第12話 二人で飲むミードの味
小さなベッドで寝ているミルクからそっと離れ、エルプクタンとオーウェンは一組の長椅子に向かい合って座った。
こうして向かい合わせに座ると、三対の翼の見事な美しさが改めてよく見て取れる。純白の羽根の一つ一つが、光を反射して煌めいている。羽根の先端に触れてみたら、さぞ柔らかいのだろう。
「オーウェンさん、何のお酒が好きですか?」
「エール、というかほとんどエールしか飲んだことないよ。葡萄酒なんて、昨日初めて飲んだよ。あ、そういえば一度だけミードを飲んだことあるよ。あれは美味しかったなあ」
一度飲んだ酒の味を回想し、頬を緩めた。
「ミードというと、蜂蜜の酒ですか。甘いお酒が好きなんです?」
「え……そうなのかな?」
自分は甘い酒が好きなのだろうか。エール以外の酒を飲んだ経験の乏しさから、ピンと来ない。
「世界中からかき集めた甘いお酒を、オーウェンさんに飲んでもらいたくなってしまいますね」
エルプクタンは一際とろりと垂れた甘い視線を、オーウェンに降り注がせた。
「冗談……だよね? 何種類か飲めれば嬉しいけれど、たくさんはいらないからね?」
神である彼ならば、言葉通り世界中からお酒をかき集められるのではないかと、心配になってしまった。
「何種類かですね、わかりました。ミードならちょうどあったと思います。聖獣の好物なので。今、持ってこさせましょう」
持ってこさせましょうとは言ったものの、彼は動かないし、聖獣を呼ぶ素振りも見せない。頭の中で考えただけで、聖獣だとか使い魔だとかに指令を下せるのだろうか。
「聖獣もお酒を飲むんだ?」
お酒が来るまで、適当に雑談をすることにした。
「彼らはミードか果実酒が好きなようですね。よく飲んでいますよ」
「へえ……」
小動物たちが酔っぱらっているさまを想像する。森の陽気な宴会だ。
「聖獣たちは、どこでお酒を手に入れてくるのかな?」
この天界には聖獣用の店でもあるのだろうか。店員も聖獣で、可愛い小動物から小動物へとお酒が手渡されるのだろうかと想像して、ほんわかと温かい気持ちになった。
「さあ、知りません。調べましょうか?」
エルプクタンはけろりと答えた。
神殿の神官たちだって、下働きの者たちがどこで昼餉を調達しているかなんて知る由もないだろう。エルプクタンが酒の出どころを知らなくても、しょうがない。
「いやいや、ただの雑談だから。大丈夫だよ」
話していると、コンコンと控えめに扉をノックする小さな音が聞こえた。
「入れ」
エルプクタンが横柄に命じると、扉がひとりでに開き、翼をはためかせた兎がカートを押して入ってきた。長椅子の隣までカートを押すと、兎はカートを残して出ていった。
カートの上には、ミードのボトルと、ガラス製の器が二人分置かれている。
昨日も思ったが、ガラス製の器なんて、なんて贅沢だろう。オーウェンはここで初めて目にした。食事の際に出てくる食器だってそうだ。錫製だと思っていたが、もしかしたら銀製なのではないだろうか。
「オーウェンさん、オレが注いであげますね」
エルプクタンはボトルとグラスを手に取ると、琥珀色の液体をとくとくと注いだ。
ミードで満たされた盃をオーウェンの前に置いてくれる。オーウェンはグラスを手に取り、彼の分のグラスが準備されるのを待った。
「飲まないんですか?」
ところが首を傾げられてしまった。
「君と同時に飲み始めたいから」
「そういうものですか」
彼の分のグラスにもミードが注がれ、オーウェンは自分の盃を軽く掲げた。
「乾杯」
「かんぱい……?」
やはり彼は人間の飲み方の文化に通じていないようだ。困惑しながらも盃を軽く掲げ返してくれたので、オーウェンはミードを呷った。
スッキリとした甘さが喉を通り過ぎていく。一度だけ口にしたことのあるミードよりも、さらに美味しいと思った。爽やかな味だ。
「ふう、美味しいなあ」
頬を緩め、ちらりと彼を見る。彼は平然とした顔で、ミードを飲んでいた。
「エルプクタン……くんは、美味しい?」
未だにどう呼んだものか定まらぬ呼称を口にしながら、聞いてみた。
「ええ……美味しい、と思います」
彼の返事は、確信のないものだった。
「君は普段どんなものを食べているの?」
「どんなものを食べているか、ですか。別に普段は食事を取っていません」
「え?」
彼の返事に、オーウェンは衝撃を受けた。――食事を取っていない?
「かよわい人間とは違うので、神気さえ保たれていればいいんですよ」
神気という聞き慣れない単語のことは、よくわからない。けれどもいくつか理解できたことはあった。
「え、じゃあ夕食や朝食を一緒に取ってくれたのは、僕が喜ぶからってこと?」
「はい」
食事の間じっと見つめられているのは居心地が悪いから、一緒に食事を取らないのかと聞いただけなのに。お腹が空かないのかな、と疑問に思ったのもあるけれど。それだけで食事を一緒に取ってくれていたのか。
きっとお酒を飲む必要もないのだろう。けれども自分が誘ったから、こうして一緒に飲んでくれているのだ。
「けれども、悪い気分ではありません。酒の味を気にして飲んだことはありませんでしたが、オーウェンさんと共に飲む酒の味は快か不快かで言えば快いもので、この快さをきっと、『美味しい』と呼ぶのでしょうね」
エルプクタンは静かに語った。穏やかな微笑みは嘘に見えなくて、迷惑をかけているのではないかと心配した気持ちを、綺麗さっぱり払拭してくれるものだった。
「君が本気で美味しいと思ってくれているのなら、僕も嬉しいな」
「オレがどう感じているかが、オーウェンさんに関係あるんですか?」
彼に問われ、少し考える。その少しの間を、彼は盃を傾けながらゆっくり待ってくれた。緩やかな時間が流れる。
「だって迷惑かもしれないって思いながら飲むより、一緒に楽しい時間を過ごしている方が、心からお酒の味を楽しめるから……かな?」
口に出しながら、自分の言葉に首を傾げる。
「なるほど」
まるで含蓄のある言葉を聞いたかのように、彼が重々しく頷くので、気恥ずかしさを覚えた。
「これからはオレの感じたことを、言葉に出してみることにします」
「う、うん。そういえば、迷惑と言えばさ」
もう一口ミードを飲み、話題を変えることにした。
「君があのとき祭祀場に姿を現したのって、僕を冤罪から助けるためだったんだよね?」
いろいろなことが一気に起こって混乱していたが、時間を置いて考えてみれば、あのときエルプクタンが現れなければ、自分は大変なことになっていた。拷問の末に処刑されていただろう。こうして命があるのは、明らかに彼のおかげなのだ。
「命を助けてくれて、ありがとうございます」
心からの感謝を込めて、礼の言葉をしっかりと彼に伝えた。オーウェンの語彙にある中で、最も丁寧な言葉を使った。
「……なるほど、こういうことか」
「うん?」
彼の小さな呟きが聞こえなくて、首を傾げた。
「いいえ、なんでもありません。オーウェンさんが無事でよかったと思っています」
彼の返事を聞いて、やはり助けてくれたのだと確信した。
祭祀場にいた多くの神官や金髪の聖女を殺してしまったのはやりすぎだが、人と神とでは価値観も違うだろう。あれはきっと、彼なりにオーウェンを思っての行動だったのだ。
改めて感謝の念を覚えると、口の中のミードの味が一際美味しく感じられた。
「じゃあ、もうちょっと聞いてもいいかな」
「はい、なんでも聞いてください」
「神殿には聖女は何人かいたと思うんだけれど、その中で僕なんかを伴侶に選んだのはなぜかな?」
例えば祭りの日に冠を戴いて舞っていた聖女など、他に美しくて若い聖女はいた。なぜ、なにかの手違いに選ばれたような、おっさんの聖女をエルプクタンは娶ったのだろうか。
「それは全ての聖女の中で、オーウェンさんが最も尊い存在だったからですよ」
「……そっか」
オーウェンはそれ以上探らないことに決めた。
もちろん、疑問はたくさんある。自分のようなおっさんが尊いとはどういう意味か、とか。尊さで伴侶を決めるのか、とか。
けれどもオーウェンはこのように思った。彼は自分を助け出すために、自分を伴侶にすると決めたのではないかと。
だから伴侶らしい務めを求めないし、何においても遠慮がちなのではないだろうか。
エルプクタンが自分を選んでくれたのは、彼が優しくて慈悲深い人だからだ。でなければ、こんなおっさんを選ぶはずがない。
オーウェンは謎が解けて安堵したのと同時に、ほんのちょっとだけ残念に思ったのだった。
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