空を目指す話 - 中編
既に日が沈みかけているということもあり、街に向かって探し物をするのは明日となった。
急に大人しくなった少年を見て、大人たちは随分と驚いたが詳しくは聞かれずバレずに計画に移せそうだ。
ただ、明日の事を隠しているのに偉そうに胸を張っているユメカに、随分と太い神経持ちだと少年は呆れてはいたが。
互いに別れて、別々の場所へと戻り。日が沈んでまた登った。明日に人の移動は完了してしまう。つまり今日を逃せば、リーアが倒されて街が解放されるまで先は無いということだ。
それが、何年先、もしくは何十年先かの話かもしれない。そうなっては生きている保証もない。
まだ幼い少年は、朝目覚めると共に思いっきり手を握りしめた。今日こそはと、覚悟を持って。
運命の日である、最後の機会でも、そう考えれば考えるほど胸の中にある怯えを取っ払えずにいる。そんな先の世界に、これから向き合わなければならない。
約束の砂浜で、何をするでもなくユメカは佇んでいた。少年はそんな彼女の背中を、叩く。
「おはよう、ユメカ。」
「おはよう、ジャック。」
それだけ交わしてしばらく、時が止まったように海の向こうを一緒に眺めた。
まだ上がり始めたばかりの本調子じゃない太陽が、波にさらわれている。
それを、何をするでもなく少年は見つめる。こんな朝早くに起きたのは彼にとって初めての事で、その綺麗なだけの光景は、初めての記憶だ。
「…行くか。」
「りょーうかい。」
最低限の言葉を交わして、互いに街の方向へ体を向ける。
「運ぶ。」
「…ん?おう。」
腹に掴まれてユメカに少年が持ち上げられる。
「は?お、おい!」
「なに…?」
「下ろしてくれ!!!」
「でも、速いよ?」
「おぶるのでいいだろ!」
「おぶ…る?」
「知らないのかよ!」
とりあえず少年は自身を下ろさせて、ユメカに人の背負い方を教える。
気を使えると思ったら、変なところでものを知らない。運び屋だと言うのに人を背負ったことは無いのか。そんな文句が少年の心には現れた。
それから数分、雑なやり方ではなく正しい背負い方をして、少しぐたりはしたものの2人は街へと向かう。
馬となんら遜色ないような速度でユメカは加速する、これが人造人間の速さなのだと、ジャックは驚かされた。
すんなりと、街への外壁に入り込む。リーアを警戒するのと、子供が街から出ない為だったりで街には人が無理しても通れない高さの外壁がある。
なので本来は決まった出口からしか入れないのだが、それをユメカは悠々と飛び越えて見せた。
凄い、と呼ぶには少し怖気すら覚えるだろうか、これが敵であればどうなるかは想像に難くない。
だからこそ、文明崩壊を起こした災厄に対抗しうる訳だが。
錆び付いた駄菓子屋の残骸、その横を通り抜けて、崩れかかった犬小屋のある家の庭を抜け出た。
苔やつるに覆われた壁を上がって、赤も消えかかった屋根へと上り立つ。
いつかの誰かを支えた居場所、これらを懐かしんでしまえる人間も、もうとっくのとうに土の中なのだ。
そんな街並みを、ユメカはどこか寂しげに眺めた。この場所でもきっと沢山のものが失われた。そして、今なお失われていくのだ。
一瞬立ち止まって、それを気にした少年は苦しくなるようなその横顔を見てしまう。
それで、何となく察した。普段は明るい彼女も、この世界に染まっている。それがわかってしまって、ジャックの胸は苦しくなった。
それは行き場のない感情だ、少年にはどうすることも出来ないのだから。
ただ、こんな感情に駆られない世界が、100年前の日常はいつか帰って来るのだろうか。そんな仕方の無いことを、少年はその表情を見て思った。
落ち込むのもつかの間、すぐに表情を持ち直してユメカは速度を上げた。
わざわざ屋根に上がったのにはきちんとした理由がある。
広く隅々まで見渡せば、その存在が見える。
それは、視界の先の遠く、まるで微動だにしないこの世界の特異。
浜辺からは見えなかったその黒々とした巨体は、まるで動く気配もなく、未だ気付かれてないのだろうと予測が着いた。
「今のうち。」
「…だな。」
今のところまるで置物のようだが、警戒するに越したことはない。ユメカは速度を更に上げて、屋根の上を駆ける。
少年の家は浜からは遠く、街の奥にある森に近い。ここに1人で向かうというのはいくら何でも無理があり過ぎる、そんな無茶をさせなけてよかったとユメカは思った。
順調に進んではいるがの足も速いとはいえ少年の家まであと15分はかかるだろうか。
彼の家からリーアは遠くに居るが、察知されたりしてしまえば十分脅威となる距離である。
見た目から想像だに出来ないが、想像以上に小回りがきき素早い。ユメカが少年の家から全速力で浜に向かったとしても街の外壁にたどり着くまでに追いつかれてしまう。
警戒を緩めずに向かう最中、覚悟を決めたように少年の口が開いた。
「…なあ。」
「んむ?」
「俺の話、していいか?」
「いい。」
「即答か。」
呆れたように少年は言う。集中したい状況下で意識を割くような話だ、迷惑がって当然だと言うのに。
受け入れてくれるのが、ありがたい。だからこそ、続けて口を開く覚悟も生まれた。
そんな少年自身、今の心境の変化を驚いているのだが話すべきだと思ったのだ。
自分と、そして亡くなってしまった両親の話を。
それは単に、心の中にある重みをとっぱらいたいだけの行為かもしれないけれど。
ただ、それだけの意味じゃなく、誠意として話すべきなんだと思ったのだ。
彼がリーアを見るのはこれで2度目だ。今ユメカを付き合わせているこの行動が、死にに行くような話だと言うのも理解している。
そんな目に、自分より遥かに強いとはいえ、女の子を巻き込んだのだ。引け目が無いわけが無い、返せない借りでしかない。
だから、今から対等な関係など望むべくもないだろう。ただ、せめて、悔いの残らないようにしておきたい。彼女に、自分のことを知ってもらいたかった。
「噛まないように、あんま揺らすなよ?」
「わかった。」
「じゃあ話すからな。俺が、何を取りたくてなんでそれが欲しいのか、その理由を。」
††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††
その少年は、手先の器用な両親の間で産まれた。
それが必然だったように、少年自身も手先が器用に育って行った。
彼が成長する中で両親の背中に見たものは数え切れないほどあるが、特に1つ抜き出すのならこれだろう。
その2人はとても空が好きだったのだ。
空模様を確認しない日など無く、夜になれば星を見るし、朝がくれば陽の暖かさに目を細めた。
その夫婦には、景色を眺めるゆとりと、それを大切だと思う感性があったのだ。
そんな2人の背中を見て育った少年も、同じように空に憧れた。家族全員が、天に跨るその光景が好きだった。
そんなものだから、両親の趣味で家には色んなものがあった。星を見る為の父自作の望遠鏡、母と共に編んだ笠、空にまつわる様々な本。
父は主に工作を、母は主に裁縫を、そうして出来上がった様々なものが、所狭しと家にはある。
だから、少年自身家が大好きだった。戸棚を見れば見たことの無い道具がある。まるで家中が宝箱のようで、好奇心のままに振る舞えるその場所が好きだった。
そんな中、少年にある転機が訪れる。それは、1冊の本との出会い。ただなんでもない、100年前ならばありふれた、質素な乗り物図鑑である。
基本的にこういった本が手に入る事は少ない世の中なのだが、少年が12の誕生日に両親が用意してくれたのだ。
少年は周りの子供よりも、前時代への憧れが強かった。空を見上げて生きたのもあるのだろう、周りの子供と比べてその何倍も、科学のあった時代に思いを馳せた。
ボロボロとなったその表紙、ただ中身は無事なようで、消えかけたカラー印刷の様々な乗り物が少年の目に止まる。
その内の一つだ。その一つが、少年に取っての運命だった。
「ひ、こ、う、き…。」
読めない文字の上の振り仮名を、拾い上げるように読み上げた。口の中で転がるそれが、妙にしっくり来て、思わず笑ってしまう。
いつかの記憶を思い返す。昔、少年は雲を掴もうと山に登った事があった。
ただ、街の隣の山では高さが全く足らなくて、まるでちっとも届きやしなくて。その上色んな人に、こっぴどく怒られたものだけど。
その日からその光景を何度も思い返したのだ。成長してもそこには届かないことを知っていながら、どうしても諦めきれなくて。
何度もどうにか出来ないものなのかと、空に手を伸ばした。どれほど上に上にと思っても、両手は空気を掠めるばかり。
見えるのに何故ここまで遠いのかと、そんな悔しさを感じたことがあるのだ。
ただ、その本を読んで知った。人は、空を既に掴んでいたのだと。
雲よりも高い世界を、見ることが出来たのだと。
それは少年に取って、果てしなく嬉しかった。もしかしたら、この世界でも飛べる選択肢があるかもしれないのだと胸が踊った。
それからは、空を飛ぶために日々を過ごした。
飛行機の仕組みを知れば知るほどに、それは無理難題な願いへと形を変える。
ただ、少年にはそんな事はどうでも良かった。
単に、熱中して明け暮れる日々が楽しかったのだ。両親と笑って、色んな話が出来た。きっと空の世界へ連れて行ってみせる、そんな話もしてみた。
そうして少年は、また次の誕生日を迎えた。
───それが、2つ目の運命の日だった。
その日は珍しく遅い目覚めで、母が起こしてはくれなかったのだと少し怒ってもいた。
その亡骸を、目にするまでは。
「えっ…?」
そこからの時間、少年は自分の体が本当にあるかどうか、それすらもあやふやに感じていた。
自分の呼吸が分からなくて、手の先がゆっくりと冷える感覚がして、なのに全身の感覚がなくて。
でも、視線の先にある形は確かに母のものに思えて、血とごちゃ混ぜになってむせ返る臭いがして。
分からなくなった、いや何もかもを信じれなくなったのだ。
確かめるためなのか、それともバランスを崩したのか。それすら分からない1歩の感覚に、気が付けなかった。
全身から変な汗が湧き出てくる。喉奥がやけに熱く、肺が震えて足に力が入らない。
だが、理解してしまう。時間が経つ事に麻酔のようだった逃避が、消えていってしまう。
「いや、だ、嫌だ…」
これほどまでに肺の詰まった瞬間はなかった。きっと、これは悪い夢だ。そう信じてしまいたいのに、血の匂いが鼻の奥までこびり付いて離れない。
でもどこか酷く冷静だ。体は自然と動いて、拙く足を進めて。
それに、手を伸ばしてしまった。確かにそこにあったはずの温かさと、よく知っている肌の感触。それが母の亡骸だと判別のつく、そんな刹那。
───目の前の死体ごと、家の先が吹き飛んだ。
血飛沫が顔に突き刺さる。それはまだ、変に温度を持っていて
「──ははっ…。」
半壊した家、そこからはよく晴れた空が覗いた。それなのになんの感慨も浮かんでこないまま、それもすぐに覆われる。
そんな空を遮ったのは、家よりも大きい黒い巨体だった。一言で言うならば、それは大きな人の手だ。
しかしもっと歪で、汚らわしく、灰の匂いがする。そんな化け物の、無機質な目玉が少年を見ていた。
そうか、これから自分も母と同じところに行くのだと、少年は感じる。
もう身体を動かす意思は無い、だから視界の全てが黒に染まるのをただ諦めて眺めていた。
好きだった空の光も、もう完全に届かない。ただ、動けないままに、彼は目を瞑った。
「ジャック、逃げろ!!!!!」
それは、父の声だった。驚いて目を開ける。ただ、視界の中にその姿は無い。
だが、自らに向かっていた巨体が後ろへと振り返っていた。恐らく反対側に父親は居る。
一気にジャックは正気に戻って、胃の中の全てをぶちまけた。吐けど吐けど気持ち悪さが収まらない。最悪の気分で、どうしようもない。
そんな状況下でも時間は進む、興味をそらされたリーアの身体が、再び家の端に当たった。それは再び、その外壁を粉々にしていく。
「と、父さん!!!」
ハッとして、思わず声が出ていた。すぐさま返事は帰ってくるが、いつ死んだっておかしくはない。この瞬間には、もう死んでいるかもしれない。
なら、どうするべきか。そんな事は幼い頭でもはっきりとわかった。
逃げなければならない、この脅威から少しでも遠くへと行かなければ、父だって安全に逃げられはしない。
震える足で、1歩ずつ外へと向かう。先程の衝撃で家が崩れそうになっていて時間をかけてしまえば生き埋めになるかもしれない。
リーアはまだすぐ近くに居るが、目の前の壊された壁から外に出るしか選択肢はなかった。
少年はもたつきながらも走り出す。体は無事だ、まだ逃げ切れるかもしれない。
瓦礫を上がって、その後ろを駆け抜けて、家の崩れる轟音がする。
距離を取れたと安心するのと共に、父が巻き込まれてはいないかと不安になった。
そして思い出す、母は死んだ事を。嫌で、そんな事は認めたくもない。でも、逃げなければ、自分も同じように死んでしまう。
絶望感に体を蝕まれて、ただそれでも少年は足を進めた。自分が逃げていれば父はより生き残りやすくなる。ただそれだけの事が、何もかもを諦めてしまわない理由になった。
元々、少年の家族はリーアの出現で新たにこの街に移住してきた身なのだ。こんな世界だから、逃げる準備はいつだってできている。
「はぁ…はぁ…。」
こんなに走ったのはいつぶりだろうか。握りつぶされるような脇腹の痛みと共に、少年はそう思った。
それは確か去年の、と。そこまで考えて、母の面影が脳裏を過ぎる。それがとても鮮明で、目に焼き付いてしまった。
無理やりに動かしていた体のリズムが崩れる。段差に躓いて、倒れ込むように膝を着いた。
顔からぶつかりかけるのは、紙一重で手を出すのが間に合って、そのまま吐きかけた。
胃の中はもう空っぽで、それは単なる嗚咽にしかならなかった。
立ち上がる体力も出せず、そのまま仰向けになって空を見上げる。母の面影がそこにあるような気がした。
それで、堪えきれなくなって、彼は泣き始める。
少し経ったら、また走り出さなければいけない。きっと父親にはまた会える、そう信じるしかない。
泣き止んで、立ち上がって、生き残るためにまた走り出す。
外壁も見えて、ひとまず安心できる場所にはたどり着きそうだ。
ただ結局、その日少年は父の姿を見ることはなかった。
逃げ切った先、街の人達に保護されてそのまま眠りについて。
そして目覚めてすぐに聞いた父親の安否にも、望んだ言葉は帰っては来なかった。
もしかしたら怪我をして遅くなっているだけかもしれない。そう考えてみてから1日経っても何も無い。
彼自身が認めたくなくても、心の奥底では認めてしまう。だから、両目から溢れ出すそれを止められない。それを拭ってくれる相手は、もう居ないのだから。
日も沈みかけになり、彼が浜辺から遠くへと視線を投げれば、まだ家の方にリーアが居た。そのままそいつを、吐き捨てるように睨んだ。
あいつは母と父の、そして住まう家も、何もかもを壊した仇だ。
もう、両親は居ない。少年が自分自身の人生に価値を感じていた理由は、消え去ってしまった。
そんな冒涜を、まだ13の少年に耐えれるはずもない。
浜辺に打ち上げられたように横たわっていた。いっそ海に身を投げてしまおうか。そんな感覚だった。
そんな時に、街の人の話し声が聞こえてきた。
「あの子、どうするんだい?元々他所の町の人だろ?誰がこの先面倒見るんだい?」
「あー、あの子ね。うーん…。正直、そう言われても、面倒見る人が居ないだろ。そもそも、移民だろ?これからはこっちだって別の街に繰り出してそこで生活しなきゃいけないんだ。邪魔な他人の子供なんて背負えるか。」
「全くだ、どちらかでも生き残ってくれれば楽だったんだがな。進んで面倒を見る人が居ないんじゃ、迷惑することになる。むしろ、あいつだけ死んでくれれば楽だっただろ。」
「しっ、聞こえるぞ…。」
それは、あまり関わりのない大人たちの会話。はっきりとは聞こえず、その上内容も完全に理解した訳では無い。ただ分かったのは、今の自分が要らない存在だと言う事だけだ。
この先、受け入れてくれる人すら居ないのなら。せめてあの場で死んでいたら、楽だったのではないか。
そんな考えが頭を過ぎる。そうして幾度目の涙が砂に埋もれていった。
そんな考えを抱くことすら嫌になって、頭を振って無理矢理にでも意識を変えようとしてみる。彼だって、元よりこのような相手の世話になる気などない。
でも、この先生きていく力なんて、自分にあるのだろうか。
そんな考えも、空を眺めていたら、少しは気にならなくなった。
生きる目的なら決まっている。空だ、空を目指す。
それが、亡くなった両親が応援してくれた、少年自身の夢だから。
ただ今のままではダメだ。取りに行かないといけない物がある。
それは、少年の誕生日プレゼント。本来は昨日受け取れるはずだった、一冊の本。
その正体を、少年は知っていた。本当は両親からのサプライズなのだが、夜中に用を足す際に偶然知ってしまったから。
その本は、科学の教科書だった。
少年が空へと繰り出す為のきっかけを、両親は頑張って他所の街で見つけ出したのである。
貴重品の本を集めるのは容易な事では無い。影で相応の努力があったのは間違いないだろう。
両親から受け取るはずだった教科書、それがあれば、まだやっていける。幼いながらの自分の身でも、いつか、一目地上を見下ろすくらいならできるかもしれないのだ。
そこに両親がいなくても、空を飛べる事自体に、きっと意味があるはずだから。
倒壊した家の中でも、瓦礫の山を漁れば見つかるかもしれない。きっと、どこか彼の目につかない場所で保管されていたはずだ。
また別に科学の本が手に入る機会があるかなんて分からない。次の街に移り住む前に、確実に手にしておかなければならない。
両親とのあの幸せな日々、そこで芽生えた1つの夢を。こんな所で邪魔されてやるものか。そんな気概が少年を奮い立たせる。
それからだ、それから3日が経ったその日に、少年と彼女は出会ったのだ。
††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††
少年の話が終わると、もう彼の家からすぐのところまで辿り着いていた。今のところ、様子を見てもリーアが動く気配は無く、感知されてはなさそうだ。出来るだけ感知範囲に入らないよう、遠回りのルートを通ったのが功を奏しただろうか。
家は、随分崩れていた。と言っても、玄関口の方であり奥はまだ無事なようだった。
ユメカは近づきながら考えていた。少年の話通りなら、今この先に彼の両親の死体があることになる。
そんなものを、今の彼に見せる訳には行かない。今、少年は揺れている。折れたまんまの心で立ち上がる最中なのだ。
両親の話をしている最中は、涙を抑えるようにしていた。この年で親を亡くすと言うのがどんな感情なのかは、そもそも人造人間であり親の居ないユメカには分からない。
でも、背負ったその震える体から確かに伝わってくるものがあった。
ただそれが、辛いなどと一辺倒な言葉では推し量れない事ぐらいは、わかったから。
だから、せめてこれ以上は苦しむような事にはなって欲しくない。
ユメカは家を正面から向かわずに少し逸れて左側に向かう。被害のある右側ではなく左側からならば亡骸を見ることが無いと考えたから。
だが、その前に視界の端で捉えてしまった。大きく蠢くその色を。
「まずい…。」
「何が?」
「リーア、動いた。」
「…っ!ふざけんなよ…。」
「逃げないと。」
「そんなの、嫌だ。嫌だッ!!!」
少年は体のバランスを大きく崩して、無理矢理ユメカの背中から抜け出した。そうして脇目も振らず走り出す、見失ってしまえば、彼が死ぬ事だって全然有り得る話だ。
だが、ここで彼を止めてしまいたくない。葛藤が、激しくユメカの頭を悩ませる。
手の届かなかった悔しさを知っている相手に、それをもう一度味合わせていいのか。そう、考えてしまった。
そして、彼女はここで追わない選択をした。遠ざかっていく背中をほんの少しの間、慈しむように眺めて。
そうして1人、家を背にして引き返す。
少年を口で説得できるわけも無い、だからこうなってしまえば、こうするしかなかったかもしれない。
「じゃあね、ジャック。」
ゆっくり歩いていたその足が、風になるまではそう時間はかからなかった。
箱庭のフランケンドールズ 白月綱文 @tunahumi4610
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