし、本当に思っていることを多少誇張しているだけだ。実際に私は、君の従妹や幼なじみのような美少女に、侮られるべき存在だろう?」


「それをやめろって言ってんだよ」


「言われていないが。積極的にやっていこうという話だったはずだが」


「そうだった。そうだったけど、ほら。何ていうかさぁ!」


 可愛い君が悪く言われてたらムカつくだろ、普通に! それを言ってるのが本人だとしたら、なおさらだ!


「むしろ丈太からも私を下に見るような発言や態度を取ってもらいたいのだが。それを彼女達に見せつければ、警戒心も解けるであろう?」


「それはちょっとお前の性癖も入ってるだろ、このド変態が」


「バレたか。もっと欲しい」


「お前ダイエットとか絶対禁止だからな。もっとだらしない体になれ。お腹ハムハムできなくなっちゃうだろ」


「あれ恥ずかしい。でも、ハムハムしてる丈太が可愛いから絶対やめないでほしい。私のだらしのないプニプニがなくならない程度に厳しく指導してほしい」


「任せろ。まぁ生理中だから下半身トレは避けるが。上半身のセッションだけにしような、今日は。うん」


「スパルタで頼む。しかし結局、柚木が同居していては、ジムでも出来ることは限られてしまうな。今日のように都合良く彼女が不在ということも多くはないだろう。今回の生理が終わるまでには、二人きりになれる場所を確保しておきたいところだな」


 確かに、それも今の僕らの目標の一つになるだろう。

 ちなみにさっきから僕のズボンはとてもモッコリしている。すれ違う小学生たちの八割がチラ見してくる。一割がブザーにそっと手を添えている。防犯教育が徹底されていることが伝わってきて感動してしまった。過疎化が進むこの町だけど、こんな風に子どもたちを大切にできているのなら、きっと未来は明るいはずだ。


「ところで丈太、一つ確認しておきたいのだが」


「九割」


「フル勃起だろう。何だその見栄。そうではなくてだな。君は結局、どちらが本命なんだ?」


「……それ聞くかな、普通」


「何割勃ちなのか聞くよりはよっぽど普通だと思うが」


「確かに」


「曖昧にせず、確認しておいた方が間違いがなくて済む」


「何だよ、間違いって」


「あの二人の修羅場を操っていくしても、思いもよらぬ失敗もあるかもしれないだろう? もちろんそんなことがないよう万全を期すつもりではあるが……万が一に備えて、優先順位をあらかじめ決めておきたい。白石か柚木、本命の女性との関係だけは絶対に壊さないと誓うよ」


「…………」


 文は至極当たり前のことかのように、淡々と言葉を紡ぐ。当たり前、なのだ。僕にとって、華乃か紫子、どちらかが本命であるということが。

 そりゃそうだ。そうじゃないのであれば、文とのセフレ関係を堂々と続ければいいだけなのだから。華乃や紫子の執着が怖いというのであれば、二人に嫌われるような言動を本気で取っていくべきなのだから。

 それをしようともしないのは……そういうことだから、としか言いようがない。


「選べないか、やはり」


 肩をすくめる文。呆れている、というようにも見えない。どちらかと言えば、微笑ましそうにすら見える。


「そりゃまぁ、華乃も紫子も魅力的すぎる女の子だからね」


「二股狙いというわけか。君らしいな」


「…………」


 二股て。何て言うか、何も言えねぇよ。何でそのセリフで、ずっと無表情だった君が微笑できるんだよ。めちゃくちゃ可愛いのに、何か心が痛むんだよ。勃起が収まっちゃっただろ。収まっていいのか。


「そういうんじゃなくてさ、決められないって、そんなの。知ってるだろ、僕の優柔不断さは」


「女々しいな。まぁ、丈太の気持ちが曖昧であるなら、致し方ない。セフレごときが君の心を急かしたりはしないよ」


「ごときって言うの禁止な。お前は僕のセフレだけど、セフレごときではないから」


「雄々しい……。ま、君の心が決まった時に教えてくれればいい。それまでは私が何とかしよう」


 軽い感じで言いやがって。僕の方はもし「本命」というものが決まるときが来たとしても、そんな軽い気持ちで口に出せないからな!



 僕のそんなモヤモヤした感情は、ガレージジムに着いた四分半後にはスッキリさせてもらっていた。軽い気持ちで口に出した。


 じゅぽじゅぽモミモミはむはむシコシコしまくって三回目を口に出したタイミングで、紫子のご機嫌な鼻歌が聞こえてきて――僕は顔を青ざめるのだった。文は赤い顔のまま口の中で精液を転がしていた。

 余裕か、こいつ。

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