第9話 特別な贈り物
スープのあとは魚料理や肉料理が運ばれてきて、こんなご馳走を食べるのは初めてだと感じた。
エルプクタンも一緒に食べてくれたが、オーウェンが何に手を伸ばして、何に食が進んでいるのか観察するような視線は続いていた。
「もうお腹いっぱいだよ、食べれないよ」
デザートすら一皿ではなく何皿か続くのを見て、さすがに途中で断った。
食べ物を残すなんてもったいないが、食べきれないほどの食事を無理やり腹に詰め込むのも、食べ物に対して失礼だと思ったからだ。
これが神殿なら、食べ残したデザートは下働きたちが食べられて大喜びなのだが、ここではどうなのだろう。動物たちはデザートを食べても大丈夫なのだろうか。
久方ぶりの腹がくちくなる感覚に、倦怠感が全身を包んだ。身体が重く感じる。
「ふふ、眠そうですね。今日はいろいろあって疲れたでしょう。部屋に戻りましょうか」
オーウェンの感覚としては、「いろいろあった」というより「エルプクタンがいろいろなことを起こした」のだ。もちろんそんなことは口に出して言わず、大人しく部屋に帰ることにした。
小動物たちに先導され、隣はエルプクタンに付き添われながら自室に戻った。
「それでは、おやすみなさい」
戸口でエルプクタンが寝る前の挨拶をする。
「あれ、これで終わり……なのかい?」
結婚式は挙げていないが、これはいわゆる初夜というやつなのではないだろうか。このまま戸口で別れて終わりなんて、本当だろうか。
「はい? ええ、よくお休みになってください」
彼は小首を傾げた。相貌のよさと相まって、小首を傾げる仕草が実に様になっている。自分がやっても、間抜けな所作にしかならないだろう。
そのまま扉は閉じられ、オーウェンは一人になった。
本当に夜伽がなかった。どういうことだろう。伴侶であるというのは、形ばかりなのか。神に肉欲は存在しないのか。それとも今晩はオーウェンが疲れているから休ませてくれるだけなのか。
神に肉欲が存在しないということはないだろう、と思い直した。だって神話では様々な神が愛を交わしたり、浮気をしたり、あれやこれやと盛んなのだから。
あとからエルプクタンが訪れてくるかもしれないと寝台に腰かけながら待っていたが、彼が現れることはなかった。天蓋付きの寝台を使うなんて恐れ多いと思っていたはずなのに、彼を待っているうちにうとうととして横になり、そのまま寝てしまったのだった。
朝が来て、オーウェンは意識が覚醒した。
おそらく、神殿での起床時間と同じ時刻だろう。空が白み始める直前くらいの刻限だ。
「ふわあ」
恐ろしく柔らかい寝台の上で、身体を起こした。身体の上には、いつの間にか布団がかけられていた。そのまま横になったはずなのに。
寝台から出ようとすると、慌てた様子で翼の生えた黒猫がやってきた。
「おはよう、どうしたの? 痛っ!」
寝台から出たおっさんの生足に、黒猫は軽く牙を立てた。オーウェンを𠮟りつけるような表情をしている。
「え、何? まだ寝てなくちゃ駄目なの?」
オーウェンが寝台の中に戻ったら黒猫は満足げな顔になり、さらに一緒に布団の中に潜り込んできたではないか。目を糸のように細くして、ゴロゴロと言っている。
「もう、しょうがないなあ」
隣の猫ちゃんを軽く撫で、オーウェンは笑顔で目を閉じた。こんなに可愛く睡眠に誘われたならば、二度寝もやぶさかではない。
隣の小さな体温が温かいし、寝台が柔らかいこともあって、あっという間に二度目の眠りに落ちた。
改めて目覚めると、動物……聖獣たちに新しい服に着替えさせられ、食堂へと連れていかれた。
「オーウェンさん、おはようございます」
食堂では、昨日と同じくエルプクタンが待っていた。
「お、おはよう」
まだタメ口が慣れなくて、ぎこちない返事になった。
「朝食が終わったら、オーウェンさんに贈り物があるんです。受け取ってもらえますか?」
「贈り物? もちろん、断ったりなんかしないです……しないよ」
返事をしながらも、オーウェンは不安を抱いた。
一体、何をくれる気なのだろう。宝石やらなんやらにはまったく興味がないし、神話に出てくるような神様の世界のすごいなにかなんて、もっと興味ないし。
不安でドキドキしながら、朝食を食べた。朝食は、比較的オーウェンが知っている料理が出た。昨日のように満腹になりすぎてお腹が痛くなるような量ではなく、ちょうどいい量だった。調節してくれたのだろうか。
「贈り物を持っていきますので、部屋で待っていてください。すぐに行きます」
食後にエルプクタンが言ったので、オーウェンは部屋へと戻った。
試しに長椅子に座ってみたりして時間を潰していたら、扉がノックされた。入室を促すと、エルプクタンが入ってきた。腕の中に小さな真っ白い仔犬を抱えながら。
「わあ、可愛い!」
オーウェンは目を輝かせた。
「コイツがオーウェンさんへの贈り物です。オーウェンさん、こういうのが好きですよね」
彼は両手で仔犬を差し出した。仔犬の愛くるしさに胸をときめかせながら、オーウェンは仔犬を抱きかかえてみた。仔犬はつぶらな瞳でオーウェンを見上げた。なんて可愛らしいのだろう。
仔犬には小さな翼が生えている。この子も聖獣なのだ。翼の付け根を掻いてあげると、小さな尻尾をちこちこと振り出した。
「この子、僕のために?」
「はい、用意しました」
不安だった気持ちが溶けて消えていく。
彼は、的外れな贈り物なんて用意しなかった。そればかりか、よく観察してオーウェンが動物好きなことを見抜いていた。
「コイツの主人はオーウェンさんです。オーウェンさんが名前をつけてあげてください」
「え……な、名前かあ」
聖獣に名前をつけるなんて。どんな名前がいいのだろうと戸惑いを覚える。
「牛乳みたいに白いからミルク、とか?」
口に出しながら、なんてアホな提案だろうと我ながら思う。
「わあ、素晴らしい名前ですね」
ところがエルプクタンは肯定してくれた。今までで、一番明るい笑顔を浮かべてくれているようにすら見える。
オーウェンを見上げているもふもふの小さな命の名前は、ミルクに決まった。
オーウェンの部屋にミルクのためのエサ皿や水入れ、小さな家やクッションなどが運び込まれた。ミルクのための物が増えただけなのに、真っ白なこの部屋が自分の部屋になったようにオーウェンには感じられた。
「あの……ありがとう」
聖獣たちが室内に物を運び込むのを眺めながら、おずおずとエルプクタンに向けて礼を言った。
「これくらいのこと、なんでもありません」
仔犬や仔犬のための品々を用意することは、神様にとっては実際なんでもないことなのだろう。でもオーウェンは自分のために考えて贈り物を選んでくれた、その心が嬉しかった。
「どうして、僕のためにこんなことをしてくれるのかな?」
つい、昨日と似たような問いが口から出た。
「それはもちろん、オーウェンさんがオレの大切な伴侶だからです」
彼もまた、似たような言葉を返すのだった。
伴侶としての務めを何も果たしていないのに、彼は自分が伴侶だから大切にしてくれるという。
どうしてだろう。もっと彼のことを深く知りたいと、オーウェンは思うようになっていた。
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