第4話 冤罪
翌日、朝早くから神殿の掃き掃除をしていたオーウェンの元へ、大勢の神官がやってきた。
どうしたのだろうと思っていると、神官たちはオーウェンを乱暴に縛り上げた。痛みに驚いているうちに、強引に引っ立てられてしまった。
オーウェンが引っ立てられた先は、祭祀場だった。
「神官長、盗人を連れてきました。おい、跪け!」
神官の一人が、オーウェンの膝裏を蹴りながら言った。オーウェンはたまらず、床に崩れ落ちるように両膝を突いた。
――盗人だって?
「貴様か。
老いた神官長は白い眉を吊り上げ、オーウェンを厳しく睨んだ。
天羽の冠というのは、あの純白の羽根をあしらった髪飾りのことだろう。名前を聞いたことがある。髪飾りをオーウェンが盗んだと疑われているのだ。
どうやらとんでもない事態に陥ってしまったようだと察し、オーウェンは顔を青褪めさせた。
「髪飾りなんて自分は知りません、盗んでいません!」
必死に主張した。
「盗人猛々しいとは、このことか。証人がいるのだ」
神官長に視線を奪われていて気がつかなかったが、祭祀場には一人の聖女がいた。オーウェンに生ゴミを被せた、あの金髪の聖女が勝ち誇ったような攻撃的な笑みを浮かべていた。
「昨日、この男が祭祀場の近くでこそこそしているのを見かけましたの。きっと奏舞の儀が終わるまで潜んでいて、誰もいなくなってから天羽の冠を盗み出したに違いありませんわ」
まさか下働きの者たちの助けを得て祭祀場の様子を窺っていたことが、こんな疑いに繋がるとは。このままでは彼らにも累が及ぶかもしれない。オーウェンは後悔を覚えた。
「違います。たしかに昨日、祭祀場の近くまで行きました。でもそれは、ただ様子を見たかったのです」
「様子を見ているうちに、冠がほしくなったということか」
「そ、そうじゃありません!」
神官長はオーウェンを頭から疑ってかかっているようだ。何を言っても響いている様子がない。
「ともかく、冠の場所を吐け。神殿の神器を盗んだ時点で死罪は免れないが、場所を吐けば墓に埋葬だけはしてやろう」
「死、罪……?」
オーウェンは絶句した。もう死は逃れられないなんて。そこまで最悪の事態に発展しているなんて、理解できていなかった。
「どうやら吐く気はないようだな。地下牢へ連れていけ。拷問の準備をしろ」
拷問の単語に肌が粟立つ。
「ま、待ってください! なにかの間違いです! 僕は盗んでいないんです、信じてください!」
オーウェンを引っ張ろうとする神官の手を、反射的に身体を捩って避ける。すると、拳が降ってきた。強かに頬を殴られ、倒れこんだ拍子に頭を打った。視界が明滅している。
このまま強引に地下牢に捕らえられ、一生を終えることになるのか。
倒れこんだオーウェンの視界に入ったのは、白亜の石柱の間から見える青空だった。オーウェンの状況など何一つ知らないとばかりに、空は爽やかに澄み切っていた。
どうしてこんなことに。聖女として扱ってくれなんて、頼んでいない。ただただ故郷の土を耕していたかった。それだけなのに。
「たす……けて……」
助けてくれる者などこの場にいないのに、気がついたら助けを乞う言葉が口から零れ落ちていた。
最後に心に浮かんだのは神官たちへの憎悪でもなく、神への恨み言でもなく、ただただ助けてほしいという思いだった。
雷鳴が、轟いた。
雲一つなく晴れ渡っているにも関わらず轟いた異音に、誰もが空を見上げた。遠くからの雷鳴であった。晴れているが、遠くでは天気が悪いのかなんて呑気なことを思った瞬間だった。
雷光と雷鳴が同時に奔った。
目が眩み、視界が真っ白に染まった。耳を聾する轟音の中で、女の悲鳴が聞こえた。金髪の聖女のものだろう。雷が祭祀場に直撃したのかと思うほどの、凄まじい光と音だった。
目を開けると、空は青く晴れたままだった。なのに、確実に世界は変わっていた。どこが変わったのか、上手く言えない。目に入るものは、一つを除いてまったく同じだ。なのに、どのような摩訶不思議が起こっても、不思議ではない世界に変わってしまったように感じた。
目に入るたった一つの変化。
祭祀場の祭壇の上に、浮いている。人が。男が――三対の翼の生えている男が。
翼の生えた白い髪の男は、宙にあぐらを掻き、赤い瞳で人々を睥睨していた。翼は輝かんばかりに白かった。あの髪飾りの羽根とまったく同じ美しさだった。
「エルプクタン……」
オーウェンは自然と呟いていた。
三対の翼を持つ白髪に赤い瞳の男。まさに男が浮いている背後の壁画に描かれている、エルプクタンそのものだ。
神が眼前にいる。理屈を超えて直観する。そうとしか思えないほどの、厳然たる存在感だった。
「あ……」
止まっていた時が動き出したかのように、まず神官長が慌ててその場に伏せて、頭を垂れた。倣うように、他の神官や聖女がほとんど這いつくばって頭を下げた。
縛られているオーウェンは、仰向けの状態から、うつ伏せになるくらいしかできなかった。
「聖女、だったか」
エルプクタンが口を開き、言葉を発した。
予想を裏切り、気だるげな声だった。神とはもっと厳めしく話すものなのだと思っていた。
「まったくご苦労なことだ。火の神のやつが気まぐれに人間を娶って代わりに力を与えてやったもんだから、オレにも伴侶を捧げて力を与えてもらおうだなんて。それだけのことために、神気をまとった人間を何人も集めて……」
彼はなにかに呆れているようだ。神官たちなら意味がわかるのかもしれないが、口を差し挟める神官などいないだろう。口を差し挟んだが最後、神の機嫌を損ねてしまうかもしれない。
神様というのは思いのほか砕けた口調で喋るものなのだな、とオーウェンは場違いな感想を抱いた。
「まあいい。ともかく、オレはお前らの思惑通り、聖女とやらの中から伴侶を娶ってやることに決めた」
彼の一言に、神官たちは頭を垂れたまま視線を交わし合う。未だ動揺と混乱の冷めやらぬ中、もしやこれは喜ぶべきことが起ころうとしているのでは、と認識したような空気が流れ始めていた。
「オレの伴侶となるのは、そこの聖女だ」
「あ……ありがとうございます!」
金髪の聖女が、叫ぶように礼を口にした。エルプクタンの指は、まっすぐ金髪の聖女を指しているようには見えないが、この場には聖女は一人しかいない。
「違う、違う。お前じゃない。そこに転がっている方だ」
彼の指は、オーウェンをまっすぐに示しているように見えた。
そういえば自分も一応聖女の一員なのだった、とオーウェンは思い出した。つまりエルプクタンの言う聖女とは、自分のことだ。つまり、自分を娶ると言っているのだ。
「へ?」
事態を理解して出た言葉は、間抜けなものだった。
否、理解などできていない。なぜ神がわざわざ男の、それもおっさんの自分を娶るなどと言い出すのか、理由がまったくもってわからない。
『性別がなんだい! 神様が天から行いを見ているなら、オーウェンさんを選ぶべきだって一目瞭然のはずだよ!』
中年の下女の言葉が頭の中で反響したが、そんな理由のわけがないと頭から追い出した。
エルプクタンはあぐらを崩すと、宙で立ち上がった。ふらりと一歩を踏み出す。こちらに近寄ってくるつもりなのか、と瞬きをした次の瞬間には、もう目の前にいた。
「ひっ!」
突然目の前に現れた神の姿に、オーウェンは怯えてじたばたと後退ろうとした。縛り上げられている身では、上手くいかない。
エルプクタンはその場に片膝をつき、オーウェンを見下ろした。
「迎えに来ましたよ、オレの聖女さま」
他の者に対する気だるげな態度とは打って変わって、丁寧な言葉が降ってきた。手まで差し出してくれている。
神の顔を間近で捉えたオーウェンは、壁画に描かれているよりも少し顔つきが幼いなと感じた。
それがエルプクタンとの初対面だった。
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