第2話 追いかけっこ
少女は草木の間を必死に走り抜け、本を小脇に抱えたまま、息を切らしながら逃げ続けていた。背後から迫る魔物の足音が、少女の鼓動とシンクロしているように感じられた。鳥たちの鳴き声や風が木々を揺らす音も、すべてが彼女を追い詰める背景音のようだった。
「どうして、こんなことに…」息を整える暇もなく、彼女は時折振り返りながら、自分の後ろに迫るオレンジ色の毛並みを確認する。
木の枝を掴んで軽やかに上へと逃れる。木々の上から見える景色も、彼女にとっては慣れ親しんだもので、魔物を一時的に見失うことができたが、それも長くは続かない。しばらくすると魔物は再び彼女を見つけ、上手く木の上まで追いかけてくる。
少女の腕が少しずつ疲れを感じる中、彼女の手元から本が滑り落ちそうになった。急いで本を押さえようとするも、手遅れだった。愛読書が木から離れ、地面に向かってゆっくりと落ちていく様子を目の当たりにした。
「本が…!」
この本は別に高価なものでも貴重なものでもない、だからまた街に戻ったら買いなおせばいい。でも、いまここで手放してしまうともう二度と夢がかなわなくなってしまう。そんな気がした。
少女は一瞬のためらいもなく、木の枝から飛び降りた。空中で体を伸ばし、今にも地面に触れようとする本へと手を伸ばす。その瞬間、時間が緩やかに感じられ、勇者の冒険譚が彼女の人生と重なった。
自慢の運動神経を存分に発揮して、彼女は見事に地面に落ちる直前の本をキャッチした。柔らかな葉のクッションに足をつき、一息ついてようやく本の無事を確認する。
しかし、安堵の息が終わらないうちに、魔物が再び追いかけてくる姿が視界に入り込んだ。その姿を見るや否や、少女は再び振り返り、走り出そうとする。だが足元にあった木の根っこに気づかず、バランスを崩し地面に倒れ込んでしまう。側頭部に激しい痛みを感じ、一瞬の閃光が視界を覆う。背後から近づいてくる足音を聞きながら意識が遠のいていく。
魔物はついに彼女に追いついた。カサカサと近づく足音が断続的に続き、オレンジ色の小さな影は動かない少女のすぐそばにたどりついた。魔物はやっと捕まえた獲物を食べようとしたとき、ふと少女の腕に抱かれた本に視線を奪われた。オレンジ色の毛に包まれた小さな体が、興味深げに揺れ動く。
魔物は、その鋭い爪を慎重に出し入れしながら、本を取り巻く不思議な雰囲気を感じ取ろうとしていた。なぜこの小さな人間の少女が、これほどまでに大切そうにその本を抱えていたのか、その理由がまるで閃光のように頭を駆け巡っていた。
もちろん、魔物は本の中身については何も知らなかった。文字も理解できない。だが、その紙の束に込められた見えない力が、彼女にとってどれほど重要なのかが、感覚的にわかるような気がしていた。まるで、それが彼女の一部であるかのように。
その時、風が一陣通り過ぎ、ページの端がふわりと揺れた。魔物はその動きを目で追いながら、一瞬爪を伸ばしかけてから止めた。触れることで何かが変わるかもしれないという期待と不安が入り混じっていたからだ。
静かな森の中で、二人の異なる存在が、不思議な絆を形作り始める。少女が意識を取り戻すのは、まだ少し先のこと。しかし、ここで結ばれた小さな興味のきっかけが、この後の運命を大きく揺り動かすことになるという予感が、魔物の瞳の中にほのかに光っていた。
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