第38話 アレクを名乗る男
選抜戦の締め切り前日、馬車は緩やかな揺れと共にアルカディア王国の王都に到着した。ダリルは馬車から降り立つと、柔らかい日差しと新鮮な風が頬を撫でた。2週間ぶりのアルカディア。前回からさほど間は空いてないが遠い昔のように感じた。
ここまでカエデと長期間離れたことはなかったからだ。
「さて、カエデのことを確認しておかないとな」ダリルは独り言を漏らし、足早に王立研究所へと向かうことにした。
王立研究所は、その白亜の優美な佇まいで王都のどこからでも一望できる。儀式のようにスムースに流れ込む白い階段をダリルは落ち着いた足取りで登っていく。全体が雪の中に浮かび上がる豪奢な建造物、まさにその魔力に引き込まれるかのような眺めを背に、彼は大扉を開け研究所内に足を踏み入れた。
受付に向かうと、そこには若い男の受付スタッフが立っていた。
灰色の髪に控えめな微笑が印象的な彼は、研究所の訪問者に丁寧な対応をしている。
「こんにちは。すみません、アレクという方はいらっしゃいますか?」ダリルは親しみを込めて尋ねた。
「アレクですね。少々お待ちください」受付が微笑を浮かべながら答えると、確認するために手元の台帳をめくり始めた。
「ところで、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「もちろん、ダリルです」彼はにこやかに名乗った。
受付の男性は、一瞬動きを止め、顔を上げて驚いたような表情を浮かべた。「ダリルさん、ですね…少々お待ちください」と言い、すぐにバックルームへと消えていった。
しばらく経って戻ってきた受付は、一通の封筒を手に持ち、ダリルに手渡した。
「申し訳ありません、こちらのうちの研究員のアレクとは別のアレクと名乗る方から、ダリルさんという方が訪れるかもしれないとお聞きしておりまして、この封筒を渡すように指示されています。」
ダリルはその封筒を手に取りつつ、少し訝しげに問いかけた。「そのアレクさんと言う方はどんな人物でしたか?」
受付は少し考え込んでから、「お会いしたことはありませんが、長い髪の老人だったと聞いています」と答えた。
「そうですか、ありがとうございます」ダリルは受付に礼を言い、封筒を見つめた。
「もし何かわからないことがあれば、お気軽に声をかけてください」と、受付は丁寧に付け加え、にこやかな態度で再び業務に戻った。
――うちの研究員とは別の?
ダリルはふと立ち止まり、封筒を持ちながら次の行動をどうするか考え始めた。
アレクトは何者のなのか、カエデは無事なのか。
情報がない今はとにかくこの封筒を開けるしかないと思った。
ダリルは王立研究所の受付から渡された封筒を、研究所を出るとすぐに開封した。
外に出た途端、アルカディアの明るい日差しがその手元を照らす。
周囲の人々が賑やかに行き交う中、ダリルはその内容に集中して、周囲の音を耳に入れないようにした。
封筒の中には、整然とした筆跡で書かれた手紙が入っていた。
そしてダリルは内容に目を落とした。
――――――――――――――
まずは名義を偽っていたことをお詫び申し上げます。
今は素性を明かすことができない事情があります。どうかご理解いただきたい。
カエデ殿への修行は、私が責任を持って行っております。
彼女は非常に元気で、修行も熱心に取り組んでおります。どうかご安心ください。
まだはっきりとは言えませんが、彼女は選抜戦に参加する可能性があります。
ご予定がなければ是非いらしてください。
そちらの軍隊長のアリスには、話は少し入れておりますので、
ダリルさん次第でご観覧は可能かと思います。
もし彼女に会いたいのであれば、ユグドラシルの入り口から見て3番目の木の裏の穴に、
集合場所と時間を指定した手紙を隠して置いておいてください。カエデをそこに連れて参ります。
――――――――――――――
手紙を読み終えたダリルは、少しの安心感と同時に微かな不安を感じずにはいられなかった。
(アリスさんを知っている?この人は何者なんだ。。)
カエデが無事で元気にしていることは大きな安堵だったが、見知らぬ相手に預けたままの状況は不安を払拭できなかった。
「カエデが元気でいてくれているのは良かった…だが、会って確認した方がいいかもしれない」と心の中で呟きつつ、
ダリルは足早に道具屋に向かうことに決めた。
道具屋に入ると、ダリルは筆と紙を手に取った。
店主と軽く挨拶を交わし、支払いを済ませ、すぐにユグドラシルの方向へ向かうことにした。
広く続く街並みを抜け、自然と近づくユグドラシルの巨大な樹木たちが、ダリルの目の前にその壮大な姿を現した。
ダリルは指定された場所に着くと、手にした紙に慎重にメッセージを書き進めた。「カエデ、元気でいてくれ。早く君の顔を見たい」と内容を心を込めて綴り、無事であることを願う。出来上がった手紙を木の裏に隠した。
「さて、あとは待つだけかな」と呟きつつ、ダリルはユグドラシルをあとにした。
その日の夜、ダリルは夕闇が包む中、アルカディアの街を再び宿泊先へと戻った。
静まり返った街路を歩き、異国情緒溢れる風景を目に焼き付けながら、心は次の日にカエデと会えることへの期待でいっぱいだった。
宿に着くと、彼は早々に寝支度を済ませ、ベッドの中に身を沈めた。
部屋には小さなランタンの明かりだけが、暖かい光を投げかけていた。
暗闇の中、部屋は穏やかな沈黙で満たされ、緩やかに外から聞こえる街のざわめきが彼の心に微かな安堵をもたらした。
ダリルは今日王立研究所で受け取った手紙を手に取り、再びその内容を読み返す。
ランタンの明かりに照らされた紙に目を落としながら、彼は静かに考え込んだ。
手紙の差出人がアリスと知り合いだという事実に少なからず驚きと不信感を抱いていたが、
それ以上に彼には気になることがあった。
手紙に記された筆跡を見つめれば見つめるほど、漠然とした既視感が胸に蘇る――どこかで見たことがあるような字だったのだ。
「うーん、一体どこで…?」ダリルは薄暗い明かりの下で眉をひそめながら小さく呟いた。
まるで知らぬはずの記憶が心の奥深くを叩くかのようだ。しかし、思い出せそうで思い出せないもどかしさが、微かな苛立ちを彼の心に残した。
そんな考えが巡る中、彼は手紙に込められた言葉が真実であることを願いつつ、重たい瞼を閉じた。
「明日には、きっとわかる」自分に言い聞かせるように静かに呟く。部屋の中で揺れるランタンの光は、やがて小さく、そして優しく彼の周囲を照らし続ける。夜の静かな囁きが子守唄のように彼を包み込み、ダリルは夢の中へと誘われていった。カエデと再会する晴れやかなその瞬間を思い描きながら。
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