第3話 純白の神
「最近流行りの歌劇に『灰かぶり姫』っていう演目があってさ」
下女の一人は、こう始めた。
厨房脇の食堂でのことであった。
「本来なら高貴な身分のお姫様が、父親の後妻に虐められて召使いとしてこき使われるんだよ。当然舞踏会に行く服も時間もない。そこへ魔法使いが現れて、掃除を魔法でやってくれて、素敵な服も魔法で出してくれるんだ。灰かぶり姫は無事に舞踏会へ行くことができて、王子の心を射止めてめでたしめでたしって筋書きさ」
それは素敵な歌劇ですね、とオーウェンはのんびりと相槌を打った。素敵な内容だったから話したくなったのだろうとしか思っていなかったので、下女の次の一言にぽかんとすることになった。
「なんなら、あたしたちがオーウェンさんの魔法使いになってあげてもいいんだよ」
「へ?」
オーウェンは目を瞬かせた。一体、何の話だろう。
「聖女さまにとって、祭りの日は特別なんだろう?」
今日は祭りの日であった。
神殿が崇め奉っているエルプクタンという神に、今年の豊穣の感謝をする祭りの日だ。神殿の外に出れないオーウェンは見たことがないが、街中は露店や見世物で賑わっているらしい。
いつもよりも朝が早いくらいで、下働きの者にとってはさほど忙しい日ではなく、忙しいのは神官や聖女たちの方であった。
「一番上手く舞を踊れた聖女さまには、神殿の奥深くに仕舞われている特別な髪飾りを着けて舞う権利が与えられるっていうじゃないか。なんでも、神様の翼から落ちてきた羽根で作られた髪飾りだって?」
髪飾りの話は、オーウェンも耳にしたことがあった。その髪飾りを着けることが、全ての聖女の憧れなのだとか。
「あたしたちの聖女さまであるオーウェンさんが、白い衣をまとうことを許されず、舞を舞う祭祀場に行くことも許されず、こんな場所で暇を飽かしているなんて嘆かわしいよ。だからもし祭祀場へ忍び込むんだったら、手伝いはできるよ」
周囲で話を聞いていた下男下女も、同意して頷いた。
どういうことか理解したオーウェンは、破顔した。
「あはは、あのですね。僕は他の聖女さまたちにみたいに舞の稽古をしてないですし、躍ったとしても僕みたいな中年の男では見苦しくて仕方がないですよ。神様だって、見たくないって言うと思いますよ」
祭祀場に行って、一体何をするというのか。気持ちはありがたいが、騒ぎが起きるだけだと思った。
「わかっていないね。祭りの日っていうのはもともと、神様が聖女さまの中から妻を選ぶ日なんだよ。祭祀場に行きさえすれば、機会があるかもしれないじゃないか」
「それこそ機会なんかないですよ。僕は男なんですから」
エルプクタン神は男神だ。同性を妻に選ぶわけがない。
「性別がなんだい! 神様が天から行いを見ているなら、オーウェンさんを選ぶべきだって一目瞭然のはずだよ!」
「あはは……」
中年の下女の勢いに、オーウェンはたじたじになった。
「神様が聖女さまの中からお嫁さんを選ぶなんて、ただの言い伝えというか、伝説じゃないですか。神様が現れて、聖女さまを神の国に連れ帰ったことなんて、あるんですか?」
「そりゃないけれど」
聖女が神様の妻候補だなんて、聖女たちに純潔を守らせるための建前だろうとオーウェンは考えている。
「でも、何もしないなんて……無念だよ」
下男下女たちはうなだれた。オーウェンのことを慕って、なにかしたいと思ってくれたこと自体はありがたいと感じた。少しはその思いに報いねばならないのではないと思ってしまう。
「じゃあ、その、祭祀場を遠くから見るくらいなら……してみたいです」
「よしきた!」
こうしてオーウェンは祭祀場へと向かうこととなった。
オーウェンが祭祀場にいる間の不在の口裏合わせをしていてくれる者を話し合いで決め、数人の下男下女とともに祭祀場を目指した。その数人も道中で警備の者の目を逸らしたりなどで離れ、祭祀場へ出るころにはオーウェン一人になっていた。
祭祀場は広大な半屋外の空間だった。
空間の一辺を壁が覆い、もう三辺を白亜の石柱が何本も立って支えている。なので、外からでも祭祀場の中の様子がよく見て取れた。オーウェンは木陰に隠れ、様子を窺うことにした。
祭祀場の唯一の壁面には、巨大な壁画が描かれていた。美しい男を描いた壁画に目を奪われる。
男の肌の色は神秘的なほど白く塗られ、うなじまで伸びた頭髪も同じく純白だ。まるで聖女の衣のように。鼻梁の整った面長な顔立ちの中心に、二つの赤い瞳が描かれている。なにより特徴的なのは、背中から生えた三対の翼だ。見事な純白の翼が、壁面のほとんどを覆っていた。
壁画に描かれているのは、雷の神エルプクタンだ。三対の翼が生えた男といえば、エルプクタン神しかあり得ない。
最も舞の上手い聖女はもう決定されたあとのようで、祭祀場の中央では、一人の聖女が髪飾りを戴いて舞っていた。
髪飾りについている羽根のなんと美しく、大きなこと。エルプクタンの翼から落ちた羽根だというのは、本当のことかもしれないと思えた。なんの混じりっけもない純白で、聖女が舞うたびに煌めいて見えた。あんなに美しい羽根を持つ鳥が、いるわけがない。まさに神の羽根だ。
憧れが、胸を熱く焦がすのを感じる。
あんなにも美しい羽根の生えた翼が三対もあるのならば、さぞかし美しい神に違いない。実際に目にしてみたいとあり得ぬ欲求を束の間抱いてしまうくらいには、髪飾りについた羽根は美しかった。
ふと、祭祀場の隅に控えた聖女の一人が目に入った。オーウェンに生ゴミを被せてきた、金髪の若い聖女だ。よくよく見れば、悔しさを嚙み殺しているかのように、歯を食い縛っている。髪飾りを戴いて舞う栄誉を得たかったのだろう。可哀想にとオーウェンは同情した。
不意に、彼女がこちらの方を向いた。オーウェンは慌てて木陰に身を隠した。見つかっていなければよいのだが。
これ以上は心の臓が保ちそうにない。オーウェンはこの場から退散することにした。
持ち場に戻ったオーウェンは、協力してくれた者たちに一人一人礼を言い、よく働いた。働いている間中、オーウェンの頭の中には、三対の美しい翼を悠々と羽搏かせる、純白の神の姿が描かれていた。
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