第11話 ごはんの時間
「それでは」
「あれ、行っちゃうのかい」
食材が運び込まれ終わるなりどこかへと去っていこうとするエルプクタンを、つい呼び止めてしまった。
「はい。オーウェンさんも、オレがいつまでも傍にいると落ち着かないでしょう」
困ったような笑みを浮かべた彼に、オーウェンは衝撃を受けた。
なにかというとエルプクタンは「部屋で休んでいてください」などと言って、自分のことを一人きりにするなと思っていた。
それがまさか、構いすぎると弱ってしまう小動物への配慮みたいな理由だったとは。彼の目には、一体自分はどう見えているのだろう。
いきなり天を引き裂いて現れて、伴侶にするなどと宣言して拉致してきた神と同一人物とは思えない。
「落ち着かないなんてことはないよ。一緒にいてよ」
連れ去られてきた当初は、たしかに傍にいられると精神的に負担だったかもしれない。けれども、今はもう慣れた。いや、慣れたというよりも、彼のことをもっと知りたいのだ。
「え……」
彼は驚きに目を丸くさせた。
諦めていたおもちゃを突然与えられることになって、困惑している子供みたい。
「と言っても、ミルクのご飯を作るのを見ててもらうことしかできないから、退屈かな」
「退屈なんて、まさか。傍にいさせてもらいます」
あえて自虐的な言い方をしてみたら、彼はすぐに否定してくれた。だんだんと彼のことがわかってきた気がする。
「ありがとう。ミルクは離乳期ぐらいに見えるから……」
片手でミルクの歯茎を剥き出させ、口の中の様子を確認する。細い牙がまばらに生えている。大人の歯ではなさそうだ。
「スープにしようね」
スープなら、ミルクでも食べられるだろう。そうと決めると、オーウェンは素早く食材を選んだ。
インゲン豆に大きな葉野菜、真っ赤なトマトに、燻製肉の塊。
「数回分を一気に作ろうね」
育ち盛りだ、一日に何回も食事するだろう。今日の分を一気に作ってしまうつもりだ。
インゲン豆とトマトを煮込み、真っ赤なスープにする。燻製肉はミルクが食べやすいよう、細切りにする。くたくたになりすぎないよう、葉野菜は最後に投入する。
人間と同じものを食べても大丈夫だそうから塩を入れてもいいのだろうけれど、怖いので調味料は加えなかった。大丈夫、燻製肉の塩気で十分味はついているはずだ。
エルプクタンは何をするでもなく、横でオーウェンの手つきをじっと眺めていた。
「ふふ、美味しくできた」
小皿で味見をして、美味しさに思わず綻んだ。ミルクもきっと喜んでくれることだろう。
不意に、隣からの視線が気になった。
「あの、味見する?」
エルプクタンに、赤いスープの入った小皿を差し出した。
「え、あ、はい」
彼から戸惑いの気配を感じるが、受け取ってくれた。彼はぎこちない手つきで、小皿を傾け、スープを啜った。
「……これが愛情の味ですか」
ぽつり、彼は呟いた。
オーウェンはぽかんとした。それから、自分が「手料理は愛情表現」と言ったことを思い出した。何気ない一言を覚えていたのか。
「ああ、うん、そうなのかな」
妙に気恥ずかしくなりながら、返してもらった小皿を受け取った。
今度、味見なんかじゃなくてきちんとご飯を作ってあげたいな。そんな思考を巡らせてしまった自分に、内心で驚いた。エルプクタンに料理を作ってあげたいと思っているなんて。
「ほらミルク、ご飯だよー」
仕上げに小さく切ったパンをスープに浸して、エサ皿をミルクの前に置いた。
「ぴゃう!」
ミルクはものすごい勢いで、スープを食べ始めた。赤いスープをべちゃべちゃと撒き散らすので、オーウェンは一歩下がった。
少しして、お皿を綺麗に舐め取ってくれたミルクが顔を上げた。口の周りが真っ赤になってしまっている。美味しかったようでなによりだ。
「ミルク、汚れてるよ。今度から牛乳スープにしよっか」
ミルクを抱き上げ、布で口元を拭いてあげた。ミルクはぶんぶん尻尾を振っている。
エルプクタンは傍にいて、その様子をじっと眺めていた。
「ふふ、お腹がぽんぽこりんだ」
小さなお腹がまんまるになっているのが、愛らしい。いっぱい遊んで一杯食べたからか、ミルクは瞼が重そうだ。ミルクをミルク用ベッドであるクッションの上に下ろしてあげると、エルプクタンに視線を移した。
「ねえ、まだ明るい時間だけど二人でお酒でも飲もうよ」
はにかみながら、彼を誘った。自分から距離を詰めねば、遠慮がちな彼と会話する機会はなかなか持てそうにないと思ったからだ。
彼にはいろいろと聞きたいことがある。
それになにより、お酒を飲みたい。あまり娯楽に興味のないオーウェンだが、お酒だけは別だ。神殿では禁酒なので、酒をまったく飲めなかった。だから酒を飲みたいのだ。
夕食に一杯の葡萄酒が出てきたので、エルプクタンが酒を飲むことを気にしていないことはわかっている。
「二人で、お酒をですか」
「ほら、一人でお酒を飲んでもつまらないし」
駄目かな、とちらりと見つめる。彼は上背があって、自分より頭半個分は大きいので、上目遣いになる。
「オレと飲むのは楽しいんですか?」
「うん」
オーウェンは即答した。
それを聞いて、エルプクタンはゆっくりと片眉を上げた。
「……眠りこけている仔犬よりも無防備だ」
ぽつりとした彼の呟きはあまりにも小さかったので、聞こえなかった。
「え? 嫌だった?」
もしかしてお酒は嫌いなのかなと、オーウェンは困り眉になった。
「いえいえ、お酒は好きです。よければ、一緒に飲みましょう」
「やった」
素直に喜びを露わにすると、エルプクタンは眩しいものでも目に入ったかのように、片手で目を覆ったのだった。一体どうしたのかな。
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