空を目指す話 - 前編

数日前、ユメカが仲間と共に向かったのは小さな集落だった。元は数キロ範囲の街で人も多く住んでいたのだが、突如にして厄災が襲ったのだ。

人類を今の窮地にまで追いやった敵、通称リーア。

その姿は生物として想像だに出来ない奇っ怪であり、一言で呼ぶならば蠢く人の腕。それも、焦げ付いたように黒ずんでいて、見上げるほどに大きな。

そんな不気味で恐ろしい怪物が、なんの前兆も無しに街に現れたのだ。

ただ、幸運と言うべきか海水が苦手であるリーアの特性を利用し、近くの浜に避難することで少ない犠牲で済んでいる。

今はそこから少しずつ別の街へと避難を進めて居るのだ。

普段、彼女の仕事は配達業ではあるが、こう言った場合は真っ先に向かわされる役回りだ。

人類の数は残り少なく、戦闘員になる人造人間は更に心許ない。何処にでも居るリーアを警戒すべく、その場を離れられない部隊も多い。

手が空いているという訳では無いが、向かうことが出来なくもないと言うのが上の判断らしい。

本来の仕事とは違ったトラブルも起こりやすいが、人助けである事や人類が危機的状況というのもあり、モチベーション自体は高い者が多い。

そしてそれは、ユメカも同じだ。様々な人に声をかけては食料を渡したりして戯れている。

まあ、彼女の場合は単に、人に関わるのが好きなのかもしれないが。

色々と詰めた鞄の中身も、空となるぐらいの時間が経ち最後の一つの食料を渡し終える。

そんな彼女の耳が、ある喧騒を捉えた。

「…むむ。さわぎ?」

触覚だと、まるでそう思わせるようにツインテールがリズミカルに揺れる。音のする方へ振り向いた視線の先に映るのは、幾人かの大人とそれに捕まった一人の少年。

少々やつれている彼は、まだまだ元気よく騒ぎ立ててはいるものの、大した問題はなさそうである。

ただ、強い好奇心ゆえかそれとも気まぐれか。彼女は視認したと共にその場所へと一気に駆け寄った。

「どーした?」

多数の野次馬、涙目のまま暴れる少年、そしてそれを抑える男性。そんな彼らのすぐ側の、少年を叱る男性に対して彼女は声をかけた。

騒ぎに興味が湧いた程度の感覚ではあれば、首を突っ込んであれこれ聞い回るのは迷惑行為になるだろう。

ただ、ユメカが声をかけたガタイのいい男は、ここ数日間で随分顔を合わせた仲である。ユメカがこう言った物事に手助けがしたくなるような人造人間であると、知っているのだ。

「いやあよ、こいつが家に戻るって言って聞かないんだ。もう何日も暴れててよ、説得しようにも俺達じゃどうにもならなくてな…。」

「ふぅむ…。」

その声にどのくらいの期待があったか、質問の答えをくれた相手に、ユメカはそう返事をした。

彼女は顎に手を当てて悩ましげに、どうするべきかと考え始める。

ここを放って置いても何ら問題は無いのだが、目の前で押さえつけられた少年をこのまま無視したくはなかったのだ。

彼女の仲間達であれば、この場を無視して通るような真似などしないであろうから。

「…わたしが、話す。」

それ故に、自分で出来る事なら出来るだけやってしまいたい。要するに、彼女は過度なお人好しであった。

「いや、あんたには仕事があるだろ?」

男性にそう返される。表情からは大人が部外者である少女に頼むことではないだろう、なんて感情が透けて見えた。

「終わった、問題ない。」

ただ、そんな声も無視して、捕まった少年に歩み寄っていく。

「私、ユメカ。」

思いっきり顔を近づけて、彼女はそう名乗ってみた。まずは名乗ることからが関係の基本であるが、この状況下でそれだけでは変であることは疑うべくもないだろう。

実際に名乗られた少年自体も、急に知らない奴が出てきたと思ったら何を言ってるんだ、という顔を作っていた。

「…?」

「だから、ユメカ。」

「…???」

「ユメカ。」

「ゆ、ユメカ…?」

「そう、ユメカ。」

「もしかして、名前?」

「そう、名前。」

大した意味もない問答、混乱極まる頭でも少年はなんとか対応する。今だ唖然とするような少年に対して、ユメカは仮面のごとくまるで表情を変えていない。

そんな彼女のペースに惑わされ、先程までは今にも噛みつかんばかりに暴れていた少年も、いつの間にか冷静さを取り戻させられていた。

ただ、それで彼の中の感情が消えきった訳では無い。反発された気持ちも、己に対しての不甲斐なさも、何もかもを忘れてはいないのだから。

そして隙を掴んでの一瞬、少年の掴まれた腕を無理やり外す。

まずい、と拘束していた男が思うのもつかの間、少年は後頭部彼へと勢いよく叩きつける。そうして怯んだことすら見ないまま、勢いに任せて逃げ出した。

彼はここ三日、何度も街に向かうのを止められて捕まえられているのだ。変な相手に絡まれたお陰でもあるが、多少の油断は掴めてくる。

ただ、その少年は知らなかった。彼女が人造人間であることを、そして人造人間と人間の身体能力の圧倒的差を。

抜け出して駆け出したその先の1歩、まずは始めが肝心だろう。ここで一気に突き放す事で、街まで逃げ切る可能性が高く上がるのだから。

ただ、次の瞬間少年の足が叩いたのは、硬い地面でもなんでもなく、まるで抵抗を感じない空そのものだったのだが。

「は…?」

いつの間にか、だ。後ろをすり抜けて振り切ろうとしたその時には、もうお腹の辺りを捕まれ持ち上げられていた。

あまりに動きが速すぎた故に、自然と2歩目を踏み出してしまっていたほど、気が付けば逃げ切るのはもう不可能になっていた。

「無茶はダメ、だぞ?」

今度こそ逃げ出せる、そして今回こそは家を目指す。そう期待を持って考えていた少年からすれば、それは理不尽そのものだっただろう。

それもぱっと出のよく分からない女の子がしてきたことである。意味も訳だって分からない。

「なんなんだよ!お前!!!」

ゴネて暴れてみても、どうにも掴まれた状態が安定さを欠く実感がない。大人の男よりも遥かに力が強いような、それこそ巨人の手で握り込まれていると疑いたくなるほどの力を感じる。

それなのに、まるで彼女の仮面の表情は崩れず、暴れて動く少年の事などそよ風ぐらいにしか思っていなさそうだ。

「迷惑、ダメ。」

「うるっさいなぁ!!!」

一切開放される気配がないため、少年は叫ぶことしか出来なくなった。どいつもこいつも余計な真似しかしてこない、もう後がないというのに。そんな焦りが、少年の身を責め立てているのだ。

だが抵抗らしい抵抗も出来ないまま、すぐ側の大人達へと少年は引き渡される。

今度はもう二度と逃げるチャンスもないだろう。もう逃げられないようにと、直ぐ様手足を縛り付けられてしまった。

雑な拘束ではあるが、別の街に人を移す作業もあと2日で終わる、要はそれまでの辛抱でもある。

「このニンゲンは?」

またしても、ガタイのいい男にユメカは話しかけた。どうして少年はこんな事をしているの?という意味である。言葉足らずが彼女の特徴だが、今回は何とか相手が察してくれたようだ。

「この子はリーアの襲撃で両親を亡くしてな、自分の家に取りたいものがあるって言って聞かないんだよ。」

「ふぅむ。」

「ただ、海岸沿いを離れるのは危険過ぎる。ここだって完全に安全って訳じゃないんだ、両親を失ってばかりなのは分かるんだが、そこにどんなものがあったって取りに行かせる訳には行かねぇよ…。」

「なるほど…。分かった。」

事情を聞き終えて、彼女は再び少年の方へと近づいて行った。啜り泣きを始めた少年の前で屈んで、視線を合わせる。

そして、どういう訳か、1分間ほど何もしなかった。ただ、見つめ合うだけの時間が生まれた。

「な、なんだよ…。」

流石に少年にも照れくささというものがある。掴めない彼女の行動原理が、照れさせると同時に増々少年の頭を混乱させた。

「取りたい、もの、なに?」

「…あ?」

「話、聞いた。私が、取る。」

「嫌だ。俺が取りに行く。」

即答だった、これだけは譲れない、譲る訳には行かないのだと傍からでも分かるほどに。

「むっ、ごうじょー。」

ありありと不満が出てきていた。彼が向かう危険を代わりにやると言ったのだからそれも当然か。

「あれは、俺が取らなきゃ意味無いんだよ…。誰かがとるんじゃダメだ…。」

最初とは違い消え入るような声で言われ、ユメカの表情が僅かに動く。

「むぅ…。」

不満そうに声を出して、ただ諦めたつもりもないまま一旦ユメカは少年の元を離れてみた。

少年の意思は硬い、これではユメカのどうにかしてあげたい気持ちも叶わないだろう。

少し歩きつつ考えを巡らせて、そうしてユメカは閃いたように目を見開いた。

そしてまた、ガタイのいい男の方へと向かっていく。

「あの子、借りていい?」

「ん?まあ、いいぜ…?」

「ありがとう。」

許可を貰ったのですぐさま少年の元へと駆け足で戻る。ただ今回位置するのは正面ではなく、その後ろ。

少年を拘束された手足、その縄の元である。軽く触って感触を確かめて、きつく縛ってあることと、それ故に解くのが手間である事にユメカは気がついた。

時間をかけて解いても良いのだが、もたついている合間に逃げられでもしたらまた面倒な話である。

仕方ない、彼女はそう心の中で呟いて、軽く脱力しつつ左手を空の方へと持ち上げる。

そうして勢いよく下へ下へと加速させていった、要するに、手刀である。

果たしてどんな手品があったのか、それはともかく、刃物で切ったような綺麗な切断面を残して縄が切れる。

そのまま同じように足の方も一閃、まるで素振りをするような気楽さで、少年の拘束は無くなった。

なんで解放したのなだろうか、そもそもどうやってこんな一瞬で?そんな少年の驚いた一瞬を逃さず、自由になった手をユメカはすぐさま掴み取る。

そして引き寄せては抱え込み思いっきり高く、飛んだ。

「は、はぁぁぁ…!?」

少年は叫び出すも、飛び上がった事による腹部への衝撃で肺を押されてすぐに声が出せなくなる。

そのままビルの3階程度には届きそうなぐらいの跳躍を見せ、周囲を見渡す。そして落下をしつつ確認し終えると、飛び上がった時が嘘のような衝撃の無さで着地した。同時に、少年の咳き込む声がする。

「なに、すんだよ…!」

「ニンゲン、無いところ。…知りたくて。」

「走ればよかっただろ!」

「それ、遅いもん…。」

まるで幼子のわがままのようである、走るのが遅いなんて言われて少年はまたしても面を食らった。

そのままなおも騒ぎ立てる少年を無視して、人気の無い方へと走り出す。暴れたところでユメカの力の前には為す術なく、体力を浪費するのみだが少年は懲りずに暴れていた。

何百メートルか走って、人も遠くになったところでユメカは立ち止まる。少年はようやく解放されて、乱雑に扱われた分だけユメカを睨んだ。

ただ、彼が彼女の無表情をいくら眺めても、その奥にある考えまでは透けては見えない。抗議の視線のつもりだが、まるで意図は伝わっていないようだ。

「で、こんな所に連れ出して何がしたいんだ、おま」

「───ユメカ。」

不満だったのだろう、息が届きそうなほどの距離まで顔を近づけられて、少年にそう圧をかけた。

彼女にとって名前というのは単なる記号とは違うものなのだ。今日1番、と言っても気が付けないほどではあるが表情が不満げに歪む。と言っても顔が近すぎる事に動揺した彼には分かりようもないが。

「な、何がしたいんだよ…。ユメカは。」

顔を赤らめながらも目を背けつつ少年は口にした。その様子を見て満足したのか、ユメカは言葉を続ける。

「私、運び屋。」

「おう。」

「届けるのが仕事。」

「そうだな…?」

意図が分からない、とばかりに少年は首を傾げた。それをわかって、ユメカも言葉を探す。

「だから、取って。届ける。ニンゲンの、探し物。」

それが仕事だからと、そんな風に彼女は口にした。それは、今まで彼女の口から出たどんな言葉よりも、少年には真剣に言ったように聞こえた。

いや、その瞬間に気がついたのだ。彼女の行動は変ではあるが、きっと、少年自体を助けたい故のものなのだと。

ただ彼の中にも意地というものがある。探し出すのも、手に取るのも、彼自身がその手で行わなくてはならないのだ。

「わかった、わかったけど、ダメだ。」

「む…。」

不満をありありと滲ませて、ユメカはそう答える。ただユメカ以上に真剣な眼差しが、その不満への答えそのものだった。

無理なものは無理である、つまるところ、彼女にはやらせて貰えないということだ。

「でも、街、危険…。」

リーアは最低でも三人以上の人造人間が連携して倒すような相手である。その上、リーアには近くの人間を感知する力もあるのだ。

単に大きな獣という訳では無い、街の中であれば勘づかれてしまう、そうなってしまえば人間に対処する術はない。

建物の中に逃げようともそれごと壊されるような巨体を持っている相手なのだ。

そんな存在の近くで探し物をするなど自殺行為である。

「危険なのは、分かってるよ…。散々止められたし…。」

それでも少年は辞める訳には行かない。死にたくは無い、でもこれからを生きていくのに、必要な物だと彼は感じているから。

ただそう思っていても、ユメカからすれば止めなければならない、彼が冷静なうちなら納得させられると、その可能性にかけて。

「でも…」

「だから、手を貸してほしい。俺一人だと無理でも、ユメカは行けると思ってるんだろ?2人なら、行ってもいい。」

「むむむ…。」

そう来たか、とユメカは頭を悩ませた。リーアと1対1で勝てるかと言われればかなり怪しい話であるが、ユメカが居れば生存率は跳ね上がる。

ただ危険であることには変わりなく、下手すれば共に死ぬのみだ。

だが、これを断ってしまえば、少年は隙を見て必ず街へと繰り出してしまうだろう。

葛藤は、ある。彼を拘束する事で少なくとも死ぬことはない。リスクを考えるなら、間違いなくそうするべきだ。

だが、それは彼にとって、死ぬことより上等と言えるのだろうか。

「分かった。やる。」

故に、提案を呑むしか無かった。ただそうするならそうするで、彼女は必ず守り切るのだと覚悟を決める。

「その依頼、わたしが、受けて立つ…!」

「受けてやる!だろそれ。」

そう言って、初めて少年が微笑んだ。掴みどころがない変な相手だと思ってみれば、急に優しさが見えてきて、そんなユメカに惹かれ始めていた。

「そういえば名前、言ってなかったよな。ジャックだ。よろしくな。」

「ジャック…。うむ、覚えた。」

両者は固く握手を交わす。少しぐらい少年も、心を開いて来たのかもしれない。

「でも、変に素直。風邪引いた?」

「喧嘩売ってんのかよ、お前!!!」

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