鈴蘭の園


 “鈴蘭の園”という名称は、とうの昔に忘れ去られた。

 元から大した意味はない。

 あれはただのあだ名だ。

 “谷間の百合すずらん”と、谷間の秘境を重ね合わせただけの。


 今や苔に覆われた終わった土地。

 鈴なりの花はもう二度と、咲かない。


 少女の脳裏には惨劇さんげきの記憶が、焼き付いていた。


 人々が争い、武器を向け合う。

 グロテスクな肉が焼け、腐敗。

 戦士の断末魔が、爆発音のように響いた。


 現実は赤褐色に塗り替えられる。

 悪夢に取り込まれたかのような恐怖に青ざめ、両腕を抱えた。


 もう一歩も進めない。


 こんな場所、戻ってこなければよかった。


 目をギュッとつぶり、しゃがみ込む。


 喪服姿の女性が後ろに立ち、そっと彼女の肩に触れた。


「行きましょう。あなたには向き合う権利がある」


 やや低い声でゆっくりとささやく。


 もう一度顔を上げると景色は元に戻っていた。

 土の落ち着いた匂いが心を慰める。

 空気はしっとりとしていて、赴き深い。


「なんだか懐かしいですね」


 アイビーが満足げにつぶやいた。


 カリンはまだ緊張感を持って、周囲を見やる。

 枯れた地表には怨念おんねんの名残が漂っていた。

 カリンは目を閉じ、ダイヤモンドの杖を天に掲げる。


 報われぬ魂に救いを……。


 祈りを捧げると淡い光がカーテンのように全体を包み、足元にはさざなみが立つ。


 これで彼らも浄化されたかな。

 

 アイビーが生温かい目で見守る中、カリンは里の奥へと足を踏み入れる。


 茂みに隠れるように神殿は残っていた。

 目を閉じ気持ちを鎮めると、神秘的な輝きが降り注ぎ、心に雫のように落ちる。

 自然と一体化したような巫女の姿を、喪服姿の女性は腕を組んで、眺めていた。


 やがて光は空気に溶けるように消え、静寂のみが残される。

 森に埋もれた遺構は、時を戻せない。

 もう何年もとむらわれず、忘れ去られていた。


 カリンが来なければきっと一生……。


 頭上に雲がかすめ、少女の顔にほの暗い影がかかった。

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