第四話 夕暮れに揺れる心

夕暮れの山道。風が強く吹き、木々の葉がさわさわと揺れる音があたりを包んでいた。陽が沈みかける空は淡いオレンジ色に染まり、蔡華ツァイホア陽昇ヤンシェンは並んで山道を歩いていた。何度も同じ道を歩いてきたが、今日はどこか特別な空気が漂っていた。


「なんだか、今日はいつもより風が冷たいわね」


蔡華ツァイホアは軽く肩をすくめて、ちらりと隣を歩く陽昇ヤンシェンを見た。彼は剣を腰に差し、いつものように凛々しい姿だったが、どこか言葉少なに緊張感を漂わせていた。最近、彼の態度や雰囲気がどこか変わってきたことに幼馴染は気づいていた。


「ああ、今日は風も強いし、冷たく感じるな」


彼は一歩前に出て、自然と蔡華ツァイホアを風から守るような位置に立つ。その姿は、かつての幼さを残した少年ではなく、今では本物の守護者としての威厳を感じさせるものだった。


(昔はこんなに気にしてくれなかったのに……)


蔡華ツァイホアは胸の奥でそう思い、少しだけむっとした。陽昇ヤンシェンが大人びてきて、ますます自分を「守るべき存在」として扱っていることに気づかされるたびに、複雑な感情が湧き上がる。


「いいのよ、これくらい。私だってもう子供じゃないんだから」


わざと元気な声を出し、彼女は陽昇ヤンシェンに近づく。彼は軽く振り返り、微笑みながら肩越しに言葉を返す。


「子供じゃないかもしれないけど、無理はするな。俺が守るって、お前のお父さんとお母さんに約束したんだからな」


陽昇ヤンシェンのその一言が蔡華ツァイホアの胸に深く響いた。彼が自分の両親に守ることを誓っていることは知っていたが、その重みを再び突きつけられる瞬間だった。


(私が守られる側だなんて……こんな状況、なんか悔しい)


蔡華ツァイホアは自分が大人として振る舞っていないことに気づき、軽く自分に苛立ちを覚えたが、それを表には出さず、あえて彼をからかうように声をかける。


「随分と偉そうになったわね。生意気よ」


蔡華ツァイホアは軽く陽昇ヤンシェンの肩を叩き、微笑んだ。だが、その裏では彼の成長に対する複雑な感情が心に渦巻いていた。


彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに小さく笑って返す。


「生意気?......それは小華シャオホアにだけは言われたくないな」

「何よ、それ。私が生意気だって言いたいの?」

「おいおい、自覚がなかったのか?」

「ほんと、落ち着いたわね」


二人の言い合いに、ふと幼少の頃の記憶が蘇る。陽昇ヤンシェンは小さい頃、もっと無邪気で、よく蔡華ツァイホアの後ろをついて回っていた。


「落ち着いたように見える?それならよかった。――だけど俺は、ずっとお前のことを考えてる


......最近、無理はしてないか?」


彼の真剣な口調に、蔡華ツァイホアの胸が軽く締めつけられた。


「ま、まあ、それはありがたいけど。大丈夫よ……貴方こそ、少しは私を頼ってくれてもいいのよ」


蔡華ツァイホアはふくれっ面をしてみせたが、内心では彼の成長を認めざるを得ない自分に気づき、微かに悔しさを覚えていた。


(私よりも、陽昇ヤンシェンの方がずっと大人になっている……そう思うと、なんだか悔しい)


二人は無言のまま歩き続けた。蔡華ツァイホアの心の中では、前世の記憶と今の自分の間で揺れ動く感情が渦巻いていた。前世も含めれば年齢では二回り以上の差があるはずなのに、精神的には自分より幼馴染である彼の方がはるかに成熟しているように感じられ、その思いが彩花ツァイホアの心に静かに浸透していく。


――頼もしいと感じるか、寂しいと感じるか、はたまた嫉妬か......。


やがて、陽昇ヤンシェンが立ち止まり、蔡華ツァイホアに向かって真剣な表情で話しかけた。


蔡華ツァイホア、君は時々、何か遠いところにいるように感じるよ。もし、何か悩んでいるなら、俺に話してくれないか?」


その言葉に彼女は驚き、言葉を失った。彼がそんな風に自分を見ていたとは気づいていなかった。


「……何もないわよ。ただ、少し考え事をしてただけ」


蔡華ツァイホアは軽く笑みを浮かべてみせたが、その笑顔には明らかに無理があった。


陽昇ヤンシェンはそれ以上追及せず、「......そうか」と、だけ言って再び歩き出した。彼の背中を見つめながら、蔡華ツァイホアは小さなため息をついた。陽昇ヤンシェンが自分を守るという誓いを果たそうとしていることは分かっているが、自分が知らず知らずのうちに彼を頼り、嫉妬していることに気づいて、自己嫌悪に陥る。そのループを繰り返す。


――本当は、貴方を心配して声をかけたはずなのに。

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