第8話 ヤンデレジャブ

 い、いや、待て!


「ち、違うよ、紫子! う、浮気エッチ? 何だよ、それ! 向こうも今言ってただろ、僕らはただのクラスメイトだって! 今から彼氏と会うんだって! 聞こえてたんだろ、僕らの会話が!」


「…………うふふっ。そうでしたか、そんなお話をされていたんですねっ」


 パッと僕から離れて、柔らかく微笑む紫子。よかった、怖い目じゃなくなった。

 本当によかった。助かった。


 罠に、引っかかるところだった。


「な、何だよ、紫子。聞こえてなかったのかよ」


「聞こえるわけがないじゃないですか、電話の向こう側の声が。鎌をかけてみましたっ」


「マリア様は何を教えてきたんだ、お前たちに……」


「あっー! めっ! ですよ、兄さん、お前だなんて。奥さんのことはもっと大事にしてくださいっ」


 プンプンと頬を膨らませる紫子。あざと可愛い。


 とにかく、話は逸らせたようだ。


 ……こういうことなんだよな、文? お前は「従妹」という単語と僕の焦り具合のみでここまでの状況を把握し、近くに紫子が潜んでいる可能性まで考慮して、とっさに演技と、僕へのメッセージを残して……有能すぎる。


「で、そのただのクラスメイトさんとは具体的にどんなお話を? 兄さんはこんな時間にわざわざ電話をかけて、しかしその文さんとやらに『彼氏と会う』という理由で足蹴にされてしまったというわけですよね?」


 全然逸らせてなかった。


 そうだよな。さっきまであんな血走った目ぇしてた女をそう簡単に誤魔化せるわけもない。紫子は昔から、そんな都合の良い女の子ではなかった。僕にとって何かと都合の悪い従妹であった。


 ここからは、文に頼らず、僕の力で切り抜けなければならない。


 文の声は聞かれてなくても僕の声は拾われていたんだ。

 一体いつから僕の後ろに立っていたのかは謎だけど……いや、最悪の事態まで想定するべきだ。万が一にもボロを出すわけにはいかないんだから。

 僕の声は全部聞かれていた、その前提に立って、何とか誤魔化すしかない!


「いや、実はね、紫子。さっきの文ってクラスメイトに、君という可愛い従妹のことを自慢したことがあってさ、昔の写真を見せたこともあったわけだよ」


「あら、それはそれは」


 よし、何かちょっと嬉しそうだ。


「それで……僕もさっき思い出したんだけどさ、そういえば何日か前に、彼女が言っていてね。うちの新入生に、柚木という美少女がいるのを見たって。もしかして例の従妹なんじゃないかって。僕はそんなわけがないと思っていたから、適当に流しちゃったんだけどね」


「……なるほど、そういうことですか。確かに出来るだけ目立たないよう身辺調査を行っていましたが、この一週間強、普通に登校はしていましたからね」


「そう、そうなんだよ! だから、彼女の言っていた通りだったという報告をね!」


「そうでしたか。では、最後に兄さんが怒鳴っていたのは何故なのでしょうか。『誰だそいつ、会わせろ! ぶん殴ってやる!』とは? まさかとは思いますが、千里文が彼氏と会うことに対して激怒していたわけではありませんよね? おかしいですよね、千里文はただのクラスメイトのメスでしかないはずですのに」


「違う違う! その……」


「どうしました? 違うならハッキリお答えできるはずですが。何を言いよどんでいるのですか。怪しいです。妻のわたしに隠し事ですか? そんなのは――」


 またもやスーッと光を失っていく丸い瞳。怖すぎる。


「違うって! 言いづらいことなんだよ! 言いづらいってか、口にも出したくないことなんだ!」


「…………? と、いうと?」


「だから! ……あまりにも可愛い紫子を、狙ってる男子がいるって言うんだよ、千里が。既に彼氏がいるかもだとか、ふざけたこと抜かしやがってさ。それでブチ切れちゃったってわけだ。こんなこと君に知られるのは恥ずかしいし……何より、考えるだけで不快なんだよ、可愛い従妹にいやらしい目を向けられてるとかさぁ!」


「兄さん……ふっ、うふふっ! す、すみません、兄さんにとっては許せないことだったのでしょうけれど……少し、嬉しくなってしまいました。兄さんが、わたしのことでそんなに嫉妬心を燃やしてくれるだなんて……」


 ポッと顔を火照らせる紫子。瞳にも熱が戻ってくれている。


 やった……やったぞ、文……! 僕、一人でこのピンチを乗り切ったよ……!


「でも安心してください、兄さん。紫子は、兄さん以外のオスなどに見向きもしませんので。だから兄さんもまずはスマートフォンからメスの連絡先を消していくことから始めましょうか」


 ピンチは続くよ、どこまでも。


「そして明日、わたしの初めてのスマートフォンが届きますので、初めての連絡先として、どうか兄さんの指で兄さんのものをぶち込んでいただきたいのです……っ」


「うぇい」


 うぅ……そんな熱っぽい顔でしな垂れかかってこないで……僕の中でオカズが渋滞して玉突き事故起こしちゃってるんだよ! まぁ三回シコればいっか。


 くそぉ……絶対明日、文のことめちゃくちゃに抱いてやるからな、彼氏がいるだとかいう嘘つきやがって、あのドスケベ女がよぉ……!

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