第19話 ピクニックデート

「オーウェンさん、景色のいいところに出かけませんか」

 エルプクタンが提案してきたのは、イシュラビキとの宴会の翌日の朝だった。

 まるでイシュラビキの言っていたデートとやらの提案みたいだ、と感じた。

 デートのつもりはないだろうが、自分が外に出たがっているのを察して、連れて行ってくれる気になったのかもしれない。――やっぱり優しいな。

「うん、行きたい。ミルクも連れて行っていいのかな?」

「オーウェンさんを抱き上げて飛ぶつもりなので、ミルクも一緒だと不安定になってしまいますね」

「じゃあ寂しいけど、ミルクにはお留守番しててもらおうか」

「では早速、今日行きましょう! 携帯できる昼食ももう聖獣たちに作らせてあるんですよ」

 朝早く働かされた聖獣たちを思い、可哀想にと思った。

「そっか、僕が作りたかったな」

 残念な気持ちを漏らすと、エルプクタンは目をぱちくりとさせた。

「作りたい、んですか?」

「うん。だって僕と君が食べるものだから。あ、いつものご飯もそうだけど。特別な時ぐらい、さ」

「特別な時は作りたくなるものなんですか。なるほど……」

 彼は考える素振りを見せたあと、にこりと笑った。

「では今度はそうしましょうか」

 ごく自然に、次の約束が交わされた。

 何度も行けるのだと思うと、心臓がとくりと鼓動した。

 オーウェンが昼食を入れたバスケットを抱え、そのオーウェンをエルプクタンが横抱きにし、三対の翼を力強く羽ばたかせ、空へと舞い上がった。

 全身に風が当たり、気持ちがいい。

 毎度思うが、横抱きでなければならないのだろうか。自分がバスケットを抱えていなければならないことを思うと、他に姿勢は思いつかないとはいえ、女性のように横抱きにされるのは恥ずかしい。

「これからオレの領土を出ますが、何があってもオレがオーウェンさんを守りますからね。安心してください」

「う、うん」

 優しい声で堂々と守ると宣言され、女性ならば誰しも心を掴まれてしまうのではないだろうか。そう思ってしまうのは、実際に心を掴まれているのは自分だからか。彼への思いが本気になってしまいそうで、困る。

 今はまだ、彼の見目のよさに軽率に惹かれているだけ……だと思いたい。だって自分は、姪のいる故郷へと帰りたいのだから。

 いっそ望郷の思いを捨てて、彼に対して本気になれた方が楽だろうか。それも躊躇するのは、彼の想いがわからないからだ。

 間違いなく、大事にされている。伴侶として紹介されたし、伴侶と思われている。けれどもその想いは、どれくらい大きなものなのだろう。本気になったところで、懸想するのは自分の方ばかりなのではないだろうか。

 こんな考えごとをする時点で、もう本気になってしまっているのではないかという予感からは、目を逸らすことにした。

「ほらオーウェンさん、綺麗でしょう?」

「わあ……!」

 考えごとをしている間に自分たちは白い花畑で作られた境界線を越え、新たな景色が視界に飛び込んできた。

 領土を飛び出ると、大地のあちこちが眩しい光で継ぎ接ぎのように区切られているのがわかった。あの光が、それぞれの神の領土を区切る境界線なのだ。光で区切られている境界線の向こうは、どんな景色になっているのか透かして見ることはできない。

 エルプクタンの領土を振り返れば、一際大きな光の囲いが見えた。彼の領土は、あんなに広かったのだ。

 彼に抱かれて空を飛んでいると、誰の領土でもないらしい場所も多くあることが見て取れた。

「誰のものでもない土地に行きますからね、大丈夫ですよ」

 オーウェンの視線を読み取ったのか、エルプクタンは言った。

 長く長く飛ぶうちに、海さえ見えてきた。果てしなく続く水の塊だ、あれが噂に聞く海というものに違いない。風の匂いも潮っぽくなってきたし。

 ただ、果てしないというのは正確ではない。なにせ、その海には果てがあった・・・・・・のだから。

「な、なにあれ⁉」

 大地が急に途切れ滝になったかのように流れ落ちる海水を目にして、オーウェンは声を上げた。

「ああ、あれは天界の果てですよ。あそこから落ちたら、下界に堕ちてしまいます」

「へえ、下界に……」

 あそこから落ちれば、故郷に帰れるのか。手段が明確になり、にわかに望郷の思いが強まる。

 ただ、ここで暴れて海の上に落ちる度胸はない。溺れ死ぬかもしれない。滝から落ちるのも怖い。神様なら平気でも、自分が世界の果ての滝から落ちて、無事でいられる保証はない。

「危険ですからね。海には近づかないでくださいね」

「わかったよ」

 オーウェンはしっかりと頷いた。彼みたいな翼がないのだから、自分ひとりでは近づこうと思っても近づけないが。

 だんだんと高度が下がっていき、もうすぐで目的の場所に着くことがわかる。

 彼が降下する場所に選んだのは、深い森の中にわずかに開けた空き地だった。三対の翼で高度を調整し、狭い空き地に器用に降りていく。

「わあ」

 エルプクタンは空き地の中心にある、切り株の上に降り立った。降り立って見回してみると、結構広い空き地だった。

 地面は柔らかそうな苔で覆われ、辺りには色とりどりの花やキノコが生えており、周囲を鬱蒼と緑の木々が覆っている。

 今にも翼の生えた聖獣たちが出てきそうな、童話チックな雰囲気だ。

「この森には聖獣もいるのかな?」

「野生の聖獣なんていませんよ。いるのは魔獣です」

「魔獣?」

 言葉の響きが恐ろしげに聞こえて、オーウェンは顔に怯えを滲ませた。

「そんなに怖がらないでください。野生の魔獣を捕らえて契約を結ばせ、神に仕えるようにしたものを聖獣と呼んでいるんです。それだけの違いですよ」

「へえ、そうなんだ」

 一瞬、エルプクタンが仔兎や仔猫を無理やり捕らえている様を想像してしまったが、忘れることにした。契約を結ばせるというのが何かはわからないが、そんな野蛮な方法ではないだろう。

「でも魔獣は契約を結んでいないので、オーウェンさんを傷つけるかもしれません。いくら可愛いものが好きだからといって、むやみに近づいてはいけませんよ」

 彼の言葉によって、自分が可愛いもの好きだと思われていたことを知った。動物が好きなだけなんだけど。

「わかったよ。それであの、少し森の中を見て回ってもいいかな?」

 魔獣とやらの姿は今のところ見えないが、目に入る植物だけでも見覚えのないものばかりで、心が踊る。

「もちろん、いいですよ。オレが守ってあげますから、オレから離れないでくださいね」

 切り株にバスケットを置くと、オーウェンは周囲を見て回ることにした。

「あ、あそこに小鳥がいる。あれは普通の小鳥? それとも魔獣?」

「普通の小鳥というのが下界の動物なら、ここには下界の動物はいませんよ。あれは魔獣です」

「ねえ、これって食べられるキノコかな?」

「口に入れては駄目ですよ、オーウェンさん!」

 宣言通り常に隣にいてくれて、自分の問いにもすぐに答えてくれる。なにか手に取ろうものなら、すぐに取り上げてしまう。なんでもかんでも口に入れる幼児とでも思われているのかもしれない。

 大事にされているとはわかる。伴侶として紹介もされた。

 けれどもエルプクタン本人からは、まるで小動物か幼児扱いだ。もしかしてエルプクタンは伴侶という言葉の意味をよく理解していないのでは、と思うことがある。

 本気になっても片恋で終わるかもしれないと思ってしまうのは、これが原因だ。

 オーウェンはちらりと隣のエルプクタンを見つめた。

「どうしました、オーウェンさん」

 とてもではないが「伴侶の意味って知ってる?」なんて尋ねることはできないので、ただ首を横に振った。

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