第13話 クッキー作り
「ミルクに散歩をさせたいんだけれど、どこで散歩したらいいかな?」
酒盛りの終わるころ、眠りこけている仔犬を見やりながら、エルプクタンに尋ねた。
「どうぞ中庭を使ってください。オーウェンさんやミルクが、怪我をすることのないようにしてありますから」
「あ、ありがとう」
もしかしたら自分とミルクのためだけに、中庭もまた新しく作り出したのではないだろうか。想像して、少し空恐ろしくなった。
「この建物の外に出ちゃ、駄目なのかな?」
「白い花の咲いているところまでならば、安全です。けれどもそこから外に出てはいけませんよ。花の咲いているところまでが、オレの領土なので」
「領土……? 領民がいて、税金を取っているのかい?」
オーウェンは目をぱちくりとさせた。
「ふふ、人間の領土とは違います。領地……領域と言い換えてもいいかな。オレの領域の中なら、オレは空間を自由に変えられますし、他の神に覗かれることもありません。もちろん、害されることも。オーウェンさんは絶対に安全です」
領域という不思議な概念の説明に、こくこくと頷きながら耳を傾けた。
オーウェンのための台所を一瞬で作れたのは、彼の領域の中だからだったらしい。
「他に神様がいるの?」
口に出してから、なんて間抜けな質問だと気がついた。神話では雷の神の他にも空の神やら火の神やら、多種多様な神が出てくるからだ。天界にはごろごろと神がいるに違いない。
「はい、います。だから領域の外に出てはいけませんよ。オーウェンさんは可愛……無防備なんですから、すぐに他の神に狙われてしまいます」
「無防備だなんて、そんなことないよ」
「散歩はできれば、中庭だけで済ませてほしいくらいです。中庭だけで十分な広さがありますよ」
「うん、わかったよ」
彼の言葉に、天界を探検してみたいのになと少し残念に思った。
酒盛りが終わると、用事があるとエルプクタンはどこかへと去っていった。
目が覚めたミルクを連れ、オーウェンは中庭に出た。中庭までは、黒猫の聖獣が案内してくれた。
「わあ、綺麗なお庭だね、ミルク」
中庭には一面緑の芝生が敷き詰められていて、生垣には白い薔薇が咲き乱れていた。村の広場よりもずっと広い空間で、思いっきりミルクが駆け回れそうだ。十分な広さがあるというエルプクタンの言葉は本当だった。
「よし、かけっこだ!」
「ぴゃう!」
中庭を駆け回り、布のボールを投げ、取ってきてもらい、思い切り遊んだ。
遊んだあとは、お腹が減ったミルクにスープを食べさせてあげた。
ミルクはまたお腹ぽんぽこりんになって眠った。
平和な一日だ。
こんなにも穏やかな一日を送れるのは、エルプクタンのおかげだ。彼が助け出してくれたから、こんな平和を享受できるのだ。
「お礼をしたいよね。何がいいかな、ミルク」
ミルクの寝顔を見ていたら、スープを味見したときのエルプクタンの表情が思い浮かんだ。料理を作ってあげたいな、となんとなく思った。
翌日。
オーウェンは、お菓子作りをすることにした。
神殿で働いているときも、オーウェンのお菓子は評判だった。ミルクや聖獣たちや……それに、エルプクタンにもきっと喜んでもらえることだろう。
運び入れてもらった食材の中から、小麦粉と卵と砂糖とバターを選んだ。なんて贅沢に材料を使えるのだろう、と感動しながら材料を混ぜて生地を作っていった。
台所には、オーブンもきちんとある。成型した生地をオーブンに入れると、綺麗な狐色に焼けてくれた。
「やった、成功だ」
まずは焼きたてのクッキーを、ミルクと二人で食べてみた。大成功の味だった。サクサクとして甘くて、とっても美味しくできた。
それからクッキーをバスケットに入れて、部屋の外に出てみた。ミルクがぽてぽてと後ろからついてくる。すれ違う聖獣たちにクッキーを配って歩いた。どの子も喜んでくれた。
「エルプクタンはどこにいるのかな?」
最後に、クッキーを渡したらごろごろと喉を鳴らして喜んでくれた黒猫に尋ねた。
黒猫は背筋を正すと、確固たる足取りで歩き出した。オーウェンとミルクはあとをついていった。
「え、ここって玄関だよ?」
辿り着いた場所は正面玄関だった。
「もしかして外に出かけてるってこと?」
黒猫は案内は終了したとばかりに、中へ戻っていく。
「ミルク、どうする?」
「ぴゃうぴゃう!」
顔を見合わせると、ミルクははしゃぎ出した。
「外には白いお花畑があるんだよね。エルプクタンには会えないかもしれないけれど、ちょっと散歩してみよっか」
エルプクタンは領域の外に出ちゃいけないと言っていたけれど、少し周りを歩くくらいは構わないだろう。だってすごく綺麗な花畑なのだ。ミルクにも見せてあげたい。
玄関の重い扉を開け、外へと出た。
清涼な風が頬を撫でる。新鮮な空気の爽快さが肺にまで行き渡る。
春の陽気のような心地よさだ。天界は春なのか、それとも一年中このようなよい天気なのか、どちらなのだろう。
「ぴゃう! ぴゃう!」
ミルクも心地よさを感じているのか、ちぎれんばかりに小さな尻尾を振っている。
「ほらミルク、あれが花畑だよ」
聖獣たちが開けてくれた門をくぐりながら、一面純白の花畑を指さした。花々が風に揺れていなければ、雪が積もっているのかと空目するかもしれない。
「ぴゃう、ぴゃう!」
ミルクにも綺麗さがわかるのか、それとも花の香りにはしゃいでいるのか。ぴょいぴょいと跳ねるように走っている。
「ちょっと歩こうか」
エルプクタンの屋敷を離れ、一人と一匹は散歩を始めた。
どこまでもどこまでも、丘の上までずっと花畑は続いている。見渡す限り全てが、エルプクタンの領域ということだ。
「広いねえ」
「ぴゃう!」
花畑の間に作られた細い道を歩く。いい気分だ。ふわりと風が吹いてくると、まるで自分が花畑の上を飛んでいるような心地にすらなれた。
「ぴゃう、ぴゃう、ぴゃう!」
突然、ミルクが丘の上に向かって吠え始めた。
「どうしたの、ミルク?」
なだめようとしても、丘の上を睨んだまま動かない。
何があるのかと、オーウェンも丘の上を見つめてみた。
「あ」
空の一部を、小さく光がギザギザに切り取った。続いてゴロゴロと音が聞こえてきた。雷だ。こんなにも空は気持ちよく晴れているのに。
エルプクタンだ、と直感した。
エルプクタンがあそこで、なにか雷を落とさなければならないようなことに直面しているのだ。
オーウェンは不安を覚えた。一体何が起きているのだろう。エルプクタンは無事だろうか。
「ミルクはおうちに戻ってて。僕が見てくるから」
「ぴゃう?」
ミルクは首を傾げた。理解できないようだ。
「えーと、このクッキーをおうちに持って帰ってくれるかな? まだクッキーを食べてない子がいたら、渡してあげてほしいんだ」
「ぴゃう!」
さすがは聖獣の子だ。クッキーの入ったバスケットを渡してあげたら、くわえて走って戻っていった。
ミルクが走り去るのを見送ると、オーウェンは丘の上に視線を向ける。あそこで何が起こっているのだろうか。走って向かった。
丘の上までつく頃には、息が切れていた。それなりに距離があったし、もう年だから。
肩で息をしながらも、丘の上に見えた光景にオーウェンは瞠目した。
「おら、滅されたくなかったらさっさと領土を寄越せ!」
エルプクタンが人に雷を落としていたのだ。しかも、見ている間に何度も雷を落とされているのに、落とされた人は黒焦げの炭にならずに動いている。
ただ、もう体力がないようだ。雷を落とされた人はその場にばたりと倒れこんだ。
エルプクタンはオーウェンが見たことないほど、凶暴な顔つきをしていた。祭祀場の神官たちを殺したときですら、気だるげな表情を保っていたのに。思わず、恐怖を覚えた。
「領土を寄越すと言えよ」
あろうことか、エルプクタンは倒れた人の頭に足を乗せてしまったではないか!
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