第14話 危険な神
「ちょ、ちょちょちょ何をしてるの⁉」
思わず走り寄りながら、大声を出した。
エルプクタンの異様な様子に恐怖は覚えたが、虐げられている人を後目に逃げるなんて、できるわけがない。
「え……オーウェンさん?」
エルプクタンの赤い瞳が文字通りまん丸に見開かれた。こんなに驚いている彼の表情は、初めて見る。驚きのあまりか、倒れている人の頭に乗せていた足が外れた。
オーウェンは倒れている人に駆け寄った。近くで眺めても、焦げていないし、炭の臭いがすることはない。あんなに何度も雷で打たれていたのに。
倒れている人は、男の人だった。髪が長いが、男性らしい身体つきをしている。翡翠色の美しい髪色を見て、きっと神様なのだと思った。神様だから、雷に打たれても死ななかったのだろうか。
「どうして、こんなことをしたんだ?」
翡翠色の神の傍で膝を折ったまま、エルプクタンを見上げた。
「……オーウェンさん、これは誤解なんです」
彼は微笑を浮かべた。オーウェンにはそれが、なんだか作り笑顔のように見えた。
「誤解?」
誤解であるなら信じたいという気持ちと、悪いことをしているように見える状況だという自覚はあるのだなという思いが交錯する。
「これは領土争いで、神にとってはごく普通のことなんです」
「普通のこと?」
「ええ、神々はこうして争うことで領土を奪い合うものなのです。それにほら、この男は我々の領土の中にいるでしょう? この男が領土を奪おうとしてきたのを、オレは防いだだけなんです」
「そうなの?」
領土争いというのはよくわからないが、相手から襲いかかってきたのならばしょうがないと思う。けれども、オーウェンは納得できなかった。
「でも、領土を寄越せって言ってたよね……?」
相手が襲ってきたのを守っただけならば、領土を寄越せなんて言葉が出るだろうか。
「勝った方が負けた方から領土をもらう。当たり前のことじゃないですか」
エルプクタンのあっけらかんとした顔を見て、常識が全く違うのだと悟った。
「……そうなんだ」
常識が違うのであれば、自分が口出しをしても仕方がないのだろう。非道なことをしているように見えたが、この世界では当たり前のことなのだろう。
「逃げられてしまいましたね」
「え?」
翡翠色の神に視線を戻すと、忽然と姿を消していた。霞のように消えてしまっていた。
「あ、僕のせい……だよね。ごめんなさい」
先ほどの彼の凶暴な顔つきを思い出し、オーウェンは縮こまった。お前のせいで領土を奪えなかった、と怒鳴られるかもしれない。
「オーウェンさん、どうしたんです? さあ、一緒に帰りましょう」
彼は穏やかな顔つきで手を差し出してくれた。
「あ……う、うん」
差し出された手に、ビクリと震える。まだ翡翠髪の神を虐げていた瞬間の彼が忘れられない。
それでも彼の穏やかな微笑がいつもと変わらないのを見て、おずおずと手を握ったのだった。
手の温かさが、記憶に残る凶暴な面貌を上書きしていく。
手を繋いで歩き、彼の館まで戻ったのだった。
「ぴゃん、ぴゃん!」
館に戻ると、ミルクが待っていてくれた。クッキーの入ったバスケットを側に置いて。ちゃんと待っていてくれたのだ、偉い子だ。
「そうだ、エルプクタンくんのためにクッキー作ったんだ」
「え、オレのために?」
「うん、食べてほしいな」
バスケットを手に取り、エルプクタンに差し出した。彼はバスケットを受け取り、困惑した様子で一枚のクッキーを手に取った。端の方を小さく嚙み砕いて、咀嚼した。大事に味わってくれているかのように、ゆっくりと。
「……美味しいです」
緩んだ表情を見て、愛情の味が届いてくれているといいなと願ったのだった。
昨日のことは忘れよう。翌日、目覚めたオーウェンは心に決めた。
オーウェンの元を離れ、外出しているときのエルプクタンは、ああいう風に他の神と戦っているのかもしれない。
神々の争いについて自分は何も知らないし、自分は言わばエルプクタンに養ってもらっている身なのだ。天界での生業に口出しするのはやめておこう。
クッキーを味わってくれたときの、彼の微笑みを思い出す。愛情を知らない子供のような顔だった。彼が危険な人なのだとは思いたくない。
「ミルク、お散歩行こうか」
朝食のあと、ミルクに声をかけた。
「ぴゃう!」
散歩するのは、もちろん中庭だ。外ではエルプクタンが他の神と戦っているのかもしれないと知った今では、無意味に外に出る気にはなれなかった。
「ぴゃん、ぴゃん!」
ミルクは小さな尻尾をピコピコと振り、元気に中庭に駆け出していった。羽も一緒にピコピコと動かしている。
「あんまり遠くに行かないでね」
「ぴゃう!」
走っていくミルクを小走りで追いかけ、たっぷりと遊んでやった。
ミルクと遊んであげると、春の陽気であっても汗をかいてくる。額に浮いた汗を拭いた瞬間のことだった。
「ぴゃう、ぴゃう、ぴゃう!」
ミルクが空を見上げ、吠え出した。
まさかまたエルプクタンがどこかで争っているのかと空を見上げたが、稲光はどこにも見えなかった。雷鳴が聞こえることもない。
「ぴゃう、ぴゃう!」
ミルクの視線が動くので視線の先を追ってみると、空を翡翠色の小鳥が飛んでいるのを見つけた。小鳥はこちらに向かって飛んでくる。
どんどん近づいて来たかと思うと、なんと小鳥はオーウェンの肩に止まってしまったではないか。
「わっ」
驚きに小さな声が出た。肩を小鳥の足に掴まれている感覚が伝わってくる。
しかし、驚きはそれだけでは終わらなかった。
「オーウェンさん、こんにちは。再びお会いできて嬉しい限りです」
小鳥が喋ったのだ。
「え⁉ 鳥が喋った! なんで⁉」
オーウェンは動揺のあまり、尻餅をついてしまった。
小鳥はオーウェンの肩から一旦飛び立つと、改めてオーウェンの膝に止まり、向かい合わせになった。それから、小鳥は再び喋った。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。私は先日、貴方に命を助けていただいた者です」
「命を……?」
小鳥の命を助けた覚えなどないと、首を傾げた。
「雷の神になぶられていた神です。この姿は化けたものです」
「ああ、あの綺麗な髪の!」
エルプクタンに何度も雷を落とされていた神が、美しい翡翠色の髪をしていたのを思い出した。目の前の小鳥の羽の色とまったく同じ色だった。
小鳥が喋るのは、神の化身だからだったのだ。
どうやら翡翠色の神は、オーウェンがエルプクタンを止めたことを恩に感じているようだ。
「綺麗な髪、などと……。こほん、私は風の神。名をウキアロワトゥルと申します」
「ウ、ウキ……?」
神の名が複雑すぎて、一回では聞き取れなかった。
「ウキアロワトゥルです」
「ウキア……ロワトゥル、さま?」
「貴方は命の恩人です。どうか、ウキアロワトゥルとお呼びください」
「ウキアロワ……あの、ごめん。ウキさんって呼んでもいいかな?」
舌を噛みそうな名前を何度も口にできる気がしなくて、不躾なお願いをした。
「ウキさん……? それは、愛称ということですか?」
小鳥がピシリと硬直したように見えた。怒らせてしまっただろうか。
「う、うん。あだ名なんて失礼だよね、ごめんね」
「いえ……いえ! 失礼だなんて、そんなことは! ぜひ、ウキと呼んでください!」
小鳥は興奮したように、翡翠色の羽をばたつかせた。大丈夫なのかな。
「ところでここはエルプクタンの領域の中だと思うんだけれど、どうやって中に入ってきたの?」
オーウェンは小鳥に尋ねた。
領域の中は他の神に覗かれない、とエルプクタンは言っていた気がするのだが。
「その辺については、いろいろと誤魔化す手段はあるのですよ」
小鳥は得意げに言った。
「じゃあ、エルプクタンに君のことを知らせない方がいいのかな?」
「ええ、私の侵入が知られれば無事では済まないでしょう」
エルプクタンのことを裏切るつもりはないが、目の前の神が痛い目に遭うと聞けば、知らせることなどできるはずもない。敵意はないようだし、構わないだろうと判断した。
「それで、どうして危険を冒してここへ?」
尋ねると、小鳥はまっすぐにオーウェンを見つめた。
「一つは、命の恩人である貴方に恩返しをするため。二つ目の目的は貴方を囲っている雷の神の危険性を知らせるためです」
「危険、性……?」
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