第2話 新婚旅行
視察終了まであと二日。
仕事終わりにイヴァンと共にホテルへ向かうと思っていた俺だったが、イヴァンに「こっちだ」と言われて港の方へ向かう。
港には大きな客船が泊まっており、それを見た俺が興奮した様子ではしゃいでいると、手を引かれ船の乗り場へ連れていかれた。
「今からこれに乗るぞ」
「えっ、」
驚く俺を無視してイヴァンが楽し気に俺をエスコートする。そのまま、あれよあれよと客室に案内されて、俺は部屋の真ん中で立ち尽くした。
部屋の隅の棚には、ホテルに置いているはずの荷物があり、これが何を意味しているか理解した。
「え、もしかして今日はここに泊まるの⁈」
「そうだ。びっくりしたか?」
イヴァンは、興奮して大きく頷く俺に笑いながら「誕生日の前祝いだ」と言った。
豪華な食事を取り、部屋に戻った俺達は窓から外を眺める。この船は俺達の住む町に近い場所に泊まるらしい。
俺は明日も仕事をして帰るものだと思っており、こんな豪華な船に乗って帰っているなんて信じられない気分だ。
「何を考えてるんだ?」
いつの間にか無言になっていた俺は、窓の外ではなく手元を見ていたようだ。後ろからイヴァンが顔を覗き込む。
「なんか、新婚旅行みたいだなって思って」
イヴァンと結婚してから少し経つが、今でも俺達はお互いにべったりだ。
「新婚旅行?」
初めて聞く単語らしく、俺が『結婚してすぐに旅行に行くこと』だと教えると、イヴァンは疑問に思ったことを口にする。
「結婚してもうすぐ三年になるが、まだ新婚旅行は有効なのか?」
「うん、蜜月に行けば大丈夫」
俺はさらに蜜月とは『とても仲のいい関係の二人』をこのように表すのだと説明し、通称でハネムーンと呼ぶのだと教えた。
それを聞いてイヴァンはにっこりと笑う。
「いい響きだな。俺とアサヒは結婚してから今までずっと蜜月ということだな」
イヴァンは新婚旅行というシステムを興味深く思ったのか、普通はどんな場所に行くのかや、何をするのかを尋ねてきた。
高校生までの知識しかない俺は、出来る限りそれらに答えた。そして新たな単語も教える。
「新婚旅行中にできた子どもはハネムーンベイビーっていうんだよ」
この言葉が実際に今も使われているのかは怪しいところだが、蜜月に旅行に行くとそういうことになるケースが多いからだと伝えると、イヴァンは「なるほどな」と言って笑った。
笑っただけでその話題を変えようと外を指さしたイヴァンに、俺は疑問に思っていたことを尋ねる。
「イヴァンはさ、子どもって欲しいと思う?」
「子どもか……」
俺の言葉に、歯切れ悪く答えるイヴァン。
「まだまだアサヒを独占したいからなぁ」
イヴァンの声は少し緊張しているように感じる。
後ろから腕を回されているため、はっきりと顔は見えないが、窓に映るイヴァンの表情は強張っていた。
「イヴァン、俺に誕生日に欲しいもの聞いたよね?」
「あ、ああ。何だ?」
いきなり話が変わったことでホッとした声を出すイヴァンに、俺ははっきりと言った。
「俺、イヴァンとの子どもが欲しい」
「アサヒ……」
困ったように俺の名前を呼ぶイヴァン。
アルダリに子どもが欲しいか聞かれた時「分からない」と答えたのは本心だったため、俺自身、今発した自分の言葉に驚いていた。
ぼんやりと、こういう子に育ったらいいなと弟達を見たり、イヴァンに似た子は可愛いだろうなと考えることがあり、その度に、その先に待ち受けている困難を考えて諦めていたのだ。
優しいイヴァン達や子どものような弟達がいる。それでいいじゃないかと思っていた。しかし、今こうして口に出してみると、俺はイヴァンとの子どもを望んでいるのだと気付く。
そして、イヴァンの目や仕草から、彼もまた俺と同じ気持ちであることを薄々感じていた。
イヴァンは俺を後ろから抱きしめると、口を重々しく開いた。
「本当のことを言うと、子どもが欲しいかどうかはよく分からない」
「……分からないって?」
「最近よく考えるようになったんだ」
イヴァンは呟くように話し始めた。
ぽつりぽつりと喋る言葉を聞いていると、イヴァンは俺が双子を抱いている時、コタロウと遊んでいる時、俺達に子どもがいたらこんな感じだろうかと想像するようになったと言う。
「今まではそんなこと思わなかった。アサヒを独占したいという思いも本当だ」
「しかし」と続けたイヴァンの顔は少し苦しそうで、俺は静かにその口が動くのを待った。
「俺は強欲だから、もっともっとと求めてしまう。アサヒが側に居てくれるだけで幸せなのに……すまない」
謝るイヴァンを、俺は不思議に思う。
「なんで謝るの? 好きな人との子どもが欲しいって、普通のことじゃないの?」
イヴァンはその言葉に、俺の背中を抱きしめる手を強めて声を絞り出した。
「俺の母は、ルーサを生んですぐに亡くなった」
「え……」
今まで、イヴァンの口から母親について聞いたことがなかった。それどころか、グライラ家は誰一人として母親の話をしない。それを不思議に思ってはいたものの、俺もあちらの世界の家族の話は積極的にしたいと思わないので、彼らにも何か事情があるのだろうと聞かずにいた。
俺が話を聞こうと振り返ると、イヴァンが口を開いた。
イヴァンの母は身体が弱く、アルダリとイヴァンを生むことができたのは奇跡だったらしい。しかし、二人を育てて、もう一人子どもが欲しいと願ったという。
その結果、ルーサを生んで数時間後に体力の限界を迎えた母親はそのまま亡くなってしまった。
「俺はまだ小さかったから、母の記憶はほとんどない。アルダリは覚えているかもしれないが、詳しくは知らない。母のことについては話したことがないからな」
イヴァンの父は妻が亡くなってからも、イヴァン達の前で決して弱いところは見せなかったという。
悲しいだろうに涙を我慢をして、子ども達と向き合ってきた。
しかし視察へ行けば、亡くなった妻のことで心無い事を言われることがあったという。
「俺達は父さんの心が壊れないように、成人してすぐに領主になったんだ」
そして、アルダリは弟妹に『母の話は今後一切しないように』と告げ、それを家族で守ってきた。
「ルーサは自分が生まれたことで母が亡くなったことを、今でも気に病んでいるはずだ」
そして、自分達がお互いを責めないように予防線を張っているという。
「誰も悪くないからな。子どもを望んだ父も母も、生まれてきたルーサも」
そこまで言うと、イヴァンは俺の手を取って握る。
「俺はアサヒを失いたくない。少しでもその可能性があるなら俺は子どもはいらない。アサヒが何より大切なんだ」
「イヴァン」
それに男性の妊娠とはどんなものか予想ができない、危険なことをしてほしくない、とイヴァンは切実に告げた。
イヴァンが何を恐れていたのかを知り、同じく母を失った俺は胸が締め付けられる。
しかし、その思いに縛られて生きていくことは、違うとはっきり感じた。
「俺とお母さんは別の人間だよ。俺は健康で、森で一年半病気もせずに暮らしてきたし、運動神経も良くて、体力も持久力もあるし、何より毎晩のイヴァンの要求には、まぁ八割は応えれてると思うし、」
「……アサヒ?」
イヴァンはさっきの苦しそうな顔ではなく、焦った顔で俺を見ている。
「なんだよ」
俺は自分のプレゼンを邪魔された気分で拗ねた口調で返した。
「イヴァンが心配するようなことは無いって証明してるんだから、邪魔しないで聞いてよ」
そう言うと、イヴァンが俺の手をぎゅっと握りこんだ。
「イヴァ、」
さらに続きを話そうとしたが、さっきまで冷たかったイヴァンの手がじんわりと温かくなっているのに気付いて顔を上げる。
「俺は……俺は、アサヒとの子どもが欲しい」
「えっ、」
その言葉を聞いた俺は目を大きく開いたが、言った当人であるイヴァンもびっくりしているようだ。
思わず言ってしまったのだろう、口に手が当てられ、あ、と小さい声を漏らした。
「イヴァン、撤回しないでよ」
「……ああ、これが俺の本心だ」
イヴァンの目が細められる。握り合っていたお互いの手の温もりが心地よく、俺達は顔を見合わせてフッと笑いをこぼした。
「ねぇ、アルダリとシータさんの間には子どもが四人もいるけど、どうして?」
「おい、今それを聞くのか」
イヴァンは眉間に皺を寄せて俺を見下ろす。
今、イヴァンは俺の上に跨り、寝間着の前ボタンを外していた。
「だって、気になって」
イヴァンは一旦俺の服を脱がすのを中断し、しぶしぶ横に寝転ぶ。
「真実は俺も知らない。だが、」
イヴァンは自分の憶測を告げた。
彼が妻であるシータを愛しているのは確かで、愛しい人との子どもを望んだのが一番の理由だと分かる。
しかしイヴァンは、それとは別に弟妹に子どもの心配をしなくて良いように……という思いがあったのではないか、と告げる。
「ルーサは死んだ母に見た目がよく似ているようだ。アルダリは小さい頃から『嫁ぎたくなければずっと家にいるといい。』と言っていた」
その度にルーサは「ちょっと! 私だって結婚したいわよ!」と怒っていたらしい。当時を思い出してイヴァンが少し笑う。
見た目は似ているとのことだが、元気に町々を飛び回っているルーサは、俺と同様亡くなった彼女とは全くの別人なのだ。心配はいらないだろう。
「俺にも、結婚や子どもの心配はするなと言ってきたことがある」
アルダリの言葉にイヴァンも救われていたようだ。
恋人としての欲目抜きでも外見がかっこいいイヴァンは、今までに条件の良い縁談がきっとあったはずだ。
しかしイヴァン自身は俺を見つけるまでは恋愛事に全く興味が無かったと言っていた。
それも、家族が結婚にプレッシャーを掛けずに好きなようにさせていたからだろう。
俺もアルダリと家族に感謝しなければならない。
「イヴァンが、俺を選んでくれて良かった」
「ん、どうした急に」
俺が急に胸に擦り寄ったことで、イヴァンは口の端を上げた。
「なぁ、話は後でいいか? 俺は我慢の限界なんだが」
「あ、」
俺はセックスをしかけていた事を思い出し、思わず声が漏れた。
「まさか忘れていたのか」
イヴァンは、信じられないと言いたげに大げさに驚く仕草をして、「お仕置きだな」と言って悪い顔で笑った。
最近のイヴァンのブームである『お仕置き』は、俺が普段なら嫌がることも出来てしまう便利な言葉だ。
「え、また? 俺そんな悪いことしてないけど」
「いや、十分悪い。俺は傷ついた」
にやにやと言う顔にはまるで説得力が無い。
しかし、今日はイヴァンが歩み寄ってくれたおかげで俺達の関係が一歩進んだ日だ。大目にみてやろう。
俺は上に再び跨ってきたイヴァンを見ながら、腕を自分の顔の横に力なく置いて、降参の意を表す。
「いい子だな」
俺の素直な様子に、イヴァンは意地悪く笑った。
(※次回、性的描写が入る為、エピソード非公開にしています。)
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