空を目指す話 - 下編
ユメカが向かう先は、リーアだ。彼女は、自身が囮となることで、彼が探し物を見つけるのも生き残らせるのも両方叶えるつもりでいた。
足りないのが時間ならば、無理矢理にでも引き伸ばす。倒すのが無理でも引き付けて遠くに送ればそれでいい。
建物に被害は出るだろうが、気にしている余裕もない。
最低限、彼が本を見つけるまでは戦い続ける。理想を語るなら、彼が浜に戻るまでが良い。
自分一人ならば、逃げはどうとでもなる。上手く振り切れれば迎えに行ってあげたいが、そこまでは流石に高望みだろう。
リーアとの距離が縮まる、速度は建物が邪魔をしない分ユメカの方がより素早い。
まずは一撃を当てる、まだ意識は少年の方だろう。外敵であると認識されなければ始まらない。
ビルの窓を蹴り破って、広いフロアを駆ける。その両手足はいつの間にか黒く、染まっていた。
いや、正しくはそれは鎧のような外装。刺々しく、相手を傷付ける害意に満ちた武器。身を守る外殻でもあるだろうが、その意図は間違いなく刺し砕き抉る為のものだ。
もう一度窓を蹴り破ってビルを抜け、空中を高く飛んだ。あと数軒の建物を渡れば互いに攻撃範囲内になる。
上から戦いに行けば空中では避けづらく分が悪い、狭い道路は瓦礫で足場も悪く、下は下で戦いたくないものだ。
そもそも、ユメカは戦闘員ではない。その役目もあるが主に買われているのは機動力であり、その力は一般の人造人間とは一段劣る。
力がなければ攻め手が無い。相手の方が図体が遙かに大きく、それは致命的な差になりうる。
「…まずは、いちげき。」
ユメカは降り立った屋根から飛び上がり、リーアの頭上に位置した。
先に語った言葉など、彼女には全く持って当てはまらない。何故ならば、彼女は人造人間の中でトップクラスに強いからだ。
大きく体を捻る、全身のバネを最大限に使いその一撃は放たれる。
瞬間、轟音と共にリーアの態勢が崩れた。外殻に大きくヒビが入り、巨体が近くの家に倒れ込む。
「ふぅ、疲れる…。」
着地したユメカの額には汗が滲み、呼吸も乱れていていた。
彼女は、戦闘するに当たる持久力が全くない。最初の一撃に全身全霊をかけたのはその為だ。
ここからはヒビを起点に持久戦を仕掛ける、彼女に取っては不得意でしかない分野だが、それでもやるしかない。
リーアにはしっかり敵と見なされたようで、大きな眼球が彼女の姿を捉えていた。
互いの視線が絡み合う、ここからが本番だ。
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何も考えずに飛び出した、こんなことをしてもすぐに止められるだろう。
少年にだってより死なない選択肢を選ぶべきだと言うのは分かっているのだ。むしろ、ここまでこれて家を見れただけでも幸運な事ぐらい理解している。
それでも、まだ彼は幼くて、飛び出さないように堪えることが出来なかった。
ここで飛び出さなければ、足を止めてしまえば、そのまま生きる気力でさえ失くなってしまうような気がしたのだ。
ただ、少年の予想とは違って、彼女が追ってくることはなかった。自分だけでも逃げて帰ったのだろうか?そんなことを考えて、意味の無い考えだと無視をする。
結局は他人だったということだ、それでもここまで来れたのは彼女のお陰でしかない。それが、彼にとっては複雑だった。
4日ぶりに玄関口に着く、酷く長い旅の先に帰ってきたような、そんな懐かしい感覚がした。
この扉が仮に開いたって、おかえりと口にして迎えてくれる相手はもう居ない。
だから、もうここは通れない。そもそも中は崩れているだろうから。
少年は、少し深く呼吸をして家の右側へと視線を向けた。目的地へ入る隙間は無い。でも、向かう理由ならある。
自分の気持ちを落ち着かせながら、あくまでゆっくりとその場所へ足を向かわせる。
具体的にここ、という場所に向かっている訳じゃなく、本来は庭にあたるその場所自体に用があった。
ここは、彼の両親が亡くなった場所だから。
家の瓦礫の近くまで寄って、少年はただ手を合わせる。せめて、時間の無い今でもこのくらいの追悼は、してあげたかったから。
そうしてすぐにその場所を後にする。彼が本音を語るなら、両親への墓を用意したい所だが、そんな機会が来るのかさえ怪しいところだ。
「…さよなら。」
胸が苦しくなる、何度も泣いたのに、まるで痛みが減る気配がない。当たり前だ、それだけ大きい存在だったのだから。
立ち止まる訳には、行かない。ジャックは涙を堪えて、家の左側へと足を進める。
向かいたいのは家の奥。階段が無事ならば2階から行けるが、梯子は恐らく取りに行ける範囲にはないだろう。
だから向かうなら、家の裏口からだ。裏手に回ればそのまま目的地につく。
もしかしたらそこも崩れているかもしれない、そんな不安に取り憑かれながらも、その付近は無事なようだった。
裏口を前にして、恐る恐るドアノブをゆっくりと回す。もし中が崩れて瓦礫が詰まっているなら、それがなだれ込んで生き埋めにならないとも限らない。
なるべく慎重に、ドアにかかる重さがないかを確かめながら彼は手を少しずつ引いた。
警戒していた不安も杞憂なようで、完全に扉が開いてその光景を露わにする。
少々埃っぽくはあるが、記憶の中にある風景と変わらない。まず間違いなく目当ての本は無事だろう。
中に足を踏み入れて、軽く視線を巡らせた。目に見えて怪しいところはない。
サプライズに用意されていたのだから、どこか見えない場所に隠したのかもしれない。
これは、時間がかかることになりそうだ。ただ、今にだってリーアが迫っていてもおかしくは無い。
その不安と緊張に包まれながら、少年は本を探し始めた。
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「ない…無いっ!」
あれから、時間が経った。少年は隅から隅までをくまなく探した、それでもなお見当たらないのだ。
ならばきっと、この部屋にはない事になる。
なら、瓦礫の下?だとすればそこから探し出すのは不可能だろう。それに、そんな場所にあって無事なこともありえない。
ジャックの体を無気力感が包む。この行動に意味が無いなら、果たして何をしたら良かったのだろうか。
頑張った先、何も出来てはいないでは無いか。
ただ目的も失って生きるよりは、自ら掴み取ってみせたかっただけだ。居場所さえ無くしたというのに、世界はそれすら許されないというのか。
もし、今から戻ったとして、生きて浜辺まで辿り着けるだろうか。
いや、そんな事は無理だ。間違いなくリーアはすぐそこまで迫っている。彼に残された選択肢はこのまま両親の後を追う無駄死にしかない。
ならせめてと、自暴自棄に考えて少年は立ち上がった。向かう先はこの家の庭だ。
せめて終わるのならば、場所は自分で決めたかったから。
ただ、それは結果的に、良い選択だったのかもしれない。
扉を開けて、広がった視界の先に、戦っている彼女が見えたのだから。
「は…?」
目の前の景色が信じられなかった。リーアが遠くで誰かと戦っている。
そのたった1人の小柄な影は、何度考えなおしたって間違えようがない程はっきりと見知ったシルエット。
あの時に、引き返していたと思った彼女は、今まさにリーアと戦っている。
それは、なんのために?
そんなのは決まっている。ここにいる身勝手な少年が、ジャックが、本を見つけて生きて帰れるようと戦っているのだ。
彼女に当たって家へと向かった彼のために、何1つの文句もぶつけず、文字通り必死に。
薄暗い部屋から出た彼の瞳が、明暗の差に慣れる。遠くに見える彼女が、一瞬こちらの方を見たのが見えた。
その安堵したような表情が3割増しで光って見えて、その心が、撃ち抜かれていった。
なんでなんて疑問符も、どうしてなんて罪悪感も、すべてその熱で溶かされて。
その時やっと、ユメカの生き方のその一端を、理解出来た気がした。
そうだ、ただ単に彼女は。誰かが悲しんでいるのが嫌で、思わず手を差し伸べてしまいたくなるような、眩しくなるぐらいの優しい人だ。
少年に生きる希望がなくたって、何かにすがる為にここまで来ていたとしても。
生きること自体諦めてしまいたくて、誰かにぶつけることで正当化しようとしていても。
それでもその手を引いてくれるような、そんな人なのだ。
気がつけば、少年の心臓がその全身を叩いていた。それはきっと、諦めてやるものかと切った啖呵そのもので、彼女に押された背中の余韻。
まだ、生きていたかった。ジャック自身、空が好きで、ただそれだけの少年なのだから。
だから、ただそれだけの事を、前を向く理由にして良かったのだ。
「生きなきゃ、ダメだ。」
気がつけば彼の頬に涙が流れていた。生きたいという願いが、そのまま海を作っていった。
彼女は勝てるから戦っているのではないだろう。仮にそうなら、最初から倒してしまっていれば済む話だ。
だから、ユメカは無理をして彼を生かしている。今この瞬間にもユメカがかけた命の分だけ、少年は生き長らえている。
それが、どうしようもないほどに、嬉しかった。
命をかけてまでこの生を支えてくれる相手がいる事が、少年の崩れかけた心まで支えた。
後ろを振り返る、家で本を探す時間はもう作れない。名残惜しいけれど、彼女に報いなければならないから。
生き残るんだ、そのために走るのだ。
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あれからどれほど経っただろうか。そんな事を考えつつも、一瞬家の方へと視線を向けた。
視界の中にジャックは居ない、まだ家の中なのだろう。
ただひたすらに駆け回って時間をかせいでいた。障害物の多さゆえに、それだけに徹していればあまり危険は無い。
とは言っても、機動力に優れたユメカが行っている故の離れ業でもあり、疲労という無視できない事象もある。
時間稼ぎは彼女の体感で1時間は越している。
短い感覚でジャックの家に視線を向けているため集中力も削られ、限界を段々と感じ始めていた。引くタイミングを見極めるためにも、彼に気を配らないといけないのはかなり戦いづらい。
それが露骨に出ていて、リーアの外傷は最初に付けたものを除くと所々削られている程度。
削ったところでさえ破壊するには、今の彼女では攻撃の威力が足らない。
攻め手もなく疲弊している、あからさまにまずい状況に追い込められていた。
向かってくるリーアの体当りを何とか避けて、再びジャックの方へと視線を向けた。
丁度家の外に出できたようで、ユメカの瞳がその姿を捉える。
だが、本を持っている様子は無い。
つまり、もっと時間を稼がなければならないということだ。
夜になればリーアの動きも鈍くなる、それを考えて昼を越してから動くべきだったと、ユメカは今更ながらに後悔した。
せめて、あと1時間は持たせて見せるとユメカは気を引き締める。それがかなり難しいことも、重々承知した上で。
ここからはさらに集中しなければならない。暫くの間は、ジャックの様子を確認する事も出来ないだろう。
自分がリーアから逃げる距離が遠くなるのを理解した上で、更に家から距離を引き離そうと反対側へ走る。
移動するとなると、狙われ続けるために一定間隔で行っている攻撃の速度をあげることになるが、やむを得ないだろう。
必ず生かして帰すのだと、ユメカは不敵に笑って見せた。
ただ、ジャックが浜辺に帰ろうと走っていることには気が付かないままに。
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少年は必死に走る。彼が浜辺まで戻るには少なく見積っても1時間以上はかかってしまうだろう。
その間、ユメカはずっとリーアの足止めをすることになる。
足止めし始めた時間を考えると下手すれば2時間近くも、即死しうる間合いでやりくりするということだ。
そんな自殺行為を強いてしまったのだ、どれだけ急いだって足りない。
息が切れたって構わず走る、そうして倒れそうになっても、次なる1歩を絶対に止めない。
彼は今ユメカに生かされているが、ユメカをこれから生かすのも、彼の行動次第なのだから。
それに対して、同時刻のゆめかは段々とジャックの家とリーアの距離を離すことに成功つつあった。
ただ、疲労が実害を及ぼす所まであと少しといったところで、このまま行けば惨事は確実だ。
それがもし、少年が逃げている事を知っていれば、今からでもユメカも逃げきれただろう。
だが、もう住宅街の建物により死角になって、ユメカからジャックの姿は見えない。
このままではまずい、そう考えて距離を取ろうと後ろに飛ぶ。
そしてその瞬間は、すぐにきた。
「っ…!」
家の屋根へと飛び移る瞬間、着地する足がバランスを崩す。飛び上がる時に力を込めきれず、しっかり着地出来るほど足場に届かなかったのだ。
自由落下を始めてここから地面まで7メートル余り。そこに着くまでの時間は直撃を貰う無防備な瞬間。そんな時間をみすみす見逃すような敵では、ない。
迫る、家ごと叩き潰さんと巨体がユメカに向かってぶつかろうとしている。
致命傷は避けようもない、ゆったりと流れる時間で、ユメカはただ目を閉じた。
助かるには一瞬足らない。少年が行動に移るまでがあまりにも遅かった。
だからユメカもジャックも、2人ともこの街で
「さ!せ!る!かぁ!!!」
力強い叫びと共に、リーアの巨体が大きく逸れた。ユメカの視界には、見慣れている巨大なハンマーを持ったその姿が映りこむ。
まさに間一髪、彼女への助けの手が間に合ったのだ。
「カラー、ありがとう。」
「無茶すんな!ヒヤヒヤするだろ!説教は後だかんな!」
煌めくような金髪、フードを被った負けん気の強い顔立ち。濃いピンク色の瞳をしたのは、運び屋のチームの古株の女性である、人造人間のカラー。
続いて後ろから、水色がかった透明感のある白髪の女性が現れる。彼女も同じく、人造人間だ。
物腰穏やかそうな雰囲気で、それに見合わないほどの大剣を軽々片手で持っていた。
「まあまあ、そんなに怒らなくても。」
「ウィステリア、でもユメカはこれで何回目だよ?やられる度に心配する身にもなって欲しいぜ。」
「それは…ごめんなさい。」
「分かった、許す。」
「カラー先輩も、ユメカちゃんに結構優しいですよね。」
「…。よし、倒すぞ!」
「「了解!!」」
その声を合図に、三者三様に動き始める。もうこうなってしまえば、確かにあった敗北の筋も消え去って、あとはただの解体作業だった。
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息も絶え絶えでジャックはその場に倒れ込んだ。
そんな自分にもどかしく思いながら、何とか立ち上がろうと手足に力を込めた。
ただ、無理をした結果が出て、上手く立ち上がることが叶わない。
こんなことをしているうちに、彼女は死にかけているかもしれないのに。そう思うと、悔しくて涙が出そうになっていく。
結局、何も出来ないのか。元を正せば、そもそも自分自身のツケではないのか。
何故ならば、あんな所にまで彼女を巻き込んだのは、他でもないジャックなのだから。
死なせる訳には行かない、だからここで立たなければ、自分自身に価値は無い。
そう思っても、上手く体に力がこもらなかった。少年は情けなさに身を震わせる。全くもって今日は泣いてばかりだった。
「大丈夫、立てるかな?」
そんな彼に、差し伸べる手が1つ。短髪の見知らぬ青年が、そこには立っていました。
「お、れ…。より、も。」
上手く言葉が出せないまま、それでも伝わったようで、短髪の青年は彼に優しく微笑みかける。
「うん、ユメカの方は大丈夫だよ。彼女の先輩達が助けに入ったから。」
「良かっ、た…。」
「あ、名乗ってなかったね。僕はアッシュ。一応、ユメカのチームの班長かな。とりあえず、浜辺まで運ばせて貰います。」
そう言って、青年は彼を担ぎあげる。ユメカとはえらい違いで、随分優しく持ち上げられた。
ただそんなことよりも、ユメカに助けが入ったことにジャックは安堵していた。
張り詰めていた緊張の糸が解けて、少年の体からようやく力が抜けていく。
そしてそのまま、静かな寝息が漏れ出すのはそう時間がかからなかった。
アッシュがよく見てみれば、少年の目元にはくまがあって、ここ数日まともに寝れてないのだろうと察する。
起こさないように歩きつつ、彼はリーアの方へと視線を向けた。合流を果たしたようで三人で戦っているのが遠目に見える。
リーアの討伐は予定には無い、そもそも自分の班が戦いが得意なんて上は知らない。手負いになり暴走すればどんな危険が及ぶか分からないリーアだから、そもそも討伐という発想も上にはなかっただろう。
故に、青年は苦労の滲んた声で言った。
「はあ…どうしようかな。これ…。」
この後降りかかる災難に、仕方がない事だと諦めたため息を吐き出して。
††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††
リーアとの戦闘は、ユメカの疲労というマイナスを抱えてなお余裕があるまま進んでいた。
それはユメカが負わせた傷だけでなく、1時間以上に渡って戦闘していたという事実も大きい。
リーアも謎の存在とはいえ生物である、ユメカが疲れているなら、リーアもそれ相応に疲労しているといて当然だ。
そしてユメカの動きは鈍ってなおも素早く、更に万全な状態の人造人間が2人。通常の場合は三人か四人でリーア一体を倒すということも考えると十分余裕のある戦力差だ。
危なげもなく外殻が崩され、相手の核が露出した。それと共に弱点が晒された事で攻撃の熾烈さが増していく。
一瞬、全員が受けに回る程の猛攻。だが、攻撃とはそれそのものが隙を生みかねない行為である。
そして、それを逃すほど、彼女らは甘くは無い。
「決めろ!ユメカ!!!」
「まかされた!」
攻撃の反動でバランスの崩れたその瞬間、躊躇うことなく彼女は走り出す。
それに対応する形で放たれた一撃は、カラーが易々と防いでみせた。
もう、完全なる一本道。無防備となったその核を、ユメカの足が、貫いた。
「トドメ、だっ!」
途端に巨体が崩れ去る、灰の匂いが濃くなったそれは、もうピクリとも動かない。
「戦闘、完了だぁ〜。」
機嫌よくカラーが言った。あとは全員で浜辺に戻るのみだろう。
ただ、ユメカだけが帰路につこうとせず足を止めていた。それを不思議がった2人が、彼女の方へと視線を向ける。
「ユメカちゃん、どうしたんですか?」
「頼み事、ある。手伝って。」
††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††
日が沈みかけていた。長かった今日が終わり始めて、流れ込んできていた疲れに、少年は身を預けていた。浜辺に残った人間も残りわずかで、明日移動するはずだったはずだったが、もうそんな必要は無い。
リーアが討伐されたため、元の居場所に戻れることになったのた。
ただ、戦闘が行われたこともあり、家屋やらに被害も出ている。そのため一部の人は別の家に住むことになるだろう。
少年も、そのうちの1人だ。
家は半壊しており、これから別の大人の元で暮らす事になるのは間違いない。
砂浜に寝っ転がって、ジャックはこの先のことを考えた。
これから、上手くやって行けるだろうか。全く知らないような大人と、今までの事を割り切って生きていけるのか。
結局のところ、本も見つかっていない。上手くいかないことだらけで、でも生きている。
背を起こして瞼を開けてみれば、地平線へと沈み込む夕日が綺麗な茜色をしていて、目に焼き付くほどに眩しかった。
ここ数日間踏ん張り続けた時間だった。それが終わってしまえば、ただ気力のない虚無感に攫われた。
この先、幾度となくこんな感覚になるのかと思うと、怖くてたまらないとジャックは感じる。
なぜなら、彼が頼る両親は、もう居ないのだから。
少年はまた涙がこぼれそうになって、上を向いた。泣くのはダメだ。泣いてしまえば、負けを認めたようなものだと、そう言い聞かせて。
そして、上を見上げた事で気がついていく。彼へと近付く一つの影に。
「良かった、無事だ。」
「そう、だな…。」
ぶっきらぼうに少年は言う。目を細めて、蹲るように顔を下げた。
もう、まともに彼女の顔は見れない。返せない恩を貰って、どう接すれば良いのか分からなくなってしまった。
そんな俯いた少年のその頭を、ユメカは優しく撫でてから、『それ』をゆっくりと、頭の上に置いた。
「…え?」
硬さと形状、髪越しのなんとなくの材質、そんな情報から少年はその正体を察していく。
もしかしてなんて考えとともに、その存在を掴んでいた。そして、恐る恐る目の前に持ってきて、その正体を確認する。
それは、間違いなく彼がこの日探そうとしていた一冊だった。
「依頼、達成だぞ。」
この本をユメカが持っている。ということはつまりリーアを倒した後に、本を探しに行ってくれたということだ。
彼女は彼が本を持っていないことに気が付いていたのか、いや、そんなことはどうだっていい。
命の恩人が、その上で本を探してくれたのだ。それはもう、あまりにお節介がすぎる。何から何まで、少年を助けすぎている。
貰いすぎた、どうしたらいい、どうすればこんな気持ちを返せると言うのだ。
そもそも、彼女は渡り歩く身だろう。この街の問題が解決した以上、普段の業務に戻るだけだ。
そうすればこれから先、会えるかすらも分からない。
そもそも今回初めて出会ったのだから、元は別の区画で働いているのだろう。なら、運び屋を使ったところで会えるということは無い。
これだけの事をしてくれた彼女に、少年は報いる術がないのだ。
でもどうにか、言葉を巡らそうとして。その時間を突かれて、ユメカが先に言葉を初めてしまった。
「明日、ここで。」
そう言って、立ち上がって。
「あっ。…おい。」
反応が遅れて立ち上がった時には、彼女の背中は遠くに行っていた。相変わらず、素早いのが彼女だった。
でも、明日ここでと言われたなら、また会えるだろう。ならその時に、せめてお礼のひとつぐらいは言わなければ。
それだけ考えて、体の疲労に気が付いた。
1度眠ったはずなのに、まだまだ足らないらしい。まあ、今日の事を考えるなら、この気だるさは必然だろうが。
少年は再び浜辺に背を預けて、寝そべる形で空を見るように本を眺めた。
そしてそれを優しく撫でて、これからの事を考える。
ここまでして貰って、生きないなんて嘘だ。頑張らなければこの人生嘘っぱちだ。
散々背中を押してもらった。ならきっと、夢を叶えることが彼女に対しての、せめてもの礼儀になるだろうか。
とりあえず、今日を越そう。そう考えて、夜の配給を貰いに行く。
青年が、忙しなく色んな人に対応していた。あっちもあっちで大変そうだ。あの人も、ユメカに振り回されたんだろう。そんな事を考えて、笑ってみた。
案外、気持ちが晴れた気がした。
††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††
「昨日は、ありがとう。」
「くるしゅうない。」
「どの身分だよ、ユメカ…。」
結構な早朝、目が覚めて昨日の場所へと向かっていたら、それより先にユメカが待っていた。
随分と早い目覚めだが、そもそも人造人間は眠るんだろうか?と、そんな事を考える。
「行くぞ。」
「行くって、どこに。」
「家。」
「…はい?」
それ以上の説明がなく、そのまま背負われては向かった先は少年の家だった。
半壊した家の瓦礫が、妙に片付けられている。そんな庭の端に、何かあった。
「あっ…。」
それが一目でわかった少年は思わず、駆け寄ってしまう。
そしてその場所で、思わず泣いた。
お墓が、2つあった。それはきっと両親のお墓だろう。用意したのは、ユメカだ。
声を荒らげて泣く少年の斜め後ろで、彼女は静かに手を合わせていた。
その声が、より激しくなって、嗚咽に変わって。立ってすらいられなくなって手をついて。
ここ数日堪えようとして、でも堪えきれないまま、なんとか抑えようとしていたものが。暖かい春の日差しに当てられて、とめどなく溢れていく。
伝えたいことがあった、言い足りないことも、言って欲しかったことも、何もかも。
でももう、それらは決して叶わない。死んだ人間を、真の意味で生き返らせる方法は存在しない。
だからこそ、少年はありったけを吐きだした。
やりたかったこと、見たかったこと、これからのこと、過去のこと。
両親がいるのが前提で、両親に支えて欲しかったその全てを。
それから、声も止んでしばらく。涙を拭いた少年は立ち上がって彼女に向き直る。
今度は、真っ直ぐに彼女を見据えて、言葉を言うことが出来た。
「ありがとう、正直、俺は何も出来なかったし、何もしてやれなかった。」
その言葉を、ただ何をするでもなくユメカは受け止める。
「でも、誓う。俺はこの先、お前よりも凄くなる。力持ちじゃなくても、速く走れなくても、頭を回す。そして、いつしか空を飛んでやる。」
それはいつしかの憧れであり、自分自身への挑戦。100年も前に人類が、10万年近い歴史をかけた物事の一端だ。
それを原始に近い世界で、大した知恵もなく行うのだから、無謀でしかないのだろう。
だけど、不思議とその声は力に満ちていた。それはきっと、少年の内からだけ湧き出たものじゃない。背中を押した人が居たからこそ生まれた覚悟。
「だから、いつかユメカに空を見せる。約束だ。」
少年は手を差し出した。
「うん、約束。」
その手に、彼女も応える。そして
───誰もが目を奪われるような、手を伸ばしてしまうような。そんないつか見上げた星空のように、綺麗な笑顔でユメカが笑って見せた。
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