第24話 抜けていく羽根

「また……抜けてるね」

「ああ、そうですね」

 また見ている間に一つ、エルプクタンの羽根が抜けた。

 あれから数日かけて、彼の羽根が抜ける頻度は少しずつ高くなっていった。彼の顔色も心なしか悪い。

 明らかにエルプクタンの身になにかが起きていた。

「風邪とか、病気なの?」

 食事の席で、オーウェンは彼を心配した。

「人とは違って神は病に侵されたりはしません」

 彼の返答に安心はできなかった。病でないのならば、病よりももっと深刻なことが起きているのだとしか思えなかった。

「ね、イシュラビキを呼んで相談しよう」

 エルプクタンに神の友人はイシュラビキしかいないことを知っているので、イシュラビキしか頼れる人物がいない。

「……そうですね。今夜にでも呼びつけておきます」

 エルプクタンが素直に頷いてくれて、オーウェンはほっと胸を撫で下ろした。イシュラビキに相談すれば、きっとなんとかなるはずだと信じて。


 夜に訪れてくれた火の神イシュラビキは、エルプクタンの姿を見るなり顔色を曇らせた。

「……信仰が弱まっているな」

「信仰が弱まっている?」

 イシュラビキの言葉を繰り返したのは、オーウェンだ。

「どうやら下界の人間どもの、雷の神への信仰心が弱まっているようだな。それもこの翼がなにか問題なようだ」

 今この瞬間にひらりと抜けた羽根を、イシュラビキが宙で掴んだ。

 イシュラビキの言葉を聞いて想起したのは、血反吐を吐いて死んだ力の神だ。人間が信仰心を失って力の神の眷属を殺してしまったから、力の神は最期を迎えたのではなかったか。

 力の神のように、大量の血を吐くエルプクタンの姿をありありと想像してしまい、オーウェンは青褪めた。

「こんなに急激に信仰心が失われるのは、おかしいな。下界でなにかが起きていやがる。ちょっくら様子を見てくるか」

「え!」

 神にとって、下界に行くのは危険なことではないのか。気軽な調子で決めたイシュラビキに、思わず大きな声が出た。

「なーに、そろそろ嫁探しにまた下界に降りようと思っていたんだ。そのついでさ」

「嫁探し……? また?」

 何がどう繋がるのかわからず、説明を求めてエルプクタンを見上げた。

「イシュラビキは、何人も人間の伴侶を娶っている変わり者なんです」

「おいおい! その言い方じゃ俺が相当な浮気者みてェじゃねェか。きちんと一人ひとりと向き合って、寿命の終わりまで看取ってから次の嫁を探しているんだ。エルプクタンと飲むのも、嫁がいない間だけだぜ」

 考えてみれば当たり前の話だが、神は人間よりもよほど長い間生きているようだ。

 一瞬、エルプクタンの窮状を忘れて呆然としてしまった。

「それはなんというか、すごいですね……じゃなくて、ありがとうございます!」

 呆然とするあまり感謝の言葉を口にするのを忘れているのに気がついて、慌てて頭を下げた。

「俺に礼を言うべきなのは、エルプクタンの方なんじゃねェのかな」

 イシュラビキはからかうように、ニヤニヤとエルプクタンに視線を向けた。

「…………感謝する」

 エルプクタンは渋々といった様子で、ぼそりと礼を口にした。

 イシュラビキは驚愕したかのように、目をまん丸にした。もしかしてエルプクタンは普段感謝の言葉を口にしたりしないのだろうか。

 それからイシュラビキは、ニッと笑った。

「おう、任せておけ!」


 それからエルプクタンは羽根が抜ける頻度が増えるだけでなく、少しずつ体調が悪くなっていった。

 部屋で気だるそうにしているエルプクタンの横に、オーウェンとミルクの二人で寄り添った。寝台の上でミルクを挟んで川の字になって昼寝をしたりして、これはこれで穏やかな日々だなと思った。

 ただ、そんな穏やかな日々の中でもじりじりとした焦燥感を覚えていた。

 少し風邪気味なだけで、寝ていれば治るというのであれば、微睡むだけの日を心置きなく楽しめただろう。だが、エルプクタンの体調は日に日に悪くなっているのだ。心の底で焦ってしまうのは仕方がない。

 イシュラビキが戻ってくるまでできることはないので、不安を露わにしないようなるべく笑顔でエルプクタンに接するしかなかった。

 なるべく早くイシュラビキが戻ってきますようにと、祈る日々だった。

 オーウェンにとっては長すぎる日々の末、イシュラビキは戻ってきた。

 そのころにはエルプクタンの顔色は蒼白になっていて、すっかり病人のようだった。せっかくの美しい三対の翼にも、禿ができてしまって可哀想だった。

「原因がわかった」

 イシュラビキは簡潔に切り出した。

「これを見てくれ」

 彼は一つのアクセサリーを見せてくれた。バツの彫刻されたコインのような大きさの木片に、紐を通した簡単な装飾品だ。紐の長さからして、ブレスレットだろうか。

「これは下界で流行っている新興宗教の信徒の証だ。俺たちを古い神だと否定して、いるわけもない全能の唯一神を崇めている」

「下界では時折そういうのが流行っているな。だが普通のことだろう」

 エルプクタンは疲れた顔で言った。

「まあまあ、続きを聞いてくれ。この宗教の教義はこうだ。この世でよい行いをしていれば、死後に全能の唯一神さまが、より生きるのが楽で楽しい世界に転生させてくれる。しかし羽を持つ生き物は転生しようとする魂を捕らえてしまう。特に三対の翼を持つエルプクタンは神の振りをした悪魔だから、崇拝することのないようにとのことだ」

「そんな……」

 オーウェンは愕然とした。

 新しく流行っている宗教はまるで、エルプクタンを苦しませるためにわざわざ作られたみたいじゃないか。

「下界では雷の神を崇めるための神殿やらなんやらが、次々に取り壊されている。特に翼を模した装飾品なんかは、片っ端から火にくべられているみたいだな」

 エルプクタンが弱って、禿ができてしまうほど羽根が抜け落ちてしまっているのはそのせいだったのだと、ちらりと彼に視線を向けた。

 その瞬間に気がついた。エルプクタンの顔色が憤怒に彩られていることに。

「下賤な、人間ごときが……オレを悪魔だと?」

 オーウェンの目から見ると、その憤怒は暴君というよりも傷ついた子供のように見えた。今にも心が粉々に砕け散ってしまいそうな、ヒビだらけの心を持った子供だ。親に捨てられた瞬間のことを想起してしまっているのではないかと、オーウェンは彼の心の痛みを自分のことのように感じた。

「今すぐ、下界に降りて天罰の雷を降らせてやる……ッ!」

「無茶だ!」

 エルプクタンが今すぐにでも下界へと向かってしまうのではないかと、オーウェンは彼の腕を掴んだ。

「これでもオーウェンさんは、暴力がいけないと……」

「違う! こんなに弱っているのに、下界に行けるわけがないだろ!」

 涙を滲ませて訴えると、彼ははっとした顔になった。

「……ごめんなさい。オーウェンさんはオレの心配をしてくれていたんですね」

 エルプクタンは腕をつかんでいるオーウェンをそっと抱き寄せると、頭を撫でた。自分が頭を撫でてあげたいくらいなのだがと思いつつも、オーウェンはされるがままにされた。人前では少し恥ずかしい。

「俺もエルプクタンが下界に向かうのは、自殺行為だと思うぜ。なにせこれは、誰かに仕組まれた罠だ」

 イシュラビキが真面目な顔で言った。

「罠?」

「エルプクタンだけを的確に狙ったかのような教義の宗教が、急激に流行るわけがない。誰かが手を加えないかぎりな。手ぐすねを引いている何者かがいる。その何者かは、エルプクタンが下界に降りてきたところを狙うつもりかもしれない」

 ――エルプクタンを狙う何者か。

 突然示された可能性に、オーウェンは言葉を失った。

 エルプクタンに誰かが悪意の手を伸ばしているかもしれない。それが恐ろしくてたまらなかった。

「じゃあ、どうすれば……」

「エルプクタンは俺の友だ。俺だって失いたくない。黒幕が誰か、探ってみるから少し待ってろ。なに、仮にこれが神の仕業だとすれば、ソイツは邪神に堕しているだろうな。神が故意に神の存在を否定する教えを下界に流布することは、禁忌だ。だから簡単に見つかるさ」

「お願いします」

 オーウェンはイシュラビキに頭を下げた。

 こんなときに何もできない自分が、歯がゆかった。

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