第10話 ミルクといっしょ
「くぅん」
昼。仔犬サイズのクッションの上で昼寝していたミルクは、目覚めると尻尾を振りながらまっすぐにオーウェンの方へ向かってきた。
「ミルク!」
オーウェンはたちまちでれでれになり、ミルクを抱き上げた。わしゃわしゃと撫でてあげると、ミルクの尻尾を振る速度がさらに上がった。
ちなみにミルクが寝ている間、オーウェンはずっとミルクを見つめていた。オーウェンの両手に収まるくらい、小さな白い毛玉がすうすうと寝息を立てる様は、いくら見つめていても見飽きることはなかった。
室内にエルプクタンの姿はない。ミルクをくれたあとは、「ミルクと休んでいてください」とどこかへ去ってしまったのだ。
「これで遊ぼうかミルク、うん?」
運び込まれたミルクグッズの中には、小さなボールがあった。布でできた柔らかいボールを、ミルクによく見えるように放ってやった。
「ぴゃう!」
ミルクは変な声を上げて、一目散にボールを取りに行った。小さな翼を懸命にはためかせて走っているが、身体が浮く様子はない。まだ飛べないようだ。それからぴょいぴょいとした足取りでボールをくわえて戻ってきた。
「わあすごい、ボールを取ってくればいいってわかったんだね! ミルクは天才だな~!」
ボールを受け取り、わしゃわしゃ~と身体全体を撫で回してあげる。ミルクは大喜びだ。再びぽいとボールを投げてあげる。取ってきたらわしゃわしゃ。ぽい。そうして小一時間くらいずっとボール遊びに熱中した。
「いっぱい遊んだなぁ、ミルク」
「ぴ~」
ミルクは鼻を鳴らして甲高い音を出した。
疲れたからまた寝るんじゃないかと思っていたが、くんくんと落ち着かなげだ。もしかして腹が減っているのかもしれない。
エサ皿はあるが、空っぽだ。ミルクのご飯はどうすればよいのだろうか。
オーウェンはミルクを腕に抱え、室外に出てみた。休んでいてくださいとは言われたが、外に出てはいけないとは言われていない。
外に出ると、すぐに黒猫がやってきた。
「ミルクのご飯がほしいんだけれども、どこに行けばいいかな?」
オーウェンが訪ねると、黒猫は長い尻尾をピンと立てて、どこかへ向かう。ついてこいと言っているようだ。
ミルクを抱えたまま、黒猫のあとをついていった。
黒猫に導かれた先には、厨房があった。
「わ、わあ」
多くの聖獣たちが翼や口や嘴を駆使して、あくせくと料理を作っていた。あんなに小さいのに、大量の料理をがんばって作っている。
聖獣たちの人数分の食事に加え、エルプクタンとオーウェンの分の食事を用意しなければならないのだ。その大変さは、下働きをしていたオーウェンにはよくわかる。
とてもじゃないが彼らの邪魔をして、ミルクの食事について聞ける雰囲気ではなかった。
案内を終えた黒猫は誇らしげに座っていたので、とりあえず頭を撫でてあげた。黒猫は満足げにどこかへと去っていった。
「どうしよう」
きょろきょろとしていると、兎の聖獣が小さな手を一生懸命に使って皿洗いしているのを見つけた。そういえば兎はエルプクタンの使い魔で、言ったことが彼に伝わるのだったか。
「あの、ちょっといいかな」
オーウェンが話しかけると、兎は手を止めて振り向いた。
「エルプクタン……さん? くん? に伝えてほしいんだけど、ミルクにご飯をあげたいんだけれど、どうやって用意すればいいかな?」
エルプクタンの敬称を掴みかね、たどたどしい口調になる。あちらがさん付けしてくれているのだから、こちらもさん付けの方がいいだろうか。それともタメ口に合わせてくん付けくらいがちょうどいいのだろうか。
「はい、ミルクのご飯ですね」
「うわあ!」
気がついたら後ろにエルプクタンがいて、驚きのあまりのけ反った。
「あ、すみません……。これからは後ろに立たないようにしますね」
「う、うん、そうしてくれると助かるかな」
心臓がバクバクしているのを感じながら、頷いた。
「ええとまず、ミルクって、というより聖獣って何を食べるのかな?」
「毒耐性が高いので、人間と同じものを食べますよ。もっとも人間のようにしっかりと咀嚼できる者ばかりではないので、彼らは食事を細かくしたり汁物に浸したりして工夫して食べているようです」
忙しく働いている厨房の聖獣たちに視線を向けながら、彼は答えた。どうも彼は、聖獣たちをかよわい生き物として扱ってはいないようだ。オーウェンは彼らが可哀想に代わりに働いてあげたくなるが、もしかしたら人間などよりよほどしっかり仕事をこなしているのかもしれない。
「ミルクの食事はオーウェンさんの食事後に運ばせる予定でしたが、たしかにそれでは食事回数が足りなさそうですね。今から作らせましょう」
「あ、あの」
聖獣に指示を出そうとする彼を、軽く腕を引いて止めた。自分から触れるなんて不敬と言われるかもしれない、とすぐに手を離した。
「どうしました?」
「僕が作っちゃ駄目かな、ミルクのご飯。ほら、みんな忙しそうだし」
「オーウェンさんが?」
驚いたように、彼の眉がかすかに上がった。
「だってミルクは、僕が世話をしなきゃいけないから。ご飯も、僕が作った方がいいかなって。手作り料理は、愛情表現……だし」
姪を男手一つで育て上げたオーウェンにとっては、自分が責任を持って育て上げなければならないミルクの食事を作ることは、ごく自然ななりゆきのように思えた。
「愛情表現、ですか」
一瞬、赤い瞳が物欲しげな色を宿したように見えた。
「ならオーウェンさん専用の台所を用意しましょうか」
すぐにその色は消え、彼は事もなげに言った。
「え、それって改築するっていうこと? そこまでしてもらうのは悪いよ」
「聖獣たちのそばで料理をするのでは、オーウェンさんも遠慮してしまうのではないですか? 彼らの邪魔をしてはいけないと動きづらいのも、快適ではないでしょう。それに、すぐに用意できるので大丈夫ですよ」
「すぐに用意できる?」
彼の言葉に首を傾げると、彼が手を差し出してきた。
「さあ、いきましょう」
手を繋ごうという意味だろう。彼からすれば、オーウェンはミルクのように小さなかよわい存在なのだろうか。
片腕にミルクを抱え、もう片方の手はエルプクタンに繋がれ、オーウェンは厨房をあとにした。
「台所はオーウェンさんの部屋の隣に用意しますね」
オーウェンの部屋の前まで辿り着くと、エルプクタンは言った。
それは助かるが、一体どうやって。
目の前には、自室の扉が一つある。瞬きをする。扉が二つに増えていた。
「はい、できましたよ」
「え、どうやって⁉」
一瞬で増えた扉に、思わずミルクを取り落としそうになった。ミルクが「ぴゃう!」と文句を口にしたので、「ごめんよ」とあやした。
「中を見てください」
エルプクタンは増えた方の扉を開けた。
中には立派なかまどがあり、調理器具が一式揃っていた。一瞬で台所を作れるなんて、神はなんでもできるのだと台所に足を踏み入れながら実感した。
「オーウェンさんの部屋と直接繋がる扉もありますよ、どうですか」
オーウェンは彼が指し示す扉を開けてみた。たしかに、扉の向こうには自室があった。
「うわあ、これは便利だなぁ。ありがとう!」
オーウェンは満面の笑みを向けた。
オーウェンの笑顔が意外であるかのように、エルプクタンは目を丸くさせた。
「あ……いいえ。オーウェンさんのためなら、なんでもしますから」
すぐに気だるげに垂れた、いつもの視線に戻った。
「すぐに食材を運び入れさせますので、少し待っててくださいね」
彼の言葉に、結局聖獣たちの仕事を増やしてしまったことに気がついたのだった。
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