第6話 あんなの自作ゴスペルにきよかはしびれた
私は目を細めて言った。
「この歌は、あんなちゃんの自作ゴスペルってわけね。
これから、日本に広まればいいのにね」
あんなは答えた。
「この自作ゴスペルは自分のためではなく、人のためでもない。
ただ神を賛美するためのものです」
私は、新しい歌のジャンルだと思った。
私が今まで歌ってきた恋の歌や応援歌でもなければ、ジャズや演歌でもない。
人類をおつくりになり、人間の罪のあがないとして十字架に架かられたイエスキリストをあらわす歌なのね。
理奈が亡くなった今、もう新しい恋の歌など歌えなくなっていたきよこは、マスコミも出演しなくなっていた。
以前は、きよこは賞を受賞するというよりも、丸井きよこ賞という賞ができたのではないかと称賛されていたが、もうそれも不可能になってしまった。
思えば私は、故郷の高校一年まではカトリックの女子高に通っていたの。
そこでは、女神と呼ばれ、聖書を勉強していたの。
芸能界に入ってからも、神への祈りは欠かせなかった。
毎晩、手を合わせては
「神様、今日も守って頂いて有難うございました。明日も幸せでありますように」
しかし私は、その幸せという意味がわかっていなかったの。
今から思うと、売れれば売れるほど、まるで火薬が頭上に降りかかるように、次から次へと襲いかかるスキャンダルに見舞われる羽目になる。
しかし芸能界の荒波にもまれながらも、憎しみや恨みに汚れることがなかったのは、神からの守りがあったからだろう。
デビューして半年目、同期の男性アイドルと仲良くしたのが原因で、男性アイドルのファンからは階段から突き落とされたこともある。
「ギャッハッハー。真っ逆さまのバカきよこ」
私は、そんな嘲笑を哀れなものとして受け止めていたわ。
このことも、神への祈りと母の「それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう」という慰めとも期待とも言える言葉があったからだろう。
きよこは理奈が、原因不明の自殺を図ったとき、毎日お祈りしている神に矛盾を感じ、呪ったことさえある。
確かに私は、芸能界としての地位と富を確立してきた。
しかし、それと引き換えに、理奈を始めとする家族にまで危害が及ぶマスコミ攻勢、名誉棄損ともいうべき中傷を週刊誌に書かれ、落ち込んだことの連続である。
しかし、落ち込んでるヒマがあれば、私は母から料理を習うことにしたの。
おかげで、私のつくる料理はどれも美味しいと評判だったわ。
実際、理奈の父親である元夫は、新婚時代、私の料理のおかげで太ってしまったほどだった。
いりこ入りの味噌汁、小さなハンバーグなど、私は和洋中の料理をつくれるようになった。
元夫曰く
「彼女(私のこと)人間はいい人ですよ。だから僕は今でも、彼女の悪口を聞くと腹がたちますよ」
また、私の好きだった演歌もよく覚えてくれていたという。
まあ、憎しみあって別れたわけでもなく、お互いのすれ違いが多すぎたのが原因だったのであるが。
アイドル時代、楽屋で着替えをするときは、下着姿のままだったが、それで女の子として大切なものを失くしたとは思っていなかった。
女の子としての大切なものとは、やさしさと思いやりだと思っていた。
だから、一回り年上の女性マネージャーに、いらついた物言いをしたときは、自分の声にぞっとしたものだったわ。
ベストテン番組で、連続一位だったのが、その地位を奪われた高森秋穗が、楽屋で口紅がないと困っていたとき、私はすかさず自分の口紅を差しだしたわ。
「私ので良かったら使って」
秋穂は心底、驚いたように目を丸くしていた。
私はマスメディアにはあきほとは犬猿の仲などと面白おかしく書かれていたが、そうではなかったのよ。
そのとき、あきほのマネージャーが飛んできて、それを制したのであるが、秋穂は私に安心したような微笑みを浮かべていた。
歌謡番組で秋穂曰く
「きよこさんにはお世話になりました。
私がスキャンダルで落ち込んでいると、私の目をじっと見つめ
『負けちゃだめよ』
私はこの言葉に励まされました。
きよこさんって、まるで妖精か人形みたい」
私は新人が
「うわっ、きよこさんですね。私、きよこさんみたいになりたかったんですよ」
と言われると、可哀そうにと思っていたの。
成功するという保証はどこにもにし、たとえ成功したとしても、これからいろんな苦労が待ち受けているんだろうな。
私は生まれ変わっても歌手になりたい。しかし、身内がなりたいといえば、断固として反対するだろう。
芸能界はきらびやかな世界で、いいこともたくさんあるけれど、言い知れぬ苦労もある。こんな苦労は私だけでたくさんと痛感していた。
私は楽屋の挨拶まわりはしなかった。
というよりも、いつも共演者のマネージャーが楽屋に挨拶してきたので、挨拶する必要がなかったのだった。
女王きよこのプライドなんて妙な誤解をする人もいるが、決してそうではなかった。
しかし、私は楽屋では新人が入ってくると、自分から話しかけるようにしている。
新人は挨拶しても知らんぷり、一人部屋の隅にいる。
無理もない。新人がデビューすると、今までのスターが消えていくからである。
新人時代のかつての私がそうだったので、いたためられなくなり、声をかけるようにしているわ。
芸能界のゴッドマザーと言われている和田あさ子は、新人時代はボーイッシュなイメージで売っていた。
売れるに従い、先輩からのイビリが目だってきたという。
「私、女、あなた男、男の前では着替えられない。出て行ってよ」とか、
「おい、大女、カメラでは俺の前に立つな。俺が映らなくなるのを計算してるんだろう」
しかし、和田あさ子は、確かに貫禄のある大女であり、歌も日本人離れしたハスキーボイスである。
こういった前代未聞のパンチのある人が歌謡界に入ってくると、先輩がかすみ、そのうちにフェイドアウトしていくのも無理はなかろう。
まさに、芸能界は生き馬の目を抜く世界であり、自分以外は敵である。
また、上沼えり子も売れない時代、演芸場で先輩方にいびられたという。
その演芸場は、いわゆる売れない二流芸人の最後の砦のような劇場で、楽屋はいつも戦々恐々としていた。
当時、上沼えり子はまだ十七歳で漫才界の白雪姫というキャッチフレーズで売りだし中の時代である。
姉とコンビを組んで漫才をしていたが、男女共の大部屋楽屋で、姉をタテにして着替えをしていると、男性先輩から
「女芸人たるもの、楽屋で素っ裸になって走り回らんかい」
などと、今ならセクハラ、パワハラ認定確定の言葉を浴びせられたという。
また、ホットカーラーを隠されたり、靴にテープを貼られて、足首をねんざしそうになったこともあったという。
ある日、楽屋でハンバーグ定食を食べていると、鳥かご持参の女性先輩から、小鳥を飛ばされ、ハンバーグの上に止まり、小鳥がハンバーグソースのなかに沈んでいったにも関わらず、
「あーあ、小鳥のピーコちゃん、可哀そうね」
あきらかな嫌がらせであろう。
まあ、その当時は女性芸人に対する差別はひどかったというが、あまりにも非常識な行為だろう。
こういった三流の人間性だから、芸以前に世間で受け入れられないのは当然であるが。
上沼えり子は決意した。
「ああ、こんなところにいつまでもくすぶっていては、私自身が腐ってしまう。
なんとしてでも、売れるようにならなければ。
そしてその他大勢の妬みから足を引っ張られないほどの、大物にならなければ」
と決意したという。
そうすれば、本当にビッグスターになって東京で活躍できるようになった。
まさに、演芸場から始まった汗と涙のサクセスストーリーである。
私丸井きよこは並外れた根性の持ち主で血のにじむような努力と、常識を越えた判断力でトップスターの座を築いた。
そのひきかえに、いちばん大切な命の半分を、神様は奪い去ったのかもしれない。
いや違う。神様は、我が子を失った人の悲しみを理解するために、苦しみをお与えになったに違いない。
神様は、乗り越えられない試練をお与えにならない。
神様はきっと、理奈をこの世の苦しみから解放したかったに違いない。
コロナ渦でもあり、いつかあせていく若さと人気を失う苦しみから、理奈を解放させたかったかもしれない。
現在、理奈は天国で神様の元にいる。
天国は病気も身障者もなく、結婚も離婚もなく、人間と動物が花に囲まれて暮らしている争いのない平和な世界である。
私の手を飛び立った理奈は、神様の手にバトンタッチされたの。
今は、神様の庇護のもとで永遠の命を手にいれたに違いないわ。
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