血の色の光景

 ある夏の日、王国と帝国の間で戦争が勃発ぼっぱつ。領土を求め、攻めてきた。帝国側は国境沿いの高い壁を嫌い、平地へ迂回うかい。村は道路として踏み潰された。


 兵士は物資を求め、家屋に攻め入った。村人が抵抗すると、これ幸いと虐殺ぎゃくさつを始める。


「逃げなさい。その力がある限り、神様はあなたを守ってくれるから」


 安心させるように呼びかけてから、ひとつ結びの女性は武器を手に飛び出した。遠ざかる影にまた別の女性の姿が重なり、亡霊のように消える。


「待って、母さん」


 血の繋がりのない母に手を伸ばし、カリンも後を追いかける。


 外は悲惨な有り様だった。家に火が放たれる。丸太のように住民が横たわり、あたりは朱に染まった。


 広場の中心には帝国の装備を身にまとい、高笑いをする男の姿。刃こぼれした剣にはべったりと脂と血がこびりつき、生々しい臭いを放っていた。


 動悸のように鼓動が加速する中、脳内に灼熱の景色が差し込まれる。


 古い風習が残る里。

 力を奪い合い、内紛を起こし、その隙を突かれた滅びた故郷。

 帝国兵が現れ、みんな殺していった。

 あのときと同じじゃないか……!


 充満する鉄の臭い。体の奥底に熱が灯り、不思議な力があふれてくる。気が付くと彼女の体はダイヤモンドのような輝きを帯びていた。


 薄暗がりに唐突に生じた光源に敵も気づく。


「なるほど、こんなところに隠れていたとはな」


 怪訝けげんげに目を眇めてから、口角を上げる。獲物を見つけたハンターのようだった。


「だが、哀れな。それは攻撃用の力ではないんだよ」


 煽るように声を荒げながら、武器を振り下ろす。喜々として殺しにかかってきた。


 死ぬ。終わりだ。


 戦意が波が引くように失われ、体が冷たくなる。

 目を見張ったまま、動けない。

 張り詰めた神経が時を引き伸ばし、男の動きをスローモーションに見せた。


 そのとき、新たな人の気配が生じ、敵が動きを止める。帝国兵は水を差されたように顔をしかめながら、入り口を見た。


 蒼い森を背に立つのは棍棒と剣を手にした少年。うつむき、腕を下げた彼は左手から湯気のようなオーラを発していた。


「貴様が何者かは知らぬが、一足遅かったな」


 男の言う通り、村は壊滅かいめつ。処理を終えた兵士がぞろぞろと表に出てきて、二人を囲う。逃げ場はなかった。


「さあ、動くなよ」


 相手は口の端をつり上げるなり、凄まじい速度で少女を取り押さえた。

 血に臭いを近くで感じ、鳥肌が立つ。がっしりとした腕の中でカリンはもがくが、無駄な抵抗だった。


「シャドウ、逃げて! もう放っておいて。私のこと嫌いなんでしょ?」


 一方、彼の目には敵兵のことなど映っていなかった。


 丸い瞳をかすめたのは炎で燃やされた家々、散らばる木片に、地面に投げ出された子どもや若者……。


 見知った人物が無惨むざんにも殺され、日常を台無しにされた様。その中心で彼は剣を握りしめる。顔を上げると赤い色が両目からほとばしった。


 稲妻のごとき明滅。彼が勢いよくさやを抜くと、真紅の刃がひらめいた。一瞬で空気が変わる。寒々しい風に包まれながら、少年はゆるりと一歩を踏み出した。


「赤月よ、あがなえ」


 赤黒い斬撃が一閃した。ざわめく暇もなく兵士が薙ぎ払われ、時が凍りつく。


 器用にも少女だけを避けて通った攻撃。彼女の頭上で水平に鋭いものがかすめた。拘束がほどけ、あっけなく落ちる。地べたに伏せた少女は唖然あぜんと前を見た。その傍らでボトッと男の腕が転がり、縦長のシルエットが横たわった。


 荒ぶる風をまといながら少年が禍々まがまがしい剣を下ろす。封印を解いたような異様な気配。痛いほどに刺す空気の震え。風圧に耐えあえぐように身を乗り出そうと、手を伸ばす。


 シルエットをなぞった指の先で、少年が身をひるがえし、闇の向こうへ姿を消した。カリンは力なく腕を下ろし、地面に手をつける。残ったのは跡形も残らない村だけ。兵士たちも全滅していた。

 どうすればいいのかも分からない。自分の道すら失いそうだった。


 脳内に込み上げたのは昔の記憶。カリンの二倍の力を有し、彼女を守るために戦い、散った存在だった。互いに同じ目をしていながら、まるで違う強さを持ったおのれの分身。名をリエという。


「お姉ちゃん……」


 彼女の勇姿はいまだに心に焼き付いている。力強い雄叫びも、剣を振るう姿も、丸太のように切り裂かれた最期も。

 もうなにも失いたくなかった。それなのに、過去は何度でも追いつき、全てを奪っていく……。


 だけど、いつまでもくじけてはいられない。自分はまだ、生きている。顔を上げ、泥だらけの足で立ち上がった。

 眼光鋭く見据えた先には薄暗い森が広がるだけ。彼女はその先の明日を見据える。

 後戻りはできなかった。

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