第15話 エルプクタンの説得

 雷の神の危険性を知らせるために来た、と小鳥の姿をした風の神ことウキアロワトゥルは言った。エルプクタンに一体どんな危険があるというのか。

「はい、雷の神は危険な男です。貴方は奴に騙されているのです」

「騙されているだなんて、そんな」

 咄嗟に否定しようとして、自分はエルプクタンのことを何も知らないことに気がついた。

「……君が知っているエルプクタンの話を聞かせてくれるかい」

 真実かどうか、話を聞いてから判断するとしようとオーウェンは考えた。それだけでなく、どんな話であってもエルプクタンのことを知れるなら聞いておきたいと思ったのもあった。

「雷の神はある日、海からやってきました。まるで海で生まれ出でたかのように。瞬く間に奴はあらゆる神から領土を奪い、広大な領土を持ちました。雷の神よりも広い領土を持っているのは、空の神と死の神くらいなものでしょう。なのに、奴はまだ領土を広げようとしているのです。私は確かに昨日ここに攻め入りましたが、それはもともと持っていた自分の土地を取り返すためだったのです。奴は生来からの凶暴な男です。貴方に見せる甘い顔に騙されてはなりません」

 ウキの話に、オーウェンは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 あらゆる神から領土を奪う、凶暴な神。――あの彼が?

 たしかにウキを痛めつけているときの彼は、恐ろしい表情をしていた。それでも自分に見せてくれた穏やかな顔が嘘だとは思いたくなかった。

「挙句の果てに下界から人間を攫ってきて幽閉しているなんて、とんだ暴君です」

「ま、待って。最後のは誤解だよ。僕は幽閉なんてされていないよ。自由に外に出れるし……いや、外に出ないでくださいってお願いされたけど。そ、その……一応伴侶ということになっているみたいだし?」

 第三者にエルプクタンの伴侶であることを説明するのは初めてのことで、妙な恥ずかしさから顔が熱くなった。なにしろ伴侶らしいことをしたことがないので、未だに伴侶で正しいのか確信が持てないのだ。

「は……伴侶? 伴侶ですと?」

 ウキは伴侶の単語に大きな反応を示した。

「そんな……なんて、卑劣な……! 許しがたい暴虐!」

 ウキの化身だという小鳥はぶるぶると震え出した。小鳥の顔色が変わらないからわかりづらいが、どうやら怒っているようだ。

「オーウェンさん、貴方のことは必ずや私が助け出してみせます。今すぐにとはいきませんが……いつか! それが貴方への恩返しです!」

「え、助け出すって……」

 オーウェンが返事をする間もなく、小鳥は膝の上から飛び立ってしまう。

「待っていてくださいね!」

 言い残して、小鳥は青空の向こうに消えてしまった。なんだか勘違いをさせてしまった気がするのだが。

「ミルク……部屋に戻ろうか」

 散歩をしている気分ではなくなってしまった。

「ぴゃう、ぴゃう!」

 ミルクは何が嬉しいのか、大はしゃぎで部屋までスキップのような軽やかさで向かった。

 ミルクに作り置きしておいたご飯をあげながら、オーウェンはエルプクタンのことについて考えた。

 彼が自分に見せてくれた、穏やかで優しくて……遠慮がちな子供のような態度は嘘とは思えない。思いたくない。

 けれども、ウキという名の神が嘘を吹き込む理由もわからない。

 きっと両方とも本当なのだ、とオーウェンは結論づけた。

 エルプクタンはなぜか自分には優しくしてくれているが、他の神には狼藉を働いているようだ。

 どうして乱暴な振舞いをするのかわからないが、ここは年長者である自分が言い聞かせて、彼を正さねばならない。それは自分の使命だとすら思った。

「よし」

「ぴゃう?」

 覚悟を決めたオーウェンの様子に、ミルクは口元をスープで汚した状態で首を傾げたのだった。


 食事の際は、いつもエルプクタンが同席して一緒に食事をしてくれる。彼曰く、自分が喜ぶからだとか。なので昼食の際に彼に話をすることにした。

 楽しい食事の時間中に説教をするのは申し訳ないので、デザートを食べ終わってからオーウェンは切り出した。

「ところでその、エルプクタンくんが他の神様から領土をたくさん奪っているって聞いたんだけれど」

「誰から聞いたんですか?」

 エルプクタンの素早い返しに、オーウェンはしまったと思った。ウキのことは秘密にしておくつもりだったのに、なんと隠し事が下手なのか自分は。

「え、えっと、その……」

 上手い言い訳が思いつかない。

「まあいいです。話の続きをどうぞ」

 間違いなく彼は話の出どころをどうでもいいと思ったのではなく、自分で調べた方が早いと思ったのだろう。今後は、ウキは領土の中に入ってこれなくなってしまうかもしれない。

「その、それで、領土を奪って私腹を肥やしているのが本当なら、そういうことは止めた方がいいと思うんだ」

「なぜですか?」

 彼は間髪入れずに理由を尋ねてきた。

「えっと……だって、争いごとはよくないし。みんなと仲良くできた方がいいし。平和に暮らせた方が、心穏やかでいられるでしょう?」

「仲良く? 平和に?」

 彼は言葉を繰り返しているだけなのに、重圧を感じた。

 言い聞かせてあげなければと考えていたことが、途端に傲慢だったように思えてくる。改めて問われると、なぜ争いごとをしてはならないのだろう。

「……どうしてかというと、争いごとをしているとみんなから恨みを買って、生活をしていきづらくなるから。それになにより、争い合う関係よりも、にこやかに挨拶できる関係を周りと築く方が、生きていて楽しいと思うんだ」

 オーウェンは考え抜いた精いっぱいの答えを口にした。

「オーウェンさんの考えはわかりました」

 彼はゆっくりと口を開いた。

「あなたはオレを受け入れてくれないんですね」

「え」

 彼は悲しそうな、諦めたような穏やかな微笑を浮かべた。

 説教に納得するのでも怒るのでもない反応に、思考が止まった。

 受け入れてくれない、とはどういう意味か。別にそんな話はしていなかったではないか。それでも彼はそう捉え、こんな悲しい顔をしている。

 オーウェンは自分が何を口にしてしまったのか、理解できていない気がした。

「あの……」

 彼がオーウェンに開こうとしてくれていた心の扉が硬く閉ざされてしまったような心地になって、慌てる。

「まだ言いたいことが?」

「……いや、ないよ」

 エルプクタンへの説教は、尻すぼみに終わった。

 代わりに深い反省を胸の内に抱いたのだった。

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