第10話 探究の魔法使い
木漏れ日の揺れる明るい林の中を、黒薙は一人歩みを進めていた。地面に落ちた枯れ葉が踏まれるたびに、彼女の足音だけが周囲に響き渡る
(あの子が言った情報が正しければ、この辺りにコカトリスが潜んでいるはず……。)
黒薙は慎重に視線を巡らせながら、ポケットの中に手を入れた。その中には、笹平のスーツから取り出した
(この中で私が使えるのは、たった3枚だけ。……しかも1枚は護身用としてあの子に持たせたままだ。)
緊急時のために笹平から使い方を教えてもらったことはあるが、こんなに早く実践で使うことになるとは思わなかった。
(笹平さん……)
笹平に残された時間は、すでに1時間を切っていた。迫りくるタイムリミットが、黒薙の胸中に焦燥感を刻み込む。
(……絶対に助ける。もう、私から何も奪わせない。)
彼女は湧き上がる不安を押し殺すように、札を握りしめた。手に持った万年筆を構え直すと、黒薙は足音をさらに早めながら、林の奥へと進んでいくのだった。
林を早足で歩いていた黒薙は、不意に背筋に冷たい感覚を覚えた。それは本能的な危機感であり、彼女は反射的に身を躱していた。
――バスンッ!バスンッ!
枯れ葉が舞い上がり、先ほどまで彼女が立っていた地面に小さな穴がいくつも開く。鋭い音ともに飛来したのは、まるで弾丸のようなものだった。
「……やはり、避けてしまいますか。」
落ち着いた若い男の声が、黒薙の背後から響いた。
片膝を地についた黒薙は、素早く声のする方へと万年筆を構える。その視線の先に立っていたのは、姿を消していたはずの月岡だった。
月岡は少し盛り上がった地形の上に立ち、黒薙を見下ろしている。その丸い眼鏡越しの瞳には、冷たい狂気が映り込んでいた。
「月岡蓮慈、ここで何をしている!」
「やれやれ、落ち着いてください。私たちの目的は、おそらく同じでしょう。」
微笑を浮かべる月岡。その薄気味悪い態度に、黒薙は思わず眉間にしわを寄せる。
「……目的はコカトリスか。」
「そう、その通りです。いやはや、素晴らしい。やはり、あれは中世ヨーロッパの文献で広く語られるコカトリスの魔物なのですね!」
楽し気に語る月岡の言葉に、黒薙は警戒しながら立ち上がる。
「お前の狙いは何だ?」
「単に観察したいだけですよ。私の探究の成果をしばらく調査した後なら、君たちに譲っても良いと思っていました……が――」
月岡は手にした“魔法のステッキ”を黒薙に向けた。その先端についた宝石が不気味に光を放つ。
「興味深い発見をしたので、簡単には譲れなくなってしまいました。」
彼の言葉が言い終わるや否や、足元が揺れ始めた。地面が割け、ひび割れた大地から無数の岩がせり上がってくる。
『大地よ、牙となりて我が敵を穿て、“
月岡の詠唱が終えると同時に、岩の礫が宙を舞い、無数の弾丸となって黒薙に襲い掛かる。林の中に風を切る音が響き、黒薙の視界は迫りくる岩の礫に覆われた。
「くっ……!」
その攻撃をひらりと身を翻して回避した黒薙は、手に持った万年筆を素早く構える。
「放て、“
万年筆のペン先から放たされたインクの弾丸が一直線に月岡を狙うが、彼の前に現れた魔法陣がそれを弾く。
「やはり駄目か……」
黒薙は軽く舌打ちをすると、飛んでくる礫を躱しつつ、近くの木の陰に身を隠した。
「コカトリスを諦めて帰っていただけるのであれば、攻撃は止めますよ。」
木の陰から様子をうかがう黒薙に、月岡が余裕げに声をかけた。その間にも放たれる礫は彼女の隠れている樹木を徐々に削り、周囲に小さな木片が飛び散っていた。
激しい攻撃のさなか、黒薙は笹平の札をポケットから取り出した。
「ここで逃げるわけにはいかない……!」
自分にそう言い聞かせるように呟いた黒薙は、札を握りしめた。攻撃が途切れた一瞬の隙をついて、彼女は木陰から飛び出す。
「“
ペン先から放たれたインクの鎖が頭上の樹々に突き刺さると、そのまま鎖を巻き取るように黒薙は高く舞い上がる。
空中にいる黒薙は、素早く左手で札を月岡に投げつけた。
月岡は迫りくる札を一瞥すると、あっさりと避けてしまう。黒薙の投げた札は、その足元にある枯れ葉の中に落ちていった。
「以前見させてもらいましたから、同じ手は食いませんよ。」
月岡が不敵に笑みを浮かべると、そのままステッキを振り、黒薙を狙った。
――だが、黒薙は落ち着いた様子で左手を動かし、印を結ぶ。
「
月岡の足元に貼りついていた札が光を放ち、その瞬間、突風が巻き起こる。落ち葉が舞い上がり、月岡の視界は一時的に隠されてしまう。
「おっと……!」
次に月岡が視界を取り戻した時、彼の瞳に映ったのは、万年筆を構えながら鋭い眼光でこちらに突っ込んでくる黒薙の姿だった。
――ガッ!!
月岡の周囲に展開されていた防御魔法陣が煌めき、万年筆の鋭い先端を受け止める。光の膜が輝き、黒薙の攻撃を完全に阻んだ。
「ぐっ!」
黒薙は必死に万年筆を押し込もうとするが、魔法陣に力負けするように後方へ弾き飛ばされた。地面を転がる彼女の息遣いが荒く響いている中、月岡は冷笑する。
「残念、惜しかったですね。」
月岡は地面に膝をつく黒薙に向けて、ゆっくりとステッキを構え直した。その動作には、勝利を確信した余裕があった。
しかし、彼が呪文を詠唱しようとした瞬間、不意に異変が彼を襲う。
「……!?」
月岡の手首に冷たい感触が走る。見ると、黒い鎖がすって気に絡みつき、まるで生き物のように滑らかな動きで、彼の手からステッキを奪い取った。
「何……!」
鎖はステッキに絡みついたまま、黒薙の手元の万年筆に戻っていく。月岡から奪ったステッキが、彼女の手の中に握られたのだった。
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