第4話
その夜、猿島と犬田を連れて僕は町の居酒屋に出かけた。僕は居酒屋の中に入るとテーブルの椅子に座り、焼酎を注文する。猿島はレモンサワー、犬田はオレンジジュースだった。僕は焼酎を飲むとぐっと胸につかえていたものが段々とあふれ出すのを感じた。自分の責任と重圧。そして家から追い出されるという現実に今の僕は向き合わなければいけない。なにより、鬼と対峙しなければいけないという恐怖にも立ち向かわなくてはならなかった。
「鬼退治なんて無理だ。僕には無理だ」
「かもなぁ。お前、臆病だしな」
猿島はレモンサワーを飲みつつ焼き鳥を食べながら僕には目もくれずに言った。犬田はオレンジジュースをちびちび飲んでいる。
「第一、鬼ってどんなやつなんだ?」
僕は猿島に聞いた。
「知らねぇよ。町で暴れまわってるって言うから、乱暴者なんだろ」
「猿島くんと一緒だね、ひひ」
「なんだとぉ! おい、犬田ぁ! クシ食わせるぞ!」
猿島は犬田をヘッドロックして焼き鳥のクシを犬田の鼻に押し込む素振りを見せる。犬田は涙目になりながら「やめてよぉ、やめてよぉ」と懇願していた。
「そんな乱暴者に、僕が叶うと思う?」
「まぁ、無理じゃろな」
守護霊は言った。
「無理だろ。お前みたいな臆病者に乱暴者の相手は」
猿島はそう言うと犬田のヘッドロックを解いてレモンサワーを再びやりだした。犬田はぜーぜー言いながらオレンジジュースのジョッキにしがみついている。
「桃吉、お前、正直自分が桃吉として生まれて後悔してるだろ」
「え? うーん、してるかも」
「だろうなぁ。お前は鬼退治をしないと世間が許してくれない。家にひきこもってただ飯食らってるだけのお前なんて世間は許さない」
猿島はにやにやと笑いながら僕に言った。僕は猿島の言うことを聞きながらその通りだと思った。僕は今、思い返せば、桃から生まれたことでずいぶん良い待遇を受けてきたように感じる。学校のテストで悪い点を取っても先生は「お前は桃吉だからな」と言って怒ったりしなかった。運動会でびりっけつになっても周りは「桃吉は桃吉だからな」と言って笑ってくれた。僕は桃吉という身分に甘えて今まで自己研鑽的なことはしてこなったかもしれない。それもこれも僕が鬼退治をするという約束事があるから、みんな許してくれたのかもしれない。だが、今日の爺さんは違った。僕が鬼退治に行きたくないと言ったら人が変わったようだった。僕は鬼退治に行かなければ用無しな人間なんだろう。
「行こうかな、鬼退治」
僕はぽつりと呟く。すると守護霊が血相を変えて言った。
「何言うとる。行かなくていい。お前じゃ無理じゃ」
「でも、僕は鬼退治に行かなくてはいけないんですよ。それが僕の宿命なんです」
守護霊は眉間にしわを寄せて困ったような顔をしている。
「お。鬼退治に行くのか? 桃吉。やめとけやめとけ、お前じゃ返り討ちに合うのがオチだぜ」
猿島はそう言いながら焼き鳥をほおばっている。
「そうだよ、桃ちゃん。無理しない方がいいよ。ひひ」
犬田は細い目をさらに細めながら僕を諭してくる。
「でも、鬼退治は僕の存在意義なんだ。僕が鬼退治に行かなかったら僕は消えてしまうかもしれない」
その夜はそれで更けて、僕らは解散した。僕は緊張と不安で眠れなくなってしまっていた。鬼たちと対峙することを考えると身がすくむ思いだった。正直、居酒屋ではああ言ったけど、僕はまだ悩んでいた。本当に鬼退治に行くべきか、それともこのまま家を出て逃げるべきか。僕の人生は選択を迫られていた。
翌日になり、僕は部屋で目を覚ますと部屋の時計を見た。時刻は朝の十時だ。僕は部屋を出て階段を下りて台所に向かう。婆さんが何か料理を作っていた。僕は婆さんに「おはよう」と挨拶をすると、婆さんは「おはよう、桃吉」と言って笑顔を見せた。
「桃吉や。お前、鬼退治には行くのかえ?」
婆さんは料理をしながら僕に聞いてきた。
「わからない」
と僕は答える。
「それでええ。宿命なんて背負うもんでもないんじゃ。嫌なら逃げたっていいんじゃ。なぁ、桃吉や」
婆さんはそう言うと湯が入った鍋に火を入れた。僕は冷蔵庫から炭酸飲料を取り出すと蓋を空けて一口飲む。シュワシュワとしたノド越しが伝わってくる。僕は冷蔵庫を閉じると、婆さんに言った。
「そうだけど、婆さん。俺、鬼退治に行ってみるよ」
「桃吉や」
「きっと大丈夫さ。何とかなるだろ」
僕は一瞬沈黙してから婆さんに言った。
「婆さん、きび団子を頼む」
婆さんがきび団子をこしらえる間、僕は部屋着から外着に着替えて玄関前で仁王立ちになった。婆さんがきび団子を持ってくると僕はそれを背中のリュックサックに入れて靴を履いた。僕は婆さんに「行ってくる」と言って玄関の扉を開けた。だが足が前に進まない。僕は心の奥から黒いモヤモヤとしたものが湧き上がってくるのが感じられた。その黒いモヤモヤは僕の足を止まらせて僕をひざまずかせようとしてくる。僕はその場に膝を付き、息を漏らしながら玄関の床を見ている。
「桃吉や……」
婆さんは心配そうに僕の後ろに立っている。僕は鬼退治への不安で胸がいっぱいになってしまっていた。そして足が前に進まない。鬼退治? 臆病な僕が? そんなことが可能なのか? 僕は婆さんを見て言った。
「婆さん、やっぱ無理かも……」
僕は部屋に戻ると外着のままベッドで横になった。底知れぬ不安を玄関で感じてからまだその黒い心の動揺は収まらない。僕はまるで心臓を悪魔に握りしめられているかのようにその身を屈めるしかなかった。
「桃吉、お前じゃ無理じゃ。無理するな」
守護霊はそう言うと残念そうな表情を浮かべた。
僕は愕然とした。鬼退治は無理なのか。僕はベッドで横になりながら壁に掛けられた時計を見ている。こんな時、頼れるのはあの人しかいない。
僕はメンタルクリニックのキジ沢先生に会いに行くことにした。
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