第21話 彼の過去

「んぅ、ぁ……ん」

 水音を立てて唾液を交換し、身体を熱くさせるものを体内に送り込まれる。淫靡なひと時に身体が慣れることはなく、今夜も敏感に快感を拾ってしまっている。

 ピクニックをした日の夜も、もちろん口づけによる神気供給が行われたのだ。

「はぁ、んっ、エルぅ……」

 口づけの合間にエルプクタンの名を呼んだら、身体に両腕を回され、抱き締められた。抱き締められ口づけをされると、まるで本当の恋仲のようだ。

 それが嫌ではないのだから、自分の気持ちはもう固まっているようなものだ。

「はあ、ふう……っ」

 彼が口を離してくれると、オーウェンは肩で息をしながら、艶っぽい視線で彼を見上げた。未だに口づけしながら呼吸するのが、下手なのだ。神気を受け取るだけでいっぱいいっぱいになって、鼻で息をするなんて器用な芸当はできそうにない。

「大丈夫ですか、オーウェンさん」

 自分を抱き締めたまま、エルプクタンは気遣ってくれた。

 気がついたら、随分と二人の距離は縮まっていた。密着しているとまで言える距離は、初めてではないだろうか。

「う、うん」

 顔を真っ赤にしながら、オーウェンは思う。

 少しくらい、大胆になってもいい雰囲気ではないのかと。

「ね、エル……も、もっかい……」

 彼の衣服を軽く引っ張りながら口を開くも、お願いの内容は尻すぼみになって口の中で消えた。冴えない中年の男が再びの口づけをねだるなんて滑稽ではないかと、気恥ずかしさが勝ったからだ。

 赤い瞳が、ぱちくりとまばたきをした。

「オーウェンさん、たっぷり神気は供給したので、今晩はもうこれ以上しなくて平気ですよ」

 オーウェンの願いの内容がわからなかったのではなく、さりとて嫌悪を露わにしているわけでもなく、彼の微笑は諦めを含んだ悲しげな色に彩られていた。

 なぜ、そんな顔をするのだろう。

 もっと彼のことを知らなければならない、とオーウェンは気づいた。


「よお、イシュラビキさまが友を訪ねにきてやったぜ!」

 燃え盛る髪色をした神がやってきたのは、ピクニックの翌日のことだった。真昼間の訪問で、エルプクタンにも予想外だったらしく、事前に連絡を入れろだのなんだのと文句を口にしていた。

 酒好きなイシュラビキのために聖獣たちが酒を運んできて、なぜだか即席の宴会にオーウェンも同席することになったのだった。

 オーウェンはおずおずと慣れない葡萄酒に口をつけた。

 エルプクタンと二人で飲んでいる果実酒のような甘みはないが、これはこれで美味しいと感じた。

「それにしてもさァ、お前この前まで水みたいに飲んでたじゃねェか。いつの間にか味わって飲むようになりやがって」

 イシュラビキがエルプクタンに話しかけている。

「そうだったか?」

「明らかに変わってるよ。さてはそこの伴侶のおかげか?」

 自分に視線が向けられ、オーウェンは気恥ずかしさから俯いた。

「……だったら、なんだっていうんだ」

 観念したように絞り出されたエルプクタンの言葉に、オーウェンは密かに胸の内が擽ったくなる思いがした。憎からず想っている相手が、自分の影響で変わっている。それが嬉しくない人間がいるだろうか。

「だははは、いいじゃねェか! お前、クソ面白い奴になったな! 前から面白い奴だったけどよォ!」

「うるさい」

 バシバシと背中を叩く手を、エルプクタンは面倒くさそうにはねのけた。

「……オーウェンさん、イシュラビキと一緒にいてください」

 突然、エルプクタンは持っていた杯を置いて立ち上がった。真剣な顔つきで、ある方向を見つめている。一体、どうしたのだろう。

「領土に侵入者か。面倒は見といてやるから、さっさと行きな」

 イシュラビキはすぐに事情を理解したようだ。イシュラビキの言葉を聞いて、オーウェンもやっと理解した。

 どうやら己の領土に侵入者があると、エルプクタンは自動で察知できるようだ。

「頼んだ」

 三対の翼が動いたかと思うと、まばたきしたらエルプクタンの姿はもう消えていた。

「エル、大丈夫かな」

 オーウェンは眉を下げて、部屋の出口を見つめた。エルプクタンのことが心配でたまらない。

「アイツが負けるわけないだろ。それよりなんだ、その呼び方は。短い間に愛称で呼ぶようになったのか? うん?」

 イシュラビキの方は心配するどころか、呼称の変化に目ざとく気がついてニヤニヤし出した。彼の目には爛々と好奇心の光が宿っている。

「さてはデートでいい感じになって、一発ヤったか」

「ぶっ!」

 イシュラビキの一言に、オーウェンは盛大に葡萄酒を吹き出した。

「や、や、や、ヤったって……!」

「ははははは、答えなくていい。その反応が見れただけで十分答えになってるからな!」

 イシュラビキは一体、はいといいえのどちらの答えだと受け取ったのか。オーウェンは気が気でなかった。

 不意に、オーウェンは今がいい機会だと気がついた。今はエルプクタンがいなくて、代わりに彼の友人がいる。イシュラビキならば、自分の知らない彼について教えてくれるのではないだろうか。

「あの、エルについて知りたいことがあるんですが」

 オーウェンはおずおずと切り出した。

「おう、なんだ。何が知りたいんだ?」

「えっと……」

 エルプクタンとのやり取りを上手く言葉にできる自信がなくて、束の間言葉選びに迷った。

「エルの過去が知りたいです」

 迷った末に、大雑把に聞くことにした。自分の知らない彼を知れば、自然と謎は解けるはずだと。

「あー、アイツの過去か。たしかにアイツは自分からは話さなさそうだからな」

 イシュラビキはガシガシと己の頭を掻いた。

「聞かせてもらえますか?」

「まあいいだろう。アイツの伴侶なんだから、聞いておくべきだな」

 気分を変えるためか一呼吸置くと、イシュラビキは話し出した。

 

 その昔、といっても神の基準ではえらい昔ではない。

 空の神が水の神に恋をした。紆余曲折あった末に、二人の神は結ばれた。結ばれるまでにそれは多くのことがあったんだが、関係ないから今は割愛する。

 やがて水の神は、空の神の子を孕んだ。生まれた一人目の子は、雨の神。水の神にそっくりな長い黒い髪を持っていて、空の神は喜んで雨の神を育てた。けれども二人目の子は、空の神にも水の神にもまるで似ていなかった。真っ白な肌に真っ白な髪、真っ赤な瞳を持った赤子を見て、空の神は水の神が不義を働いたのではないかと疑った。疑われた水の神は怒りのあまり、二人目の子を川に流して捨てた。捨てられた子は海に流れ着き、そこで力を蓄えると、思う様に暴れ始めた。感情のままに暴れているのか、それともいつか空の神や水の神に復讐しようと考えているのか、誰も知らない。ただ一人いい勝負をした火の神がそいつを気に入って友になった以外は、実に孤独に生きてきたのさ。


「白い髪に赤い瞳って……」

「そうだ、捨てられた子こそが雷の神。アイツだよ」

 イシュラビキの答えを聞き、オーウェンは深く息を吐いた。

 エルプクタンは想像もしていなかった辛い過去を抱えていた。親に捨てられて、以来ずっと一人で生きてきたなんて。恨みを晴らすように暴れる彼の姿を想像し、オーウェンはぎゅっと胸のあたりで拳を握った。

 時折彼の表情が愛されることに慣れていない子供のようだと感じたのは、その通り愛されることなどされてこなかったのだ。

 ふと、オーウェンは思いつく。

 もしやエルプクタンが自分に求めているものは、父性愛なのではないかと。いつも同じ食卓についてくれるのも、この間一緒に出かけてくれたのも、仮初の父親と時間を過ごしているつもりなのかもしれないと。むしろそれ以外にこんな中年の男と暮らす理由などあるだろうか。

 オーウェンは自分の情念を酷く恥じ、嫌悪した。必要以上の口づけを求められて、彼は困ったことだろう。彼が伴侶としての務めを求めてこないのも、当たり前のことだった。

 せめてこれからは、理想の父親になってあげようと決めた。

 同時に、故郷に帰りたいという思いは金輪際捨てることにした。結婚式は見れなかったものの、姪は結婚して手元を離れたのだ。自分はもう必要ない。エルプクタンの方がよほど自分を必要としている。

 機会があれば故郷に帰りたいとエルプクタンに伝えてみるつもりだったが、もうそんな意志はない。故郷に帰りたいなどと言い出せば、彼は再び親に捨てられたようにすら感じるのではないだろうか。

 諦念を含んだ赤い眼差しを思い出す。目の前のこの人は、いつか自分を捨てるかもしれない。だからいつでも諦める心の用意をしておこう。そんなことを考えていたに違いない。

 彼の胸中を推し量り、オーウェンの胸は張り裂けそうだった。

「オーウェンさん、戻りましたよ」

「エル!」

 室内に入ってきたエルプクタンの姿に、オーウェンは駆け出した。ほとんど飛び込むように、力強く彼を抱き締めた。強く、強く。大事だと思っていることが伝わるように。

「オ、オーウェンさん⁉ どうしました? え、そんなに心配でした?」

「まあ、そんなとこだ」

 イシュラビキが適当に答えるのが聞こえた。そんなのも構わず、オーウェンは抱き締め続けた。

「……オーウェンさん、ありがとうございます」

 やがて抱き締め返される。胸から聞こえる心臓の鼓動は、穏やかに規則正しく打っていた。

「オーウェンさんを一人にしてしまうことはありませんから、安心してください」

 彼の言葉は、まるで「だから自分のことも一人にしないでくれ」という懇願のように聞こえた。

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