第三話 家族と過ごす穏やかな日常。そして、運命


朝日が差し込む霊山れいざんふもと蔡華ツァイホアは庭の手入れをしながら、穏やかな時間を感じていた。


花の香りが風に乗ってただよい、遠くで鳥のさえずりが聞こえる。転生してから、この静かな日々が彼女にとって新しい日常となった。


庭は広く、蔡華ツァイホアは膝をついて花を丁寧に世話している。地面の草の感触が彼女の指先に伝わり、心が和らぐ瞬間だ。


華娘ホアニャン、朝食の時間よ」


母・杏霞シンシアの優しい声が屋敷の中から響いた。蔡華ツァイホアは立ち上がり、柔らかい笑みを浮かべながら庭を後にし、屋敷の中へと戻っていった。


屋敷の中は高い天井と広い廊下が広がり、古い木の床が足音に応じて優しく響く。蔡華ツァイホアが足早に食卓へ向かうと、すでに家族が集まっていた。


食卓には父の羅志ルオジー、母の杏霞シンシア、そして幼馴染おさななじみ陽昇ヤンシェンがすでに座っていた。


蔡華ツァイホアの父・羅志ルオジー星家シンジアの当主。彼は堂々とした姿勢で椅子に腰掛け、背筋はピンと伸び、威厳がある。


羅志ルオジーの長い髪は頭の頂で一つに高く結ばれていた。かんむりで押さえられたその結び目は、きっちりとまとまっており、整然としており、その髪の黒さは彼の瞳と同様に深く、相手の心を見透みすかすような鋭い眼差しを持っている。


服装は当主らしさを感じさせないシンプルな黒い漢服かんふくだが、袖や裾に施された星と月を象徴とする刺繍ししゅうは美しさと、力強さを感じさせる。


羅志ルオジー星家シンジア当主としても名高いが、修士としての強さにおいても有名であり、その存在感には肉体的にも、そして精神的な強さが滲み出ていた。


家族での食事は毎日のルーティンであり、特別なことではないが、その何気ない一瞬一瞬が蔡華ツァイホアにとってはかけがえのないものだった。


「今日もい天気だ。訓練にはうってつけの日だ」


羅志ルオジーかすかに笑みを浮かべながら言った。その厳格さの中に見える柔らかさに、蔡華ツァイホアは安心感を覚える。彼の表情がいつもより穏やかであることが、家族にとっても心地よい朝を感じさせた。


「本当に。山の方へ散歩にでも行きましょうか」


蔡華ツァイホアは母に提案し、杏霞シンシアも柔らかく頷く。


「そうね、たまには外でゆっくりするのもいいわね。陽昇ヤンシェンも一緒にどう?」

「もちろん、行きますよ」


陽昇ヤンシェン蔡華ツァイホアに笑顔を返しながら答えた。彼にはこの日常がどれほど大切かを理解しているかのように、優しい表情で蔡華ツァイホアを見つめていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



霊山の小道を、蔡華ツァイホア陽昇ヤンシェン杏霞シンシアの三人は穏やかな時間を過ごしながら歩いていた。


残念ながら羅志ルオジーは、執務のため共にはいない。


星家シンジアは、形式だけでなく、代々この土地を守り続けており、長い歴史の中でつちかわれた武術ぶじゅつ霊術れいじゅつ、珍しい仙術のどれをとっても一流であるため、他家たけの未来を担う若き英傑えいけつたちに稽古をつけたりなど多岐たきにわたる。


父の不在はよくあることだが、蔡華ツァイホアには少し寂しくも感じられた。


山道は緩やかに登り、風が心地よく頬を撫でる。木々が生い茂るこの場所は、蔡華ツァイホアにとって特別な場所で、自然の静かな息吹に包まれると、心が落ち着く。


蔡華ツァイホアは道端にある石に腰を下ろし、少し疲れた表情で一息ついた。


「母上、昔の話をしてくれる?」


蔡華ツァイホアが尋ねると、杏霞シンシアは微笑みながら頷いた。彼女もまた、娘の隣に座り、空を見上げた。


「昔、私もこの山でたくさんの訓練をしたのよ。武術、霊術れいじゅつ仙術せんじゅつを学び、巫女としての務めを果たすためにね――」


杏霞シンシアは優しく語りながら、少し遠くを見つめ、かつての日々を思い返しているようだった。


蔡華ツァイホアはその言葉に耳を傾けながら、まだ自分の未来に対する漠然ばくぜんとした不安を胸に抱いていた。


「巫女として……私は何もわからないけれど、いつか私も……」


蔡華ツァイホアは言葉を続けられなかった。彼女の胸には、前世では感じたことのない重圧が徐々に積み重なっていたからだ。


――かつては平和な時代に育ち、争いごとなどとは無縁の生活を送っていた。だが、この世界では、争いが日常的に、身近に起こりうる恐ろしい世界。それが、たまらく怖いのだ。


それでも蔡華ツァイホアは家の教えを忠実に守り続けてきた。新しい体は驚くほどの才能を秘めていた。武術に、霊術に、仙術――どれを取っても驚くべき力が宿っていたのだ。努力をすればするほど、その力が増していく。


本来、蔡華ツァイホアは運動が得意な性格ではなかった。前世では、体を動かすことが苦手で、むしろ読書や穏やかな時間を好んでいた。それなのに、この夢に見た世界で、自分が異能を扱えることに気づいてからは、訓練はもはや趣味の延長線であり、努力すら苦ではなかった。


しかし、いつからだろうか……その力が必要な「世界」なのだと自覚するたびに、彼女はその力が恐ろしく感じるようになった。


自分が磨いた技は、誰かの命を奪うためにあるのだとしたら――。


母はその娘の心の揺れに気づいたのか、優しく彼女の肩に手を置き、そっと微笑んだ。


華娘ホアニャン貴女あなたにはまだ時間があるわ。あせらずに、自分のペースで進んでいいのよ」


その声には、蔡華ツァイホアへの深い愛情と信頼が滲んでいた。杏霞シンシアの言葉は、少しばかり蔡華ツァイホアの不安を和らげたが、まだ心の奥に潜む迷いは消えない。


「それまで、母上が守りますからね――」


母の言葉が、心にしみるように優しく響いた。その瞬間、蔡華ツァイホアは少しだけ肩の力を抜き、母の肩に頭を預ける。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



その夜、星家シンジアの一室にて。


部屋は静かで、おごそかな空気がただよっている。部屋の中央に大きな木製のテーブルが置かれ、大人たちはそれを囲むように座っていた。


花梨木かりんぼくの木材を用いられたを床は、暖かみがあり、足音を包み込む。部屋全体が静寂に包まれていた。蔡華ツァイホアの父・羅志ルオジーは深い黒の礼服をまとい、頭を悩ませながらテーブルに手を置いている。


彼らの議題は、蔡華ツァイホアに運命を伝えるべきかどうかということだった。


蔡華ツァイホアには、いずれ巫女としての役割を果たしてもらわなければならない。しかし、その重責じゅうせきをあのこがまだ理解できるかどうか……」


羅志ルオジーが静かに話し始めると、全員が彼の言葉に耳を傾けた。陽昇ヤンシェンの父・仁輝レンフイもその場にいた。彼は黒い礼服を、妻・玲翠リンツイは蒼い礼服を纏い、夫婦共に深い表情で話し合いに参加している。陽昇ヤンシェンも父の隣に静かに座っていた。


蔡華ツァイホアはまだ幼いわ。今このタイミングで運命を伝えるのは、負担が大きすぎるんじゃないかしら」


杏霞シンシアは心配そうに夫・羅志ルオジーに意見を述べる。彼女の服装は日中とは異なり、落ち着いた色の夜用のほうを身に纏っていた。


「私はあの子に自由な人生を送ってほしいと思うわ。でも......蔡華ツァイホアが逃れられない運命があることも――」


母としての葛藤かっとうが、杏霞シンシアの顔に浮かんでいる。


蔡華ツァイホアが今のままでいるのは危険だ。影道教インダオジャオが動き出しているという情報もある。20年前に教主が変わってから動きが鳴りを潜めていたが、きな臭い。我々は早急にあの子の力を引き出すための訓練を始めるべきだ」


羅志ルオジーは強い口調で話し、テーブルに置いた手に力がこもる。重々しい空気が部屋全体に広がった。


「ただ、彼女に全てを伝える時は慎重に見計らわなければなりません」


陽昇ヤンシェンは静かに口を開き、その場の緊張を和らげようとするかのように言葉を選んだ。


「星 蔡華シン・ツァイホアが強く成長していくためには、真実を知る必要がありますが、しかし、急ぎすぎれば彼女がその重さに押しつぶされるかもしれません」


鳳 玲翠フェン・レンツイも息子の意見に同意し、静かに頷いた。


「そうね……陽昇ヤオシェンの言う通りだわ。私たちは星 蔡華シン・ツァイホアの運命を知っているけれど、それが彼女自身にとってどれだけの重荷になるのか、まだ計り知れない。まずは段階を踏んで真実を伝えるべきです」


玲翠リンツイの慎重な言葉が響き、夫・鳳 仁輝フェン・レンフイも同意の意を示す。


「確かに、我々が決めることではない。しかし、星 蔡華シン・ツァイホアが運命に巻き込まれるのは時間の問題だ。防ぐためには、準備を整えるしかない」


彼の言葉に、全員が黙り込んだ。


「まずはあの子に、少しずつ運命について話していきましょう。そして、彼女自身が受け入れる準備が整うまで、私たちが支えていけばいいわ」


杏霞シンシアの結論に全員が頷き、決意を固めた。蔡華ツァイホアの運命は避けられないが、家族として彼女を守り導くことができる。その覚悟が全員の心に刻まれた。

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