第5話 丸井きよこの娘理奈へのしつけ方
今になって思うが、娘理奈は私の前では、優等生の仮面を被っていたのだろうか?
どんなときにも涙を見せないで、天使のような微笑みを浮かべているのは、私への気遣いだったのだろうか?
理奈は強い子だから、ものごとに後悔して愚痴をこぼすことはなかったが、このことは私と共通している。
理奈は仕事先のホテルから飛び降り自殺をしたことは事実であり、その原因は今だかつて明確にはわかっていない。
しかしそののち、きっと神様が理奈を腕に抱えながら、天国に昇っていったに違いない。
あんなは理奈が好きだった、かすみ草を抱えながら、なつかしむように言った。
「理奈ちゃんの言葉、いつも心に残ってるんですよ。
これから、一生忘れることもないでしょう」
私は興味深く聞いていたわ。
「理奈ちゃんの好きなかすみ草は、いつも真っ白。
雨に打たれても、踏みつけられても、白であることには変わらない。
かすみ草の細い茎は、風が吹いても嵐が吹いても、頑固な太い枝のようにポキリと折れることなく、細い柳の枝のようにただなびいている。
お互いそんな生き方ができたらいいね」
私は思わず感心した。
「柳に風と受け流す」「気に入らぬ風もあろうか、柳かな」ということわざがあるが、私自身も無意識のうちにそれを実行してきたつもりだったわ。
マスメディアのゴシップなど気に病んでも、一向に収まることはない。
そんなことに気を使うなら、歌、ダンス、そして家事の勉強をすべきであるということに痛感させられたわ。
しかし、一方で有名税といわれるマスメディアの攻撃は、人気のバロメーターでもあることは、まぎれもない事実であったが。
私の場合は、母という相談相手がいるから、心が乱れることはなかったの。
むしろ「それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう」という母の言葉を聞くたびに、心がスーッとしたものである。
そして、私も理奈にその言葉を受け継いできたのである。
あんなは、納得したように話を続けた。
「かすみ草のように白であるためには、相当強い精神力が必要なんじゃないかな。
なんて思いましたよ。
美しさは同時に強さであり、その強さは更なる美しさへと進化していく。
きよこさんの美しさを、理奈さんはそのまま受け継いでたんじゃないかな、と考えてるんですよ」
私は、あんなの話に感激して涙を流した。
これは、亡くなってしまった理奈の供養につながるのではないかという慰めの言葉だったわ。
私は答えた。
「芸能界で生き抜くためには、後ろを振り返っちゃダメ。
短時間で覚えなければならないことも多いわ。
レコーディングでも、その日のうちにメロディーと歌詞を渡されることが多いんですよ」
あんなは、あっけにとられたような表情で言った。
「えっ、メロディーだけでも覚えるのは大変じゃないですか。
それに歌詞の内容を理解して、メロディーに乗せていくなんて、至難の業ですね。だからこそ、きよこさんの歌には、説得力があるんですね」
私丸井きよこの歌は、一枚岩ではなく、何度も歌詞を区切るようにして歌う、独特の歌い方である。
私は答えた。
「私は、今がどんなに暗くても、明日には光が見えてきて、その光に包まれながら、新しい自分が生まれると信じてるの。
常に前を向いて、新しいことを模索しながらでないと、生き残っていけない。
私がアメリカに進出したのもそのためだったのよ。
ひとつは、理奈をマスメディアの目から遠ざける意味でもあったけどね」
あんなは天を見上げながら言った。
「私と私の母は、理奈ちゃんのファンであったと同時に、きよこさんのファンでした。
自殺という道を選ぶ人は、各々その人しかその気持ちはわからない。
いくら環境に恵まれ、健康で、金銭に不自由していないように見える人でも、自殺の道を選ぶ人はいる。
目に見えない不安や絶望、他者に対する憎しみなど、本人の精神状態が問題だと思うんです。
きっと理奈ちゃんは、飛び降りた後、神様が理奈ちゃんの魂を天へと連れて行ったんだと思います。
今の理奈ちゃんは、きっときよこさんを見守ってくれていますよ。
きよこさんが天国に行けるように導いて下さっているのかもしれない」
私はそれを聞き終えるや否や仰天し、号泣してしまったが、話を続けた。
「だから、間違っても天国にいる理奈ちゃんを悲しませるようなことをしてはなりませんよ。理奈ちゃんは、いつもきよこさんを見張っているのですからね」
私はそれを聞き終えるや否や、涙をぬぐおうとはせず、まるで涙を振り絞るようにまた新たに泣き出してしまった。
デビューのときは、嘘泣きぶりっ子などと揶揄されていたが、今も昔も決して嘘泣きではないのよ。
突然あんなは、ソプラノでゴスペルを歌い出した。
私が今まで聞いたことのない、美しい透明感のある、人の心の奥にある魂にまで響くような歌声だった。
あんな曰く
「私は今、繁華街でひとりアカペラを歌っているんです。
複数や楽器やカセットデッキの持ち込みなら、警察の許可が必要ですが、ひとりアカペラなら、なんの問題もありません。
一昔前は、風俗雑誌を配布している反社まがいのリーダーから、じろりとにらまれたりしたものです。
その反社まがいは、なんと腕に女性のヌード写真のタトーを私に見せびらかしたりするんですよ。
脅しているつもりでしょうが、私はそんなことに負けるわけにはいかない。
堂々と歌っていると、反社まがいはあきらめましたよ」
私とあんなは、顔を見合わせて吹き出した
「すごい度胸の持ち主ね。やはり神様がついているからかな?」
ふとした私の言葉に、あんなは頷いて言った。
「私は、神から愛され、肩を引き寄せられていると確信しています」
そういえば、私は高校一年の終わりまでカトリックの高校に通っていて、讃美歌を歌っていたのだった。
讃美歌の周りには、天使が飛ぶという。
私は、ため息まじりに訴えるようにあんなに言った。
「私は歌が好きだけど、でも人前で歌うことのできるのは、あくまで私がスターとして売れているときだけ。
そのひきかえに、マスメディアの攻撃があったり、売れていると金銭目当てで近づいて来る人もあとを絶たない。
第一私が歌うのは、恋のうたと応援歌だけだった。
でも、理奈が亡くなった今、それも歌うことは難しい。
あんなちゃんは、純粋に神を称えているのね。
これって、人間として幸せなことよ」
あんなは微笑みながら答えた。
「私は、きよこさんのクリスマスディナーショーみたいに豪華なホテルのステージで、カクテルライトに照らされ、着飾ったファンに声援を浴びながら歌うなんてことは、夢のそのまた夢です。
でも、繁華街の道端で歌っていると、歌うまいね。もっと歌ってなどと励ましてくれる人も、いるんですよ。
もちろん、投げ銭はありませんがね」
私は頷きながら言った。
「私達の職業は、いくら声援を浴びて、大金が入ってきても、いやそうであればあるほど、まるで孤独の檻に入れられたような寂しさと孤独感にかられるの。
だって、名誉や人気もいつまで続くかわからないし、大金が入れば入るほど、それとは正反対の貧困家庭の人に対して、申し訳ないような気がして憂鬱になるの。
だから、私はなるべく赤十字社やあしながおじさんに寄付するようにしているわ」
あんなも頷いて言った。
「私は、三か月前からキリスト教会に通い始めましたが、収入の十分の一だけ捧げるという什一返金をしています。
だって、私達がこうやって働けるのも、十分の一いやそれ以上は神の働きですものね。だから神に十分の一だけお返しするという考え方なんですよ。
事実、什一返金をして、赤字になった人はいないといいます。
商売人は、赤字になるかもと危惧しても、不思議と必要な商売道具が半額以下の安価で手に入ったり、また返ってこない筈の金銭が帰ってきたりするという話を、聞いたことがあります」
私は、微笑みながら言った。
「不思議な話ね。やっぱり神様ってどこかで見ているのかな。
そういえば、私は意地悪をした人を憎む心があれば、それがすぐ顔に出てくるの。母はそれを見抜いて、私が人を憎まないように配慮してくれたのね」
あんなはきよこがうらやましく思った。
「素晴らしいというか、偉大なビッグママですね。
でも、すべての人がきよこさんみたいではないですよ」
今から、私のつくった曲をご披露します。
突然あんなは歌い出した。
♪さあ行こう 勇気を出して イエスをあらわす為に
この世で生きる意味が やっとわかったのさ
リストカットする勇気もなくて 刹那の快楽求めていた
そんな私を変えさせたのは イエスキリスト
マネー マザー マンスリー Mサイズ Mで始まるこの世
不安の陰にまつわる 笑顔の仮面外し
文明の利器もヒューマニズムも 解決策はどこにもなくて
人生の地図を与えてくれた イエスキリスト
私は、目を閉じて聞き入っていた。
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