死って何、生きるって何
ゆずリンゴ
死ぬのは怖い
長く生きていていれば多くの人が向き合うこととなる死。
私が死について初めて考えたのは小学生低学年のとある時期のことでした。
小学生2年生の10月の昼時に
病気が見つかった段階で大きな大学病院を紹介された私は人生初の入院生活を送ることになりました。
最初の1週間は個室、それ以降は六人程と
共同の部屋での生活になったのですが……
個室では保護者の寝泊まりも認められて居たのが2週間目以降の共同部屋ではそれは不可能ということで慣れない環境で1人眠る事になりました。
私は小学一年生まで寝る時は親と同じ寝室だったので当時は夜眠る時、凄く心細かった事が印象に残っています。
時には夜に涙を流すという時もあったのですが、何より何時になっても親からの
『早く寝なさい』 という言葉が無いのでいつ眠ればいいのかが分かりませんでした。
まぁ、消灯時間になると部屋の明かりを看護師の方が消しに来るので消灯時間の21時(22時かも)には眠ろうとしていた気がします。
───が、知らない環境だと中々眠れず1人考える時間が増える様になったのです。
最初は「今、学校では何をしているのか」という純粋なものだったのですが時間が経つに連れて「生きるってなんだろう」などの
哲学的な事を考える様になっていました。
そうすると今までは無かった「恐怖心」が芽生え始めたのです。
「○○をすると人が悲しむ」「×××は良くないことだ」「△△をすると相手はどう思うのか」
そんな思考の末に「人に失望されたくない」という考える様になった私は行動をする上で
昔はその場の状況で思うままの行動を取っていた私ですが、「恐怖心」が芽生えてからは取った行動を後になって後悔する事も増えました。
───とは言え、まだまだ子供だったので看護師の方に失礼な行動を取ることも多かったんですけどね。
そんな、辛くて悲しい孤独から2月程経って時期としては学生が冬休みに入る辺りで少し変化が起きました。
それまでは、「月〜金は病院で土日は家に帰る」を繰り返して居たのですが12月辺りに行った大きな手術を行ってから半月程家でゆっくりする時間を得たのです。
ただし、注意点として左腕に手術により通した針があるのでそこの部分を濡らさない様に注意をした上での生活です。
そうして、久しぶりに家族と長い時間を楽しく過ごしたのですがそれが終わると次に家に戻れるのは退院した時となりました。
病院生活に戻った私は早々にまた大きな手術を受ける事になったのですがそれ以降の、ひと月は無菌の個室で生活を送る事に……
この1ヶ月の期間は部屋から出ることを禁止されていたので検査を受けるために病院内を動き回る必要もありませんでした。
そうした、無菌室の生活が始まった時の私は左腕から常に点滴を摂取していたのですがそんな変化した生活でも個室の為保護者と共に就寝が可能だったため耐える事が出来ました。
ただ1つ、辛いことを挙げるとすれば味覚の変化です。
今も理由は分かりませんが変な味のする氷を30分ガリガリと噛んで食べ続けるのを続けた私は数日で味覚が麻痺してほとんどの食べ物を美味しく食べられなくなったのです。
それは今まで好きだった物も嫌いになる程で……
ただ、「白いダース」「アイスの実」「チーズおかき」辺りは美味しく食べる事が出来ました。
特に「アイスの実」が美味しかったのが印象的で、「ガリガリ君」が嫌いになるほど不味かったのを覚えてます。
そんな無菌室の生活を終えると再び六人の共同部屋での生活に戻りました。
そうして共同部屋の生活に戻ると再び1人で寝るようになったのですが、ある日を境に身体に異変が起こりました。
それが『腹痛』です。
それは毎朝、起きた瞬間からの事で常に腹部を刃物で抉られている様な痛みを一日中耐えるのです。
流石に少し盛ってる気もしますが、当時の自分にとっては耐え難いものでした。
ですが少なくとも中学生の時にかかったノロウイルスによる腹痛よりも痛かったです。
そんな「腹痛」と「味覚変化」の組み合わせにより私はご飯を食べることが無くなりました。
点滴を摂取してる事で空腹感も少なかったが追い風だったと思います。
たまに食べるとしても温かい味噌汁とお米だけです。
───が、そんな腹痛もお風呂に入ると無くなる事が分かりそれ以降は予約制のお風呂に入るのが当たり前になりました。
そんな腹痛生活を続けていると心細くなることが 増え、精神もだいぶ弱くなっていたのか『死』について考えるようになりました。
多分、『死』が身近な存在となった事も関係していると思います。
死んだらどうなるのか、天国や地獄はあるのか。
最終的には「死んだら無になる」というのが小学生2年生の自分の出した結論でした。
それが怖くて怖くて、死ぬのが怖くて夜は毎日泣いてました。
考えたく無くても『死』が浮かんで来るのです。
先に言ってしまうと今現在、元気だし余命宣告もされてませんが運が良かっただけです。
癲癇の起こるタイミングが遅ければ病気の見つかるタイミングも遅れる訳なので障害も残るし、なんなら今生きてるかすらも分かりません。
ただ、運が良かったのです。
───ですが、今生きてることは定められた運命と言えるのかもしれません。
話を戻して、『死』が怖くなった私はその逆、『生命』についても考えるようになりました。
人はどのように生まれるのか───
それは「親が子を産む」という話ではなく、「人類がどう生まれたのか」という意味で。
小学生の自分が出せる様な簡単な話では無かったので明確な答えはありませんが、『人』という入れ物に『魂』が入ったのでは無いかと考えた気がします。
流石に10年以上前の記憶なんて曖昧ですが、「この地球、そして世界、宇宙とは別の次元が存在しており、その別の次元から『魂』という形で入り込み地球で生活してるのが私達なのではないか」と。
そしてその『魂』が存在するのがいわゆる『(別次元に存在する)天国』のような場所なのかもしれません。
───入院生活でそんなことを考えた私ですが、薬の副作用とストレスで退院する頃には髪が全部抜けていました。
それに、入院中は身体を動かす事が出来なかったのでまともに立ち上がる事も出来なかったのです。
一応、退院する前にリハビリとして身体を動かしましたが退院した時点では、バランス感覚麻痺、体重激減でまともな生活が送れませんでした。
禿げたのも辛かったけど、それから2年くらい経った頃にはフサフサに戻れました。
それと、退院して直ぐに太りました。
入院前まではスポーツ少年でしたが、退院してからは基本的に外出もできず、激しい運動は認められなかったのです。
───何よりも、美味しいものを沢山食べたから。
退院してすぐにお祝いのご馳走、入院生活で味覚壊れて美味しく食べれなかった分、味覚が戻ってからは今まで苦手だった物も美味しく感じる様になり、色々パクパクしてたせいでいつの間にか肥満体型になりました。
色々食うけど運動は出来ないから痩せることはない、ただ太るだけ……絶望。
ただ、流石に今は痩せました。
そんな、長い入院生活で私の思考回路は変化した訳ですが、退院して1年はずっと『死』に悩まされました。
退院してからもお風呂に入る時や眠る時にどうしても考えて泣いてしまったのです。
親に相談もしましたが、それでも考えてしまって……ですが時間が何とかしてくれました。
入院中では眠れなくなってナースコール押して麻酔を打って無理やり眠る程悩んでいたのですが。
それでも今もたまに、「怖いな」ってなる時はあります。
ために変な思考パターンになるとどうしようもなく怖くなるのです。
でも、眠ればそれも無くなります。
死ぬのが怖いのは生きてる以上当たり前のことです。そして、それで悩むのも。
それでも、人間は上手く出来てるもので普通に生きてれば普通に怖くなくなるのです。
まぁ、多分それは死ぬのが身近じゃないと無意識に考えてるからな気もしますが。
最後に、今の私の生と死へと向き合い方について。
中学生の時は何度も自殺しようと考えていましたが、結局私は今も『死』が怖いのでできませんでした。
死ぬ怖さを理解していればほとんどの人は死ぬことは出来ないんだと思います。
それでも自殺する人が多いのは『死ぬよりも生きる方が怖い』となったからなのでしょうか。
そんな、いつ死ぬか、死にたくなるかも分からない人生ですがどうせ生きるなら私は楽しく生きたいです。
近年では色々な問題、性別的な物だったり立場的な物があって、多くの人が色々な物に縛られています。
まぁ、こんな縛りを課せられる世界だからこそ自分の気持ちに正直に生きた方がいいんじゃないですかね。
私は死んだら後悔することも出来ませんから生きてる内に後悔しないようにしたい!
少なくとも生きてて良かったと思うことは皆あると思うんです。
私だって死んでいたら出会えなかった、好きな本や好きなアニメが沢山ありますから。
〝犯罪にならない範囲で後悔しないように人生を楽しもう〟ってのが私の生に対する向き合い方です。
逆に死に関しては、受け入れてます。
私の場合、今生きてることが奇跡なのでいつか来るであろう死は受け入れます。
───とは言いますが、いざ死と直面したら『死にたくない!』となりそうですか。
いえ、絶対になります。 だって怖いから。
ここまで色々言いましたが、結局死んだらどうなるんでしょうか。
魂は無に還るのか、生まれ変わる……輪廻転生は存在するのか。
答えは分かりません。だって、死を体験した事無いから。
例え『死を体験しました!前世の記憶あります!』と言われてもそれが本当かも分からないし……分からないからこそ怖い。
『死』については今は受け入れるしかないですね。逆に一生死ねないのも怖いですが。
なんなら不死身になる方が死ぬより怖い。
───以上が、私の『死』と『生』への考えです。
そしてあくまでも私の考えであり、正しい考え方も答えもありません。
はい、ここまで読んでくれてありがとございます。終わりです。
死って何、生きるって何 ゆずリンゴ @katuhimemisawa
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