1-2 Blink.(瞬き)

──同日、14時頃。


 蒼穹そうきゅうを仰ぐ丘の上には、ぜいを尽くした王宮が君臨していた。その屋根は、まるで天空に架かる虹のように330メートルの長さを誇り、左右対称の完璧な美しさをたたえていた。西に向けられた荘厳な正門は、王都を見下ろすかのように遠くを見据え、王と民の深き絆を象徴していた。その姿は、遠くからでも人々の心をきつけ、王国の威厳と繁栄を物語るかのようであった。



 豪華絢爛ごうかけんらんな宮殿の中で一番格式の高い謁見の間で、主人の登場を今や遅しと皆が待っている時に、ようやくその声が聞こえた。


「国王陛下のお出ましです。」


 侍従じじゅうの声に誰もがひれ伏した。一段高い位置に置いてある重厚感じゅうこうかんあふれる椅子いすに国王はゆっくりと腰をかける。その後には交差する巨大な剣と槍のレプリカが飾られ、この王国が武力によって拡大してきた歴史を如実にょじつに示していた。

 国王は王家の青、ロイヤルブルーのガウンを羽織り、左手には王冠を抱えており、この集りが格の高い物である事を象徴していた。


おもてをあげよ。」


すっと顔をあげたオルロフ一家は驚愕きょうがくした。自分たちは謁見時の第一種正装、ジュストコールに白いクラバットを着用しているのに、王弟であるアルトワ公はじめ各々が肩掛けマントペリースを着け、この場が特殊な場であることを示していた。アルトワ公は王族を表す花紺青色はなこんじょういろの軍服をまとい、ペイロール候は何物にも染まらないという強い意思の表れである意味する漆黒しっこくの正装を、教皇は最も聖なる者である事を表す白のローブを、ベアトリーチェは先程とはうってかわり胸元の空いていないシンプルな橙色のドレスを、リンデンバウムきょうは一滴の血も流す事はないことを意味する純白の軍服をしており、自分たちが非常に場違いな存在である事を痛感つうかんしていた。


「では、直接私が問う。オルロフの子弟、貴様は何を望む。」


 オルロフ伯の息子のブライアン・オルロフは毅然きぜんとした表情で答える。



「お答えします、陛下。私は12熱望ねつぼうしております。」



 その言葉を聞いて、ニヤリとした笑みを浮かべた国王は続ける。


12か。この世界を護る最強のほこたてといわれる騎士団。まあ夢を見ることは良い事だが、それが仮にあったとしよう。貴様はそれに加わるにあたいする力を示すものはあるのか。」


 ブライアンは、待ちかねた様子で問いを受けると、満面の笑みを浮かべ、力強く語り始めた。

 


「私は魔法大学を卒業後、現在陸軍魔法科連隊りくぐんまほうかれんたい三佐さんさとして、日夜にちや王国を守っております。また家はでごさいます。家柄も出自しゅつじも経歴も存分ぞんぶんかと。」


 国王はブライアンを鼻で笑い、見下みくだした表情で更に続ける。



「その程度か、実に凡庸ぼんようではないか。貴様、年はいくつつか。」

その言葉に少し苛立いらだちながら、真っ直ぐな目で答える。


「はっ、30歳ちょうどになります。」


国王は、玉座からブライアンを見下みおろしながら、鼻で笑って呆れたように言い放った。



「つまらぬな。世には10歳にして魔法大学大学院を卒業したやからや、親はいないが若くして教皇になった者も存在する。おとぎ話の騎士にはそのくらい傑出けっしゅつしたものが必要だと思わないか。」


嫌悪感を示しはじめた国王にブライアンは食い下がる。


「ですが、私には絶対的な魔法力と剣技がございます。」


その声に、どこからともなく静かな笑いがおきた。


 オルロフ伯たちは、嘲笑ちょうしょう渦中かちゅうに投げ込まれ、まるでおぼれる者のように、必死に呼吸しようとしていた。その間にも、恥と怒りと焦りが、彼らの心をかき乱し、顔色は刻々と変わっていった。



というものを今からお見せしよう。リンデンバウム卿、よろしいな。」



 控えたままのプラチナブロンドの髪の女性に国王は言葉を投げかける。



「この場で一番年若い私が露払つゆはらいとなるしかないのが最善でしょう。まあ、断ったとしても、陛下は命令するのでしょうから。」


 冷たい瞳は国王を全く捕らえておらず、その近くにいる教皇の姿を静かに見つめていた。それに教皇も気がついたのか、優しく微笑みながら小さく手を振っていた。


─全くあの人は、のんきな。

 リンデンバウム卿は小さく溜息をついて、視界の端に、国王の姿を入れる。


「良くも悪くも 嫌味しか出てこない口だな。さて、お集まりの諸君しょくんけをしようではないか。どちらか、どれだけの時間で勝つかだ。では、オルロフ伯から。」


 オルロフ伯が口火くちびを切った。


「我が息子が負けるなど、ありえません。10分もあれば、相手を打ちのめして、この場から追い出すことができます。」


「次、オルロフ夫人。」


国王は次々に質問を投げかける。


「私共のブライアンが勝ちましょう。時間は夫と同じでございます。」



国王は、玉座に深く腰掛け、こちらを見下ろしながら、鼻で笑ってこう言った。


「…ふーん、それは面白い冗談だ。…本当にそう思うか。次、ブライアン・オルロフ。」




勿論もちろん。時間は5分あれば十分です。」



 国王は肩をすくめ、やれやれと小さくつぶやく。


「ではアルトワ公、忌憚無きたんなき意見を。」


「リンデンバウム卿の勝ちでしょう、兄上。時間は10掛からないかと。」



 アルトワ公の目の奥がこれから始まる座興ざきょうの結果を知っているかのように笑っていた。



「ペイロール伯。」


「率直に申し上げますと、リンデンバウム卿が1に勝利するかと存じます。」


 ペイロール伯は無表情で淡々たんたんと答える。


教皇聖下きょこうせいか。」


「立場上、け事は禁じられているのですが、あくまで私のを申し上げるなら、これは勝負になどなりません。リンデンバウム卿がこの戯事ざれごとなどまたたく間に終わりらせるかと。」



 教皇は静かに答える。国王はそれを聞いて満足したのか不気味な笑みを浮かべる。



「さあ、これで3対3の同票となった。どちらを選ぶかね、ベアトリーチェ・ド・チェンチ。」


ベアトリーチェは控えたままだが、明らかにこの戯事ざれごとの結果知りながら、この場を、あくまでゲームとして楽しんでいるような不敵な笑みを見せていた。


「ワタシは新参者ですから、どちらともはかりかねますわ。」



 国王はベアトリーチェの言葉を待っていたかのように、高笑いを始めた。



「ああ、愉快、愉快。これではけにならぬな。では、セリス・フォン・リンデンバウム、程々ほどほどにやれ。ただし物は壊すな、殺すな、血でこの部屋をけがすな。よいな。」



 国王の煽るような態度に、セリスの忍耐は限界に達していた。オルロフたちに絶望をみせつけるため、あえて同票という結果を作り出し、国王はセリスを挑発しようと目論んでいた。心の奥底では、この場からすべてを消し去りたいという衝動に駆られていたが、その後の混乱を恐れて、何とか感情を抑え込んでいる。


「仰せの通りに。Your Majesty.」


 その声を聞いて、ブライアンは自分の対戦相手となるセリスの姿を横目に見た。

 年は随分と若いがこの事態におくする事なく、表情一つ変えず、国王を直視しているかと思うと、逆にちらりと横目で見られた。ぞっとするような、美しいコバルトブルーの瞳から冷酷れいこくな光を容赦ようしゃなく放っている。


 ──ブライアンはそのあまりの美しさに戦慄せんりつした。


だがブライアンは、剣の柄を握りしめながら、自身の内なる葛藤と戦っていた。その視線の先には、美しさと冷酷さを併せ持つ女神セリスの姿。畏怖の念を抱きながらも、セリスの前に立つ自分の姿を想像する。


『この美しい女神のような人を倒すのか...。』


その言葉は、ブライアンの心の奥底から漏れた呟きだった。美しき女神への畏敬の念と、勝利を掴みたいという欲望が、ブライアンの心を掻き乱す。剣の重みは、彼の決意を固めようとするが、同時に、その美しさに心を奪われそうになる自分がいた。

『だが、今は勝利の時。我が力を示し、私は最強の騎士となる。』


そう自らを奮い立たせ、ブライアンは深呼吸をする。セリスの冷徹な瞳が、彼の心に突き刺さる。しかし、その鋭い視線は、同時に彼の闘争心を燃え上がらせると同時にあの美しい女神を屈服させたい欲求に駆られていた。



『この戦いに勝てば、私は...。』



勝利の先に本当は何があるのか。名声か、それとも...。ブライアンは、まだ見ぬ未来への期待と不安を抱きながら、剣を構えた。



「では、私の合図で始めよう。両者抜刀。捧げ剣。commencer.開始




 その声と同時にセリスが剣を構えるやいなや、周囲の空気が張り詰めた。彼女の瞳には、冷酷な光が宿り、ブライアンは恐怖に震えた。まるで、狩りに来た猛獣のようなオーラが、セリスから溢れ出ていた。次の瞬間、セリスは素早い動きでブライアンの武器を叩き落とた。喉元に今まさに突き破らんとすんでのところで止められている鈍色にびいろの鋭い。その先には、美しくも残忍な、神々こうごうしさをも感じる整いすぎた顔が表情一つ変えることなく、何者かの合図を待っていた。

 


「リンデンバウム卿、納刀のうとうを。」



 国王の言葉に、渋々しぶしぶながらセリスはさやに剣をおさめた。カチャという酷く無機質な音が部屋に響く。



「これでわかったであろう。こういうことだ。ついでに良いことを教えてやろう。リンデンバウム卿、最終学歴と卒業時の年齢、それに今の年齢は。」



 国王の問いにつまらなそうな顔でセリスは応えた。


「魔法大学大学院卒、当時10歳で現在18歳。陛下はご存知の事を何を今更。」


 ブライアンは思った。ここにいる者の全てが結果がわかった上で、自分たちをもてあそんでいるのだと。この領域にかすりりもしていない事をわかっていて。そしてプライドを完膚かんぷなきまでに叩きのめすさまを暇つぶしにさえ微塵みじんも思ってもいない。悔しさや、恐怖、落胆らくたん、怒り。様々な感情が入り乱れた。


 国王はわざと仰々ぎょぎょうしく思ってもいないことを話し、トドメを刺してきた。


「さて、皆の者、座興ざきょうは終わった。お茶にでもしよう。オルロフ伯たちも同席してもいいぞ。まだその厚かましさが微塵みじんでも残っていればの話だが。それにしてもBlink瞬きくらいはさせてくれるかと思ったが、とても残念だよ。」

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