第35話 とある場所にて

薄暗い巨大な研究所の中、整然とした空間にこだまするのは、キーボードを叩く音だけだった。

その音を奏でているのは、痩せ型で眼鏡を掛けた男、モスラだ。

彼はこの映像に囲まれた闇の中で、孤独に端末と向き合っている。

ちかちかと不気味に光る蛍光灯の光と端末の画面が彼を照らし出していた。


キーボードの音を響かせ続けるモスラは、不意に手を止め、何かに気づいた様子で独り言にしては大きな声でつぶやく。


「あら、グリズィ君死んじゃったかも!まあこのあの危険度ランクのものなら、現状でも生きたまま送れるってことね!オッケーオッケー!グリズィ君、君の死は無駄にしないよー」

モスラは形だけの合掌をする。

彼の眼鏡の向こうの瞳には、全く動揺はなかった。

再びカタカタと音を立てながら、彼の指はまた滑らかに動き続ける。


その瞬間、硬い床をカツンカツンと音立てて歩く足音が、モスラの耳に届いた。

彼の背後に現れたのは、体全体を真っ黒なフード付きのマントに身を包んでおり深々と真っ黒なフードを被り顔を隠したまま男だった。

影が移動するように、無言のうちにゆっくりとモスラの背中に視線を送る。


「ほー、便利なもんだな。ほんとにちゃんと戻って来てるとはな!」黒マントの男は、低くかすれた声で話しかけてきた。


黒マントの男は話を続ける。「いやでも無事でよかったです。最悪死ぬかもしれないとおっしゃってたので――まあ死んでも報酬さえもらえればどうでもいいがな!ハハっ」彼は下品に笑い声をあげ、不穏な空気が部屋に漂う。


依然としてキーボードを叩く手を止めないモスラは、振り返らずにその男に返答した。

「僕も自分が弱いことにここまで感謝したことはありませんよ」と、

きっと笑顔のつもりだが、どこか不気味な笑みを浮かべていた。




モスラがキーボードを叩き続けているのをしばらくながめると、黒マントの男が口を開いた。

「進捗はいかがですか?」


モスラは溜息を吐きながら

「エクサヒドラ君が言うことを聞いてくれないから、全然です。

無理やり能力を抽出して出力している最中なんですけど、

この間やっとグリズィ君をギリギリ生きたまま送れたぐらいなんでしばらくかかるかもですねー」と答えた。


「グリズィ程度でギリギリか。こりゃしばらくかかりそうだな。いやいやでも他人の能力を抽出するのって相当すごいですよ。モスラさんもしかして能力を量産することも可能だったりします?」黒マントの男はぶつぶつと独り言を言ったかと思うと、モスラに質問を投げかける。


「いや、それは無理ですね、これは能力者の一部を削り取ってその削りかすをまた修復して作り直すような作業なので、分割しようとすると壊れちゃいますし。。」


「なるほど、そんな便利なものでもないんですねー」黒マントの男は納得する。


「まあ、エクスヒドラ君が協力してさえくれればこの研究も複製の必要も何もないんですねどね」


おもむろに立ち上がったモスラは、無数の管とワイヤーによって接続された巨大な檻の方へ向かった。


その檻の中には、威風堂々とした姿を見せる大きな龍が収まっていた。

長くて滑らかな体は10メートルにも及び、鱗は輝く銀色で、その存在感は威圧的であった。


頭部には、立派な角が生えており、まるで全てを見通しているかのような瞳が鋭く光っている。


「ねーねーエクサヒドラ君、僕に協力してよーほしいものは言ってくれたら用意するからさー」


その龍は強力な尾をゆっくりと振り、モスラをぎろりと睨むと、喉の底からまるで地響きのような声で

「人族ごときが我に指図するな」と威圧し返した。

その声は厚い空気を裂くように響き、モスラさえ一瞬ひるみ言葉を失いかけた。


しかし、モスラはどこ吹く風といった様子で、エクスヒドラの目を見たまま悠々と親指を立て、背後にいる黒マントの男の方を指差し「まあその『人族ごとき』一人に負けたんですけどね!」と彼はその龍をおちょくるようにいった。


背を向けたままエクサヒドラはさらに唸り声を上げ、「我は人族に負けたのではない!」と反論する。

彼の誇りと怒りがその一言に凝縮されているようだった。


モスラはそうした声を軽く受け流しながら、笑みを浮かべ続けた。

「はいはい」と馬鹿にしたように言い放ち、伸びをしながら席に戻っていった。




モスラは再び席に腰を落ち着けると、何かを思い出したように「あ、そうだ!」と声を上げ、ふいに黒マントの男に向き直った。眼鏡のフレームが光を吸ってきらめく中、モスラはにこやかに「エクスヒドラの捕獲ありがとうございます。研究して改めて思いますが、よくこの魔物を生きたまま無力できましたね。強い人はうらやましいなぁ」と黒マントの実力をうらめしながらも感謝を述べた。


黒マントの男はしゃがれた低い声で。「まあ、報酬に色をつけてくれてもいいんだぜ」と、冗談混じりにいう。


「もちろん、それに今の僕は機嫌がいいんでね」


モスラは笑みと共に机の引き出しを開き、パンパンに詰まった金貨の巾着を取り出し、力強く机にドンと音を立てて置いた。

そして、その巾着を黒マントの男に手渡した。「心からの感謝の印です。どうぞ。」


黒マントの手がそれを受け取り、上品に笑う。「ありがとうございます」


その場の冷え切った空間を見渡しながら、黒マントの男は驚きの色を声に滲ませた。

「まさかアルカディアの地下にこんな施設があるとはな」と目を落とした周囲の機械に感嘆のまなざしを向けた。


モスラは、その驚きをあしらうように微笑んだ。「ここならば、資材とエネルギーの供給に都合が良くてね。王国の近くはたいへん便利なんですよ。」彼の声には、独特の軽妙さが漂っていた。


フードの陰からは、少し違う質感の声が響いた。「バレないんですかね、これほどの施設が」と、信じ難いとでも言いたそうに尋ねた。


「今のところは問題無いですね。向こうに協力していただいている方もいるので。」とモスラは気楽に肩をすくめ、

自身の強運に満足しているようだった。


金貨を確認し、取引が終わったことを示す意味深な沈黙の後、黒マントの男は合図するように直立し、去るべく背を向ける。

音もなく動き出すその影を見送りながら、モスラは再びデスクに目を戻して無言のまま作業を続ける。


まさに一歩を踏み出そうとする黒マントの男に向かって、「あっそれと昇格おめでとうございます。これでさらに生きやすくなりますね。」その瞬間、

マントの合わせ目がわずかに開き、その内部に光る赤いバッチが、研究室の光を反射してちらりと覗かせた。


一瞬の後、黒マントの男はそれに気づき、素早くマントを整えた。「ありがとうございます」とだけ返し、

振り向くことなくその姿は暗闇の中に消えていった。


また不気味な空間に一人になったモスラは独り言をつぶやく。

「上はいきるのたいへんそうだなぁ」と、どこかに肩の力を抜いた声で呟く。

彼の視線は、また新たなデータに憑りつかれたように絡みつく。







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