許す話 -その1-

「はぁ……はっ…!くっ、ぅ…。はっ…!」

赤黒さでまみれた街を、少年は倒れそうになりながらも必死に駆けていた。

汗が煩わしくまとわりついて、肺が握りつぶされるように痛みを発している。

息が続かない、どころの話では無い。まともに空気を吸い込むこともないまま、辛さを無視して無理に体を動かしているのだ。

そんなものだから、酸欠で手足の感覚は消えている。それがむしろ、痛みに屈さないための救いにさえなっていた。

ただ、それでも。走り続けているのに、胸を埋め尽くすような焦りはますます大きくなるばかりで、全く消えてはくれないのだ。

そもそも、どこに向かえば良いのかだってこの少年は知らない。

だからこそこの死地を、炎と灰の街をひたすらに駆け回っている。

もしかしたら、この瞬間にだって失ってしまうかもしれないから。ちっぽけな体を動かして、大切なものをどうにか拾い上げようと足掻いていた。

ぶつかろうとも、倒れようとも、それでも、それでも視線を巡らせた。

そうでもしないと、心がたちどころに折れてしまいそうだから。

止まってしまえば微かな希望さえ自ら手放してしまうから、 祈るように縋るように走っていた。

そんな少年のすぐ隣で、ビルが崩れ去っていく。何もかも焼き尽くす勢いの炎も、かき消すように激しい音が轟く。

衝撃が砂を巻き上げていき、ただでさえ煙たい視界が、手の届く範囲すら見渡せぬほどの灰色に包まれていった。

ただ、そんな中でさえ、飛び散る砂塵の痛みに耐えながらもその瞳は決して動きを止めない。砂を大きく吸い込んだ口内や肺がどうなろうとも、呼吸を止めない。

でも、その少年は思ってしまった。今ので、どれくらい人が死んだだろうか。なんて、考えても仕方のないことなのに。

彼の弱った心に、忍び寄っては蝕んでいくいくつもの妄想が、積もりに積もって押し潰さんとしている。あと一欠片で、心が崩れる。

そんな、時だった

「───あっ」

少年は『それ』を目にしてしまった。

燃え上がり、押しつぶされて原型すら留められなかった骸の1つ。

その一つに、瞼を閉じればすぐ思い返せるほどの体温を。深く、より深く記憶に根ざしているその面影を。

そして、それすらも無情に蹂躙していく


───狂ったように混ざり合った人体、酷く歪んだ形をした、親の仇を。


…そこから、彼が助かり別の場所で目覚めるまでの時間を少年は覚えていない。

その瞬間に彼は意識を失って、悲しむ隙すらそこにはなかった。

ただ、そんな中で心に残ったのは。

手の届かなかった事への惨めさと、刺し貫くような痛み。そして、身を焼き切ってしまう程の憎悪だけ。

故にその少年は、力尽き意識の落ちるその刹那に誓ったのだ。

小さき手を握りしめて、噛み砕くほどに奥歯を圧して。

今は遠き始まりの日に、この手で、必ずこの思いに報いてやるのだと。


††††††††††††††††††††††


決まって悪夢を見る時は、いつもその光景が映し出される。

そんな目覚めの度に、耐え難い喪失感が胸の中を突き抜けていくのを、その青年は味わっていくのだ。

まだ夢の中に思考が置き去りのまま、彼はその余韻に浸っていた。いつまで経とうと慣れないものなのだと、その傷口を眺めて。

そうして、瞬きを数回。

ぼんやりと、目に映った見慣れない瓦礫の街を見て、青年は、いやシモンはようやくここまでの事を思い出す。

(そうだ、今は別の地区に移動中で、それで…)

元々彼が所属していた部隊は、つい1週間ほど前に書面上での解体が正式に済まされた。

それまでは元いた場所の近くの街で宿を借りていたのだが、手続きが進んだ事により移転することになったのである。

これから先は上司となる人に連れられて徒歩でしばらく、危険な区域も抜けた辺りで馬車による移動が始まった。

長く歩いて疲れたのか、揺られていたせいか、そんな移動の最中にいつの間にか眠ってしまったようだった。

寝るようでは随分気が抜けている、そう自身に感じながら彼はこれからの事を考える。

今は日も沈みかけており、丸1日かけた大移動もあと少しになるだろう。そこからは、忙しなく戦うことになるだろうか。

ただ、これから具体的にどうなるかを、シモンはまだ知らない。

出した希望では戦える場所での配属を願ったが、それならここまでの大移動をする必要性はないはずだ。

と言っても、上の事情は彼の知る由もなく、向かう先の戦闘員が人手不足であったと言われればそれまでだが。

そこまで考えて、彼は固まっていた体を軽く伸ばした。そろそろ目的地にも着く頃だ。

「…直前には起こそうとは思っていたが、起きたんだな。」

隣から聞こえてきたのは、低くそして艶のある声だった。

シモンが目を向けた先に見えた姿は、青さを少し覗かせた黒が肩に届く前に揃えられた髪、同じく鴉色の瞳を持つ女性。

整った顔つきは精巧な絵画のようで、それでいてほんの少し幼い。硬い表情も相まってどこか人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。

だが、非常に分かりずらいところではあるが、僅かに口角が上がっていて、彼への親しみと彼女自身の人あたりの良さが見て取れるだろう。

彼女の名はルルセア。戦闘員である青年の上官であり、幼い頃から面識のある姉のような存在。青年の亡き父がシモンが産まれる前に拾った孤児で、一時期同じ家に住んだことさえある間柄だ。

「気が抜けていたようで、すみません。」

「いや、気にすることでも無いよ。むしろ、寝れる時は寝るべきだろう。」

「ありがとうございます…。」

互いに前を向いて馬車が揺れる、夕陽が刺すようになってまだ崩れていないビル街が進行先に見えた。

その景色こそが目的地であり、これから彼が生活する場所でもある。元々彼のいた辺境とは違い、前線も本部もより近くにある街。

ないよりはマシ程度の瓦礫を積み立てたバリケードの隙間を通り、そのまま左折して傍の厩舎の方へ。

そこで一旦止まって、2人とも促され馬車から降りる。

ルルセアは乗せてもらった配達業の人に用があるようでまた別の馬車の方へ。

話が終わるまで待つように言われた彼が、先頭へと振り返って見れば既に馬が自由になっていた。これから荷降ろしが始まるだろうか、そんな様子だ。

そのまま周りを見渡してみても、旧文明の建物を除けば粗末な木製の見張り台や小屋なんかが数あった。

より最前線に近い街と言っても、文明のレベルで言えば元いたところとそう変わらないのだと、彼は感じる。

物流は生まれている、情報網もあれば作物、家畜を育ててもいる。ただ、それでも、人類を襲った厄災から100年経ってもまだ、前線であれど科学の進歩は見られない。

人口は減少し続けるままで、それをどうにかする手立て、文明を立て直す兆しが見えていないのだ。それを、酷く意識させられた。

そんな風景に目を止めてから、シモンは後方の荷台へと足を進めていく。そんな彼が着くよりも先に、背の低い影がその場所に先客として動き回っていた。

同行していた配達会社の社員の1人だろうか、そんな事を思いつつも気にせずに青年は荷台に上がる。

が、その直前で止められた。

「入るの、ダメ。」

2つのおさげを持った黒髪の少女、瞳が白い花のようで何処か異質だ。恐らく、人造人間なのだろう。死体から蘇った彼女らには、普通の人に無い特徴がある事がままある話だ。

「ご、ごめんなさい…。」

作業の邪魔になるのかそういう決まりなのか、どちらにせよ、彼が自分で荷物を取るのはダメらしい。別に急ぐことも無く、取るなと言われれば仕方が無いので外で待つことにする。

どの程度待てば自分の荷物が取れるだろうか、そんな事を考えつつ待っていると、他の馬車からもう1人女性の方が近づいてきた。

「あの、ルルセアさんのお連れの方でしょうか?」

「はい、そうですが…貴方は?」

水色がかった白い髪、それよりも濃い空色の瞳、お淑やかそうな雰囲気がする人だった。彼女も、人造人間なのだろう。

「配達会社のウィステリアです、奥の子はユメカと言います。それで、荷物の方はどんなもので?」

どうやら、受け取りたいだけというのを察されて手助けしてくれるらしい。

「あそこにある、剣と一緒のスーツケースです。」

「貴方も、戦う人なんですね。」

緩く微笑んで話す彼女に、青年は少し目を逸らして答えた。

「…まあ、そうですね。」

荷物を受け取って、感謝を述べてから隊長の方へ歩き出す。何やら話していたがそれも終わったようで、そのまま促され街の奥へ。

シモンが辿り着いた先は、外から見ても所々異質であると分かる1棟のビル。

元々は適当な企業の事務所か何かだろうか。そこまでの大きさは無いが、壁が突き抜けて横と繋がっていたり天井に大きな望遠鏡らしきものがあったり。まあ、改築されている。

この場所でこれからシモンは生活することになる。拠点としては些か不格好だが、改築する技術があるならそれでいいのかもしれない。

少し、どんな相手がいるのかと不安になる彼に、隣に立つ彼女が告げた。

「これから仲間になるあいつらの事だが、気長に接してくれよ…?」

「はい…?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱庭のフランケンドールズ 白月綱文 @tunahumi4610

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る