金魚と習字 3
お風呂上がりの肌から香油のいい香りがする。旦那さまはいつ来られるんだろう。
姿勢を正してしばらく待ってみたけれど、何の音もしない。そうしてるうちにさっきまで読んでた本の続きが気になってきた。
もう少しだけ読んでてもいいかな? 玄関の開く音で旦那さまが来たか分かるよね。
行灯の明かりを頼りに本を開く。翠蓮が以前集めてたという、短編の詩集。文字を指でなぞりながらだけど、読み方を聞かなくても分かるようになってきた。
「この字はなんだったっけ……」
難しい字はかなを振った表を見返す。菖芽が言うには書けるようになればおのずと読みも覚えるらしい。この字は明日書く練習をたくさんしよう。
「おい」
急に声をかけられて、思わず身体が跳ねてしまった。顔を上げれば、旦那さまが私を見下ろしてる。
「あっ、も、申し訳ございません!」
すぐに本を置いて、布団に両手と額をつける。旦那さまが来られていたのに気づかなかった。
またちゃんとお迎えできなかった。不出来な嫁だと呆れられてしまっても仕方ない。どうして私は旦那さまの機嫌を損ねるようなことしかできないんだろう。本など明日にすればよかった。
「……お前はすぐそうするよな。」
「えっと、」
やっぱり怒っていらっしゃるんだ。旦那さまの声色は淡々としてて冷たいもの。
「申し訳ございません……一日でも早く文字を覚えなければと思い、焦るあまりに浅はかなことをしてしまいました。」
「文字?」
旦那さまが不可解そうに片眉を上げた。まさかご自身の伴侶が文字も読めない人間だとは思われなかったはず。
「別に必要ねェだろそんなモン。お前が今やる事じゃねェ。」
それは……。そっか。私の役目は世継ぎを産むことだもんね。私自身が字を読めるかどうかより、そっちの方がずっと大切だった。
そんな事も考えられなかったなんて。役に立とうとしたはずが、翠蓮や潤清さまにまた迷惑をかけてしまった。
「そう、ですね……」
旦那さまが布団の上に腰を下ろされる。手で隣に来るように示されたから、私も旦那さまの横に正座した。
またこの前のようなことを旦那さまと……。あの夜を思い出して少し頬が熱くなったけれど、同時に身体を引き裂かれるような痛みも思い出す。
血で布団を汚してしまったから、今度は気をつけないと。
旦那さまの手が、頬に触れる。今日は指先まで温かい。お戻りになってからずっと中にいらっしゃったのかな。
痛いのも、我慢しなきゃ。
そう思ってたはずなのに。
「あ、あの、」
私の身体に触れる旦那さまの手に、この前とは少し違う感覚を覚える。
くすぐったくて熱くなる。あれ、前もこうだったっけ? その長い指が肌を滑るたびに、喉の奥から変な声が漏れてしまいそうで。
「多少マシんなったな。まだ気ィ抜いたら折っちまいそうだけど」
「ええと……ん、」
貧相な身体が少し良くなったってこと? 翠蓮たちのご飯のおかげだ。
胸に触れられると、変な気持ちになる。旦那さまの手の温度が気持ちいい。
湯浴みをしてる時みたいに、ううん、それ以上に身体が熱くなる。
「はあ……っ、ん」
今まで出したことないような声が喉から零れて、慌てて口を塞いだ。旦那さまに聞かれてしまったかな。
「も、もうしわけ、」
言葉を紡ぐ最中に、旦那さまの指が胸の先端を掠める。途端に身体が勝手に震えて、さっきの声がまた出てしまいそうだった。
頭が追いつかなくて手を止めてほしかったけれど、私に「だめ」も「やめて」も言う権利などないから。
「だ、んな、さ、ま……っ、待っ……」
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