第3話 娘理奈は、私と同じ道を歩み始めた
デビューしてからは、苦労の連続だったが、私は生まれ変わってももう一度歌手になりたい。
しかしもし私の子供が歌手になりたいといったら、断固として反対するだろう。
こんな苦労は私一人だけで充分だわ。
できたら、自分の子供には人の心身をいやす医者になってほしいと願っていたわ。
しかし娘理奈は、やはり歌手になりたいと言い出し、十六歳のときCDデビューを果たし、ドラマにも出演したが、パッとせず、飲食店の正社員になる予定だったの。
しかし、理奈と共演した師匠でもある大先輩から、このまま引退するのは勿体ないとミュージカル女優への道を勧められたわ。
理奈は私同様、後悔しないために誰よりも努力し、道を突っ走るタイプなのよ。
オーディションのときは
「私が有名人の娘だから、選ばれたのですか?」
と質問したが、審査員の答えは違っていた。
「私はあなたを、根性のある人と見込んだのです。
これからは厳しく険しい道ですが、どうかミュージカルスターの道を突き進んでいって下さい。
そして、人の二倍は努力し、礼儀正しくして下さい。
あなたは常に注目される立場でいるのですから」
私は理奈のことが心配であったが、同時に私の顔に泥を塗るようなことがないように見張っていたことも事実だったの。
いや、理奈のためなら、今まで積み上げてきた歌手としての名誉を失ってもいいとさえ思い始めたくらいよ。
やはり私もアメリカに渡米したものの、歌手としての限界を感じ始めていたことは事実だったわ。
今の若いユニットグループにはついていけない。
あれほど賑わわせてくれた週刊誌も、もう取材にもこない。
私の繁栄期は終わったけれど、でも歌は私にとっては酸素のようなもの。
若い頃のような透明感のあるソプラノは出せなくなったけれど、その代わり歌い方に強弱をつけ、工夫を込めるようにしているの。
クリスマスのディナーショーは四万円を超える値段だけど、三か月前に完売。
そう、私には昔からの根強いファンがついているのよ。
理奈はやはり私に似ていて、人の二倍努力し、足を骨折しても練習に励んだわ。
また理奈を指導して下さる先輩もいて、そのおかげで理奈はデビューして間もなく主役の座をつかめるようになったわ。
私の心配は杞憂に終わり、これからは私は理奈を頼りにして生きていこうと思うほどだったのよ。
理奈曰く
「ママとの関係は、環境の変化にとまどうこともあるけれど、毎朝五時に起きて弁当をつくってくれるママを、尊敬しています」
私は理奈と一緒に紅白歌合戦に出場したこともあり、思わず理奈に頬ずりしたわ。
娘は私の命半分の筈だった。
理奈が三十五歳になったとき、もう私はこれで一安心だと思ったわ。
私は声が衰える一方で、不安にかられていたことも事実よ。
でも、声がでなくなるまで、歌い続けるしかない。
私は歌い方を工夫し、感情を込めることにしたわ。
コロナ渦もあり、これからはファンの人中心に、マイペースで活動していくつもりだったの。
もう今は、うるさいマスコミも私を追いかけてくることもない。
理奈はすでにミュージカル界のトップスターで、スケジュールは二年後まで埋まっていたわ。
今は理奈は、娘というよりも私の親友であり、私よりしっかりしていて、
「高声がでなくなったらどうしよう」と言うと理奈はすかさず
「大丈夫。私がソプラノでカバーするから。その分、ママは低音で説得ある歌い方をしてほしい」
なんというグッドアイディア!
私がうるさく躾けたせいか、頼りになる娘だわ。
ところが、人生はいつも誰にも予測できない想定外のことが起る。
コロナ渦のなかで、ようやく得たクリスマスディナーショーの二日目が終わったあと、なんと娘理奈の自殺を聞かされたのだったわ。
この事実は、ディナーショーが終わったあとに聞かされたのよ。
もし、ディナーショーの途中に理奈の自殺を聞かされたら、失神して歌えなくなってしまうからだろう。
私は一瞬、信じられなかったわ。
まるで一昔流行ったどっきりカメラのようだったわ。
冗談でしょうと叫び出そうとしたが、スタッフの深刻そうな顔を見ると、そうではないことを確信したの。
理奈の遺体に駆け付けたときは、理奈の前身は冷たくなったマネキン人形のようだったの。
私は理奈に追いすがって、号泣したわ。
私の体温を理奈にあげれば、理奈はきっと息を吹き返す筈。
そう思って理奈を抱きしめたが、かなわなかった。
私は、医者と警察がとめるのにも関わらず、理奈にほおずりをしながら、冷たくなった身体を抱きしめたわ。
私の体温が理奈に伝わったら、理奈は息を吹き返すに違いない。
しかし二十時間たっても、理奈は生き返ることはなく、冷たくなったマネキン人形のように横たわったままだったわ。
恐怖にも似た深い悲しみが私を襲った。
芸能界での苦労とは違う、絶望にも似た悲しみ。
私は理奈のために何をしてやることはできなかった。理奈は私を頼りにしているのではなかったというふがいなさ。
いや、もしかして理奈がこの世で命を断ったのは、なんらかの理由で私のスターとしての顔をつぶすと考えたのかもしれない。
私は、理奈が骨折してでも練習を続けるのをみて、思わず悲嘆にくれたこともある。
もしかして、理奈はこれ以上、私に心配をかけさせまいとして、自ら命を断ったのかもしれない。
そんな想像が頭を巡らしたわ。
私は歌手としての今までの地位、名声、金銭すべてを犠牲にしてもいい。
私が今まで頑張ってこれたのは、理奈がいたからだったの。
私は理奈から新しい命を頂いていたといっても、過言ではない。
理奈のいない世界は、光の見えない冷たい世界であり、私は頑張る意味がなくなってしまう。
私は心身共に憔悴しながら、私と理奈の好きだったプリムラの植木鉢を理奈に見立て、理奈に話しかけていた。
理奈の部屋は、今でも理奈がいたままにしているわ。
「天国の理奈ちゃん。いつもママを見守ってくれてるね。
ママはもう歌えないかもしれないけれど、今はママの心臓に、理奈ちゃんの命を取り入れてる最中なの。
そうしなきゃ、ママはママでなくなってしまう。
これからは、ママの代わりに神様が理奈を見守ってくれてるわ」
私は理奈の墓を訪れた。
ふと後ろを見ると、理奈に面影が似た同い年くらいの少女が立っていた。
「私、あんなといいます。理奈さんと中学の同級生でした」
私は意外だったわ。
理奈は中学時代は、転校四回で友達もつくるヒマはないと思っていた。
「私、生れながらの心臓病で、おまけに理由あり家庭、そんな私と友達になってくれたのは、理奈ちゃんが初めてでした」
私は目を丸くして、あんなの話に聞き入っていたわ。
「正直に白状しちゃいます。私、一か月前に亡くなった有名暴力団組長 岡田一樹の長女です。 父は私のことを誰よりも愛してくれました。
こんなことを、公けの場で発言すると、極道の娘が何言っているんだと、非難を浴びても不思議はないですが、父は、いつも弱い立場の人の味方でした。
誰からも相手にされず、親戚さえも避けられている弱い立場の人のことを、自分のこと以上に考える人でした」
私は思わず、意外だな、いくら暴力団組長といっても、やはり娘には良き父親だったんだなあ。
私は感心したような表情になったが、冗談半分に
「じゃあ、厳しさのあまり、手を上げることはなかったのかな?
なーんて、そんなの昭和の頑固親父そのものですね」
あんなは苦笑しながら
「父に叱られた記憶ってあまりないですね。
父はあまり怒ったりしない人でした。怒ることによって、人間が変わるものじゃないというのが、父の持論でした」
そういえば、私も理奈を叱りつけたことはあったが、感情的に怒ったことは少なかったわ。
いくら自分が理奈にこうしてほしいと思っても、理奈には理奈の考え方がある。
それは、環境や時代の違いによって、生まるものだったから。
「父は外でも家の中でも、四六時中五人の子分に囲まれていましたが、親分子分の上下関係というよりは、まるで本当の家族みたいでしたね。
食事も一緒にして、母は子分に小学校五年程度の漢字を教えてやっていました」
父親である岡田一樹のことを目を細めて語るあんなに、父子愛を感じた。
それは、暴力団ではないカタギの親子の父子愛とまったく変わりはなかった。
私は、思わず思ったことを口にしてしまったの。
「こんなことを言うと失礼だけど、反社の子供っていじめられたりして、苦労を負うんじゃないの?」
あんなの表情は少し曇り、そして悲しそうに答えた。
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