第18話 宿にて

その日の夜、ダリルは宿屋に戻ったが、自室に戻ることなくすぐに一階にある食事処へと足を運んだ。どこかカエデの姿を探し出しそうな視線を走らせるが、彼女の姿は見当たらない。「まずは飯だな」とつぶやき、ダリルは食事処のカウンターに座った。


「いらっしゃい、食事かい?」店主がほがらかに声をかける。


「そうだな、一口サイズの生の草食系小型魔物に塩を振ったやつ、あと魔物の肉料理で頼むよ。『猛者の晩餐』ってやつで。」ダリルは笑みを浮かべながら、料理名を告げた。


「了解、ちょいと待ってな」と、店主は手慣れた動きで注文を取り、厨房へと声を飛ばす。


ダリルは出された料理を眺め、付け合わせの味気ない塩振り調理に少し悪態をつきつつ、それでも食事を楽しんだ。


食事処を見上げると、ダリルの隣の部屋であるカエデの部屋の扉が頭をよぎる。カエデはどうしているだろうかと、若干の不安を胸にしたまま料理を口に運んだ。


その時、彼の思考は夕方の出来事へと戻っていった。


――――――――――――――――――――――――――――


夕方、カエデがこっそりと部屋に戻ったことを扉の音で悟ったダリルは、彼女が無事に選抜戦の登録を終えたか、何かしらの不備がなかったかを確認しようと一人で登録会場へと向かった。




受付に着いたダリルは、受付の女性に声をかけた。

「すみません、カエデという名前で本日登録したと思うんですが、確認できますか?」


しかし、受付の女性は困惑した表情を見せ、

「どのような方でしょうか…すみません、今のところその名前では登録が確認できていません」と答えた。


「そんなはずは…。もしかしたら自分で考えた名前で登録しているかもしれません。8歳のこれぐらいの大きさで黒髪の女の子なのですが。もう一度よく確認してもらえませんか?」ダリルは焦りながらも冷静さを保とうと努め、再度の確認を求めた。


受付の女性がうんうん唸りながら再度名簿を見直していると、ダリルが後ろから声をかけられた。

「おや、ダリルさんじゃないか。どうしたんだこんな所で?」


振り返ると、そこには先ほどダリルがカエデをお願いしていた兵士が立っていた。

「ああ、ラリーちょうどいいところに。カエデの登録がリストにないみたいなんだ。何か知ってるか?」


金髪で髪がもじゃもじゃの兵士のラリーは少し考えて、頷いた。

「ああ、あれか。カエデちゃんね、あのゲルト村のサイに挑戦していたみたいだ。そして負けて…しょんぼりと帰って行ったらしいよ。」


ダリルはその話に一瞬心痛んだ。「そうか…でもそのことを伝えてくれてありがとう。だが彼女もあいつ相手にすごい度胸だ。」


「ダリルさんの面倒見た子だ、きっと成長するよ。」


兵士の言葉に、ダリルは少し安堵し、受付を後にすることにした。


――――――――――――――――――――――――――――


彼は、次はカエデにどんな言葉をかけるべきか、宿の食事処で思案を続けた。




夜の帳が下りる中、ダリルは食事処から立ち上がり、食事の皿を片付けてカエデの部屋へと向かった。

彼は心の中でどうカエデを慰めるべきかを繰り返し考えつつ、小さくため息をついた。

部屋の前に立ち、ノックを静かに叩く。数回のノック。だが、扉は開くことはなく、中からの返事もない。


「カエデ、聞こえてるか?」ダリルは優しい声色を心がけ、扉越しに語りかけ始めた。


「選抜戦の登録は、まだ時間があるんだ。来週までにはやればいいし、その後も半年に一度はあるから安心しろよ。」

ダリルはできるだけ元気づけようと努めた。


「まあ俺が一緒にいるのは不満かもしれんが、バッチがなくても外の世界は見られるしな。」言葉を選び、ダリルは慎重に伝えた。


彼は一瞬、「コアがなくても大丈夫」という言葉を口にしかけたが、持っているものがこの子の気持ちがわかるわけないとその言葉を押し殺した。

この時、ドアの向こうから小さな気配を感じたダリルは、少し安心し、更に続けた。


「宿の滞在もまだ余裕があるように、延長をお願いしておいた。だから、気にせずゆっくり休んで次を考えよう。」


静かに、ダリルは扉にもたれかかり、しばらくそのままカエデが応えてくれるのを待った。

しかし、反応がないまま少し寂しい気持ちを抱いて、その場を後にした。




中では、カエデが小さなベッドの上で膝を抱えながら、溢れる涙をぬぐっていた。

ダリルの声が優しかっただけに、返事をすることすらつらく感じた。

ダリルが去った後、部屋の中にひっそりとした静けさが戻ってきた。


リュックからでていたアーサーが、心配そうにカエデを見つめる。

オレンジの毛を揺らしながら、部屋をうろうろと歩き回る彼を見つめながら、カエデはポツリと口を開いた。


「やっぱり私、もう一生勇者になれないのかな…」その声には絶望が滲んでおり、アーサーにも悲しみが伝わってきた。


アーサーは目を泳がせ、どうすればカエデを慰められるのか、見当もつかない。

これまで誰かを慰める経験どころか涙というものを見たことがない彼は、ただおろおろとするばかりであった。


何を言えばいいかわからない、それでも、何とかカエデに元気になってもらおうと。


「ねぇ、カエデ。王国管理の森、ユグドラシルってしってる?」アーサーは少し不安げに提案した。


「ユグドラシル?」カエデは少しだけ顔を上げ、アーサーを見る。「何それ?」


「うん、すごくおおきな森って聞いた。きっと、面白いものが見つけられる!」

アーサーは無邪気な瞳でカエデを見つめた。


「うん…、そしたら明日朝から行ってみよっか」


アーサーはカエデが少し元気になったのを見て、しっぽをパタパタさせて喜ぶ。


アーサーと少し元気になったカエデの二人は、明日の探検を楽しみにして、眠った。

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