Angel 10

@sinkuro33

第1話

これは私の話だが、多少の記憶の美化やすげ替えがあることは了承してから読んでほしい。

振り返るのはもう20年も前のことから最近のことまでだから。


私は5人家族、3人兄妹の末っ子としてとくに贅沢もなく、かといって何かに困ることもなく育った。

父母の躾は当時としては厳しい方だったかもしれないが、末っ子ということもあり、甘やかされた部分も多分にあった。

やりたいことは大体やらせてもらえたし、自分で決めたことを事後報告しても、最終的には納得してもらえた。


歳の離れた兄たちは異性の兄妹ということもあってかなんだかんだ私が生意気なことをしても見逃してくれたし、仲は良い方だった。

良い歳になって兄妹だけで旅行にも行ったし、遊びや飲みにも出掛けた。

物の貸し借りや車の送り迎え、助け合って生きていた。圧倒的に私の貸しは少ないが。

大人になって少しずつではあるが日常的に返せるところは返しているところだ。


父は自営業、母はそれを傍らで支えながら家のこと、育児を懸命にしてくれた。

父と母の共通の趣味は?と聞かれたら今となっては正解か定かではないが、旅行だったのではないかと思う。毎年夏になるとどこかしら温泉のあるいわゆる観光地に行っていた気がする。外食の食費に関してはとくに節約している素振りはなかった。だから、その土地に行けば、地のものや季節のものを食べた。

裕福かと言われるとそうではないけど、幸せで豊かに育ったことに違いはない。


兄妹の中で私だけが将来の目標が学生のうちに決まらなかったことや高校3年生の遅い時期になって目標が見つかってしまったこともあり、大学進学を望んだ。

たしか、大学2年の時だった。母の体調が悪く、私が運転して町の医者を訪ねた。腹部がしばらく張っていたり、だるさを訴えていた気がする。触診やエコーで出た診断はよく聞くような体調不良のそれだった気がする。


しばらくやり過ごしていた気がするが、それでもやはり体調は思わしくなく、もう少し大きな病院で検査をした。このあたりの記憶は朧げだ。

誰からどう聞いたかも忘れてしまったが、母は大腸がんのステージ4だった。即入院。

大学は車で片道1時間。女手は家では私だけ。その時の我が家は昔ながらの家では基本うちのことは女がやるような家だった。誰かがそうしろと言ったわけではない。

ただそういうものだと思っていた、多分お互いに。私は学生だし、みんなは働きに出ていたから。

それでも昼間の母は入院先で過ごしてるので、私がするのは洗濯物や家族のご飯の準備。サークル活動がある日には授業が終わったら夕飯の準備で一旦帰宅、また大学に戻る。そんな日々もしばらく過ごした。

まもなく母は長時間の手術を乗り越え、ガンの大部分を取り除き、帰宅した。


数年、少し痩せた母はほぼ前のような生活に戻った。私はいえば、大学を卒業し、目標だった職にもついて家を出た。といっても、休みの度に帰るような距離感だった。母の苦労も知らず家の外でのストレスをぶつける日もあった。振り返れば全部謝罪したいくらいこちらの非ばかりで申し訳ない。


大学を出て、取りたい資格も取っ就いた仕事。甘かった。耐えきれず2年でギブアップ。甘すぎた。実習で得た変な自信は就職して2年であっという間に萎んでその影をなくした。

実家に戻った。


不幸中の幸いか、不幸中の不幸せか。



母のガンも再発。

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