魔王になった彼に追いすがり、決着をつけに行く

白雪花房

過去の話

「覚悟して。もう逃さないわ」


 澄み切った淡い空の下、透き通った声は砂塵を払う風のように、荒野に響いた。

 赤茶色の荒野に聖女の白いローブだけが、清らかに浮かび上がる。硬質な光を宿した瞳が見据える先に、真紅の魔剣を握りしめた青年が構え、黒いマントをなびかせていた。


 彼はすっかり変わり果て、魔王として世界を敵に回す姿に、かつての面影はない。相対する度に胸が軋み、心に暗い影がかすめる。

 ようやくたどり着いた、決戦の地に。


 春を待ち望む季節、聖女と魔王は共に武器を向け合った。


 心臓が押しつぶされそうな緊張感の中、聖女は目を伏せる。彼女の脳裏に誰もいない景色がよぎった。緑色の、空っぽな村。ただの少女でいられたころの記憶――

 もう二度と取り戻せない、追憶の欠片だった。


 ***


 カリン。

 彼が名を呼んでくれた日が今や懐かしい。


 少女は丸みを帯びた目の形をした、柔らかな顔立ちをしている。栗色のセミロングが肩を撫で、カントリー風のエプロンドレスを好んで着ていた。


 外部からやってきた彼女を住民があっさりと受け入れたたのは、いかにも無害そうな容姿のおかげだろう。ナチュラルな雰囲気の少女は、素朴な村リヤンに合っていた。


 王国の端に位置し、蒼色の森に隠れる場所。なにもないがゆえに落ち着いた空気で満ちていた。


 その日は薬草採取のために外に出る。籠を青緑でいっぱいにし、踵を返そうとしたとき、背後でガサッと軽い音がした。茂みのほうを向いたカリンは表情を固め、身を強張らせる。


 現れたのは火色の毛をなびかせたネズミだった。一匹飛び出したかと思うとチューチューと仲間を呼び寄せる。自身が蜜で惹きつける花になったように、あっという間に囲まれた。


「あああああ! やめてよね。食べてもチーズの味とかしないわよ!」


 悲鳴を上げ、逃げ惑う少女。うっかり蒼い森の中に入り込んでしまった。しかも、走った先は突き当たり。


 どうしよう……。


 弱々しい顔で振り返ったとき、目の前に打撃が飛来する。一瞬、自分に向けられたのかと思った。ギョッと表情を固めた少女のほうに、魔物の残骸が降ってくる。

 火ネズミはあっけなく消し飛び、群れは一掃された。ぼんと爆発したかのような煙が発生する。くすんだ景色の奥に、中肉中背のシルエットが浮かび上がった。


「なにやってんだ、腰抜けが」


 いかにも冒険者らしい風貌の少年だった。紫色の髪を雑に伸ばしっぱなしにし、髪よりも暗い虹彩。鋭い目付きでこちらをにらむ。右手に棍棒、左手に鞘に収まった剣を握り込んでいた。


「さっさと帰れ。俺ぁ、弱っちぃやつが嫌いなんだよ」


 棍棒を突きつけ、初対面で罵る。カリンは顔をしかめながらも、感謝の気持ちは伝えておく。


 助けてくれてありがとう。二度と会いたくないので忠告は聞き入れます、と。


 今思えばこの邂逅から全ては始まったのだ。



 少年の名はシャドウ。第一印象ほど悪い人ではなかった。

 彼はなんやかんやで人を見捨てられない。

 初対面の次の日、カリンは村に迫る魔物を追い払うために、シャドウの力を借りようとした。


(後に分かった情報によると、カリンが村のほとりに出て刺激したせいで、寄ってきたらしい)


 突き放された身だけど、関係ない。緊急事態にはどんな手も使い、借りるもの。

 少年をおびき寄せるためにあえて、魔物の巣に飛び込む。鬱蒼と茂る森(通称蒼の森)で逃げ惑う少女に対し、彼はわざわざ姿を見せ、助けた。当然ながら心底あきれ果て、バカを見るような目をしていたけれど。


 奥地でゴブリンに襲われる冒険者を見つけた際は、囮にすると宣いながら、裏から回って敵を倒す。

「報酬が欲しいから隣町まで連れて行け」と要求しつつ、安全な場所まで送り届けた。

 カリンに対しては「二度と呼ぶな」と言いつつ、お守りを預ける。


 丸みを帯びた枠に収まった宝石。青緑色で、彼の首に下げている赤い宝石と対になる形だった。互いに表に出るとそれぞれの輝きが際立つ。まるで共鳴するようだった。


 シャドウは冒険者として各地を旅して廻ったらしい。カリンは彼からたくさんの知識を受け取った。


 王国の外に広がる世界、帝国とせめぎ合う小国の町。

 エメラルドの海岸に、神秘の森・失われた遺跡に、採掘の都。


 中でも印象に残ったのは、勇者と魔王の決戦の地だ。かの伝説の地にいつかは足を踏み入れたいな……。

 ぼんやりと望みながら、時は流れる。


 三ヶ月後。夏の日差しが照りつける日向。村を一望する河原で二人並んで、話し合っていた。


「どうしたらそんなに強くなれるの?」

「そりゃあ俺に力があったから、こうなっただけだ」

「特別な方法でも使ったんじゃないの?」

「お前、俺が魔法使いにでも見えてるのかよ」


 彼は目を細めた。

 全然。首を横に振る。


「言ったろ。大したことじゃない。戦い続けただけだ」

「そんなので本当の強さが手に入るわけ?」


 眉を曲げ、じとーっと彼を見澄ます。


「おいおい、弱っちぃ奴が強者の言葉を疑うなよ」


 少年は肩をすくめた。


「小動物相手に逃げ回ってばかりいるから、お前はなにもできないままなんだよ」

「私だってやればできるって、思ってるけど」


 口ごもる。

 枷でもはめられたかのように、半減したパワー。

 言葉にすると言い訳になるので、決して伝えない。実際のところ、彼女はなぜ力を半分も引き出せずにいるのか、分からずにいた。


「強くなりたかったら、戦わなくちゃいけないってこと?」

「そんな顔をするな。俺だって争いは好きじゃないんだ」


 少年は困ったように笑い、独り言のようにつぶやいた。


「いつまでもこんな日が続けばいいのに……」


 彼は平和な村を眺め、目を細める。普段は暗い色をした瞳がやわらかな光をたたえていた。

 カリンははっと瞬きをする。


 誰彼構わず突き放すのは、誰も傷付けたくないからではないか。


 過去も境遇も分からないのに、不思議と親近感の湧く相手。自分と近い経験をしたのではないかと思うと、きゅうっと胸が軋む。


 どうか幸せになってほしい。


 不思議と切実な気持ちが湧いてきた。


 しかし、 穏やかな日々は長くは続かない。

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