第2話

母のガンが再発し、それがわかった時。

私は仕事を辞め、再就職先を探しながら家のことをする日々だった。

親友と会える時間ができたこともありがたかったが、自営業を手伝う母は日に日に調子が悪くなり、家で寝ている時間が多くなった。

たしか、血便だったか、わかりやすく不調がピークになり、入院を余儀なくされた。


基本的に私が午後、母を見舞い、兄や父は仕事終わり、面会時間に間に合えば見舞いに来る。夕方、母の洗濯物を預かった私は買い物をして、夕飯の準備。それをまたしばらく繰り返した。



 話があります。



平日の午後、いつも通り無職中の私がひとりで見舞いに来ていた所に看護師さんがそう言いに来た。医者の前にひとりで腰掛け、話を聞く。



 余命でいうと3ヶ月です。


あぁ…てことは半年くらいなのか。

咄嗟にそう思った。変に冷静に。現在の病魔の進行状況などを話してもらったあと、残酷にもドラマのような言葉を自分が聞くことになるとは。予想外といえば、予想外だし、最近の母の顔色や様子を見ていたら芳しくないことは明らかではあった。

なぜ半年、が頭を過ったかといえば、大学で履修した生命倫理の授業で【がんの告知】の見出しを鮮明に覚えていたからだ。内容の一端にあった「半年と言われたら、一年。3ヶ月と言われたら、半年…そう言うことで余命より倍も長く生きてくれたね」という前向きな解釈になる、ということだった。勉強とはいえ、それを知って当事者家族として聞いてしまうことは複雑だった。

そんな変な冷静さがあったかと思えば、病室に戻った私は母の前でどんな顔をしていたのだろうか。


「大丈夫?」 


と母の声が聞こえて、人の心配どころではないのにどこまでも人ができていて優しい人なんだろと我が母ながら思う。どんなことを言われたのかの大体察しがついてしまったのかもしれない。


「気をつけて帰ってね」


最後まで人の心配ばかりしてた。半ば呆然として帰って、夜、家族にも告げた。それぞれ深い悲しみを突きつけられたと思うが、その場でみんなでいる間は前向きな声を掛け合った気がする。生命倫理の教えを私は自分の中だけに留めておいた。

日に日に目も肌も黄色みが帯びてきた母。黄疸、抗がん剤、自由診療…ネットで調べたせいで少しずつそのあたりの単語を覚える程度になるとともになんでもっと早くとか、なにかできないか、苦しまず、痛がらず、でも、まだ元気になって長生きしてほしいという気持ちが頭をぐるぐる駆け巡った。

足首がわからないほど、浮腫も出てきて、乾燥もしている足をボディクリームでマッサージしたり、洗面台で母の髪を洗ったり、乾かしたり、自分がそこにいられたからこそのかけがえのない時間にもなった。

まだたまに自宅に帰れる時があって、車寄せに車を停めたら母を車椅子で後部座席まで運び、乗せる。もう座ることもできず、横たわる母。家でもぐったりしてるけど、自分の家だといくつかは自分で何がしたいのかのそのそっと起きては何かしてた気がする。だるくて、はよく口にしていた。トイレに一度入ると長いこと出てこず、心配で声をかけた。返事があって安心した。

もう少し動けた時、一時帰宅の帰り道は回転寿司によることが幾度があった。母のリクエスト。

どちらかといえば店主関白。外食といえば、父が好きな蕎麦屋が大半。実は母はお寿司が好きだったのだ。好き嫌いはないと思っていたが、知ってたようで知らなかった好み。

食が細くなってから好物を食べてに行って、満足に食べられただろうか…

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