第二話 新たな日常と幼馴染

彩花あやかが転生したのは、天央大陸てんおうたいりくと呼ばれる大きな大陸の北東に位置する大きな国・天宮国テンゴウグオといい、巫女の伝説が深く根付いており、彩花の生まれた家である星家シンジアは、その巫女の血を受け継ぐ名門だった。


転生した先の生活は、夢のようなものであった。彩花あやか星家シンジアの唯一の娘・星 蔡華シン・ツァイホアとして、優しい両親に大切に育てられ、何不自由ない日々を過ごしていたが、その生活の中には、どこか息苦しさも感じていた。


「今日はとてもいい天気だわ。母上、散歩に出てくるわね」


蔡華ツァイホアは微笑みながら庭に立っていた母、星 杏霞シン・シンシアに声をかけた。


母親は優美な城と薄い水色を重ねた、ゆったりとしたドレス、襦裙じゅくんを身にまとい、薄紫の帯が風にそっと揺れている。その落ち着いた色合いと柔らかな素材は、彼女の優雅さを一層引き立てていた。


杏霞シンシアは一見して年齢を感じさせないほど若々しく、上品な美しさを保ち続けている。


華娘ホアニャン、外は寒いわよ、風邪を引かないようにね」


母は穏やかな声で蔡華ツァイホアに言葉をかけた。華娘ホアニャンとは、蔡華ツァイホアの両親が彼女を呼ぶ時の独特の呼び名だった。かつて巫女として力を振るっていたその姿は、今やただ彼女を見守る静かな日々を象徴している。


蔡華ツァイホア自身も、柔らかな薄緑うすみどり襦裙じゅくんまとい、その上に軽やかな外套がいとうを羽織っていた。すそが風に揺れるたび、刺繍ししゅうされた花の模様が静かに浮かび上がる。


華美かびすぎず、しかし巫女の血を受け継ぐ者としての威厳いげんを感じさせる衣装だった。


「大丈夫。少し外の風に当たいだけだから」


蔡華ツァイホアは軽く返事をして、庭を抜け出した。広がる山の風景と鳥のさえずりが心地よく地よく耳に響き、気分を少しだけ楽にしてくれる。


その先には、大きな枝垂桜しだれざくらが静かに揺れている。毎年、春になると美しく咲き誇るその木の下は、蔡華ツァイホアにとって特別な場所だった。


彼女はその桜の木の下に立ち、しばらく空を見上げた。枝が風にそよぎ、淡い桜の花びらが舞い落ちる。


誰か近づいてくるのを感じた蔡華ツァイホアは、木の下にある大きな石に腰を下ろした。その石は長年の風雨で滑らかになっており、蔡華ツァイホアはその感触に少し安心感を覚えた。彼女はゆっくりと座り、風に揺れる桜を見つめた。


近づいてきたのは、一人の青年だった。


身長は175センチほど、筋肉質で引き締まった体、黒髪で淡い茶色の瞳――彼は二つ年上の幼馴、鳳 陽昇フェン・ヤンシェンだった。


彼の姿は、まるで物語の中に登場する英雄そのものだった。陽昇ヤンシェンは蒼い漢服かんふくを纏い、袖や裾には力強くも繊細せんさいな刺繍が施されている。


その刺繍は、鳳家フェンジアの象徴である鳳凰フェンホアンを模したもので、彼の家系が誇る伝統と名誉を感じさせるものだった。


服装のシンプルなデザインは、彼が修士しゅうしであることを物語っていた。特に、腰にいた剣と、腕に軽く装着された護腕ごわんは、彼の武術を収める者としての姿を象徴している。青年の装いは、華美すぎることなく、実用性を備えながらも威厳を保っていた。


長い黒髪は、頭の頂で一つに高く結ばれ、結い上げられた髪は、しっかりと束ねられた後、背中へと真っ直ぐに流れていく。腰まで届く長髪はまるで絹糸きぬいとのようになめらかで、少しの風にも柔らかに揺れている。


髪の根元には、家の象徴である鳳凰と同じあかい布製の髪紐かみひもが巻かれており、。飾り気のないシンプルなそのスタイルは、彼の落ち着きと気品を引き立てていた。


淡い茶色の瞳、その静かな表情には、幼馴染の蔡華ツァイホアに対する親しみと、彼女を守りたいという強い意志が混在していた。


小華シャオホア、散歩か?今日は少し早いな」


小華シャオホア蔡華ツァイホアの違う呼び名。中でも、親しい中だけに限るものだが、蔡華ツァイホアとしては小さいと下に見られているようで文句が言いたい呼び名ではあるが、既に呼ばれ慣れてしまったうえ、相手が直す気がないときた。


陽昇ヤンシェンは軽く微笑みながら彼女に近づいてきた。

その笑顔は、蔡華ツァイホアの胸に微かな温かさを灯す。


「ええ、風が気持ちよくて」


彼女も自然と微笑んだ。陽昇ヤンシェンとは幼少期からの付き合いだが、お互いに恋人未満の関係をずっと続けている。心地よい距離感にいるが、どこか煮え切らない。


――蔡華ツァイホアンは、そんな陽昇ヤンシェンとの微妙な関係に戸惑いながらも、安らぎを感じていた。


「ならば護衛致しますよ、


陽昇ヤンシェンが軽い冗談を交えて言う。蔡華ツァイホアは苦笑しながら返す。


「私はまだ巫女じゃないわよ」

「でも、星家シンジアの次代の巫女が君であることは変わらないだろう?いずれそうなる」

「まだ母上がいるわ」

「それでも、その時はすぐに来るさ......」


陽昇ヤンシェンの冗談交じりの言葉には、ほんの少しの本気が含まれていたが、蔡華は気づかないふりをした。


彼女は風に吹かれながら、そっと陽昇ヤンシェンに一歩近づく。


――しかし、決定的な一言が出ることはない。


陽昇ヤンシェンもまた、蔡華かのじょを見つめながらも、その距離を詰めることはなかった。


「……今日はいい天気ね」


蔡華ツァイホアが軽く言葉をつなぐ。陽昇ヤンシェンもそれに応じて、同じように風に身を任せる。


「……そうだな、絶好の散歩日和だ」


お互いの距離がわずかに縮まっているようで、そうでないような微妙な時間が流れる。


――陽昇ヤンシェンは、彼女が最近よく散歩に出かけていることに気づいていた。いつもなら気楽に交わす言葉も、今日の彩花にはどこか沈んだ色が見える。


(最近、何か……気になることがあるのか?)


陽昇ヤンシェンはそう考えたが、確信は持てない。それでも、蔡華ツァイホアの顔をじっと見つめ、思わず彼女の表情をうかがおうとした。


――その時、彼の手が自然に動き、蔡華の前髪を軽くすくい上げようとする。


「......大丈夫、気にしないで」


蔡華はその手を優しく押し返し、微笑んだ。けれども、その笑顔はどこか疲れたような、無理に作られたもののように感じられた。


陽昇ヤンシェンは、そのことに気づきながらも、あえて深く追及することはしなかった。


「そうか……ならいいんだ」


陽昇ヤンシェンはそれ以上深く聞くことはせず、ただ隣の地面に静かに座り、蔡華ツァイホアと同じようにそっと目を閉じ、そばで同じ風を感じながら、その心の動きを見守ることに決めた。

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