影に咲く天命の花 ー影と光の転生巫女 蔡華ー

小鳥遊ちよび

第一話 失われた日常と目覚め


雨が窓を叩きつけるように降る夜、冷たい蛍光灯の下、彩花あやかは静かにキーボードを叩いていた。


壁に掛けられた時計は夜の10時を過ぎていたが、彼女は一人、無言で残業を続けている。


彼女の目の前には、山のように積まれた未処理の案件が広がり、その数は減る気配すらない。


彩花は一つ、一つ、タスクを片付けながら、心の中でため息をついた。


「もうこんな時間か……」


彼女は手を止め、窓の外をぼんやりと見た。雨に滲む街の明かりが冷たく光り、風が強く吹き荒れているように感じる。


28歳、独身、彼氏なし。小売業の管理職として毎日長時間働き続けていたが、そこに喜びや達成感を感じることは少なかった。


どちらかといえば、圧迫感。常に何かに追われる毎日で、休日は疲れて何もする気が起きない。


「いつまで、こんな生活を続けなきゃいけないんだろう……」


彩花は一度手を止め、スマホを手に取った。


スマホのライブラリーには、彼女が逃げ込む唯一の世界が広がっている。


中華風の王朝を舞台にした小説や漫画が並び、その中で美男美女たちが織りなす非日常的なドラマが展開されている。


壮大な宮廷、権謀術数けんぼうじゅっすうに満ちた策略、美しい風景――そして、魅惑みわく的で完璧な美男美女が交錯こうさくするロマンスや戦いが彩られる世界。


そこには、彼女の現実とは違う、刺激的でで、そして幻想的な世界が広がっている。


はなやかな装束しょうぞくに身を包んだ英雄たちや、清麗せいれいな顔立ちの王妃や巫女たち――その輝かしい世界は、彩花にとって厳しい現実からの一時的な逃避場所であり、心の救いだった。


だが、今の彩花には、その世界に没頭する余裕すらない。


目の前にあるのは、ただ仕事、仕事、そしてまた仕事――。



――そして、一人ぼっち。



友人は、。家族も、


けど、今はいない。


代わりに手にしたのは何なのだろう?


――孤独だった。自由な孤独。金は酒と食事に生活費に消え、貯金など貯まるはずもない。自分でも思う。


あぁ、つくづく自分は頭が悪い人間だと......。


「こんな世界じゃなくて、もっと自由な世界があったら……」


コーヒーのおかわりをしようと彩花は席を立ち、デスクの隅に置かれたカップに手を伸ばした。


だが、その瞬間、体が思いのほか重く感じられた。


視界が揺れ、強烈な疲労感が押し寄せる。


「……何……これ……?」


急に強烈な疲労感が襲い、彼女は膝から崩れ落ちた。


空っぽのコップがカコン、カコンと自分の視界の中で床に転がる。


心臓が早鐘はやがねのように打ち、呼吸が浅くなる。パソコンの画面がぼやけ、視界が徐々に暗くなっていく。


(こんなところで、死ぬの…?まだ、やりたいこと、何も…)


意識が遠のく中、彩花は最後の力を振り絞って手を伸ばす。しかし、すでにその手は机の縁を掴むことすらできなかった。


静かに、そして何もかもが止まった――。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



(――ああ……)


意識が薄れていく中で、彩花あやかは何度もその瞬間を思い返していた。忙しすぎた日常、過労に倒れたあの日。それが彼女の最後だったはずだ。しかし、彼女はまだ意識を手放せないでいた。


次に目が覚めたとき、彩花は温かい感覚に包まれていた。


(……ここは……どこ?)


見覚えのない天井、淡い光が揺らめき、柔らかい声が耳元で響いている。しかし、その声が何を言っているのかはわからなかった。


(私、死んだはずじゃ……)


言葉を発することも、体を動かすこともできない――それどころか、自分の状態すらも把握できない状況にあった。


(――もしかして私、生まれ変わった?)


そう理解した時、彩花は自分が赤ん坊の体に生まれ変わっていることに気付いた。小さな手、小さな体、そして自分を優しく包み込む何か……。


それが母親なのかどうかもわからない。ただ、自分が新しい命を与えられたことだけが現実として感じられた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



――それから16年が経った。



彩花は星家シンジアの唯一の娘、蔡華ツァイホアとして霊山れいざんふもとにある豪華で立派な屋敷で暮らしていた。


この世界は、中華王朝風の風景が広がる神秘的な世界。


霊術れいじゅつ仙術せんじゅつという不思議な力を操り、武術や剣術にけた修士しゅうしと呼ばれる者が存在し、霊獣れいじゅう妖魔ようまっが存在する、摩訶不思議まかふしぎな場所。


――そう、彼女が愛した中華ファンタジーの世界に、彼女は転生した――。


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