第6話 隠し事
「アサヒ、今日の昼は空いてるか?」
次の日の朝、二人で身支度をしているとイヴァンが予定を尋ねてきた。
「今日? えっと、今からアルダリと外に出るんだ」
「昼前には戻るだろ?」
「なんか、長引きそうって聞いたけど」
「そうなのか」
少し慌てた声が出てしまったものの、うまくごまかせたようだ。
実は今日、街での仕事が終わり次第、アルダリと買い物をすることになっている。プロポーズの日の勝負服を購入するのだ。
明後日からの二日間、イヴァンと俺は休みを取っており、それまでは仕事の予定がみっちりだ。つまり、買うなら今日しかない。
「残念だな。今日はずっと屋敷にいるから、一緒に昼食を取れると思ったんだが」
「へぇ、そうだったんだね。また次誘ってよ」
「なんだか、やけにあっさりしてるな」
俺のそっけない返事に、イヴァンは少し不満げだ。
服のボタンを留めてズボンを履きながら、俺をチラッと見ている。
「そ、そんなことないよ」
忙しいイヴァンが昼食を共にする機会はめったにない。
普段の俺であれば、せっかくのチャンスを逃したと肩を落としているところだ。
そんな俺がホッとした顔をしているのに気付いたのか、イヴァンが近づいてくる。
「悲しいよ。すっごく!」
「ほう」
コンコン
「イヴァン様、町長の代理の方がお越しです。お約束はされていないとのことですが、いかがいたしましょうか」
「応接室へ通してくれ。すぐに向かう」
「かしこまりました」
俺の顔から思考を読もうとしていたイヴァンだったが、急に従者に呼ばれて顔を離す。
「まぁいい。明後日は一日、ずっと一緒だからな」
「うん。あ、早く行かないと」
「ああ」
名残惜しそうに返事をするイヴァンが可愛く思えて、俺は背伸びをして彼の頬を両手で包む。
「明後日楽しみだね」
「ああ、きっと人生最高の日になる」
その言葉に、イヴァンと将来を誓い合う日なのだという気持ちが高まり、頬が緩む。
「では、早く仕事を終わらせてきてくれ。夕食は一緒に食べよう」
「うん!」
俺は元気に返事をして、イヴァンを部屋から見送った。
町での仕事は一旦落ち着き、今は予定通り、アルダリと服屋を目指して歩いている。
「どんな服を探してるんだ?」
「せっかくのプロポーズだから、きちんとした服が着たいな。襟付きシャツにジャケット、とか」
「じゃあ、あの店に行くか」
迷いなく進むアルダリについて行く。
「よし、最初にここを見るか。イメージと違ったら遠慮せず言えよ。他にも候補の店がある」
「うん、ありがとう」
話を終え、目の前の黒い建物へ入った俺達は、さっそく店の店員に話しかけられた。
「これはグライラ様、ようこそおいでくださいました」
案内されるままに二階へと上がる。
「こちらの席へどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
低い丸テーブル席と革張りのソファのある場所に案内されると、すぐにお茶が運ばれてくる。
思い描いていた買い物とはかけ離れているが、お金持ちはこのように服を買うのだろうか。
「本日はどのようなものをお探しでしょうか?」
「あの、もうすぐ成人なので、きちんとした服を買いに来ました」
ただ服を買うだけなのだが、あまりの対応の丁寧さに緊張する。
「おめでとうございます。では、当日にお召しになるということでしょうか」
「はい」
「それは光栄なことです。何点か見繕わせていただきますので、ご希望がございましたらお申し付けください」
「はい。襟付きのシャツは必ず……あとは、ジャケットとパンツを。もし何か他にオススメの小物があれば、見てみたいです」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
ペコリと頭を下げて店員が一階へ降りていく。その背中が見えなくなると、やっと肩の力が抜けた。
控えめに、高級そうなソファに背をつけた。
「アルダリは慣れてるね」
「アサヒももうグライラ家の一員だろう。そのうちこういう雰囲気にも慣れる」
「うーん、俺はあっちの世界で庶民だったし、ほんの前までは森で自給自足の生活だったからなぁ……まだまだ無理そう」
「とりあえず、今くらいは楽にしてな」
アルダリが俺の胸をトンと押し、ソファに深く座らされた。
アルダリと雑談しながら待っていると、一階に降りていた店員が何点かの服を持って上がって来た。
「お待たせいたしました」
店員は服を目の前のラックに掛けていく。
「気になるものがあれば試着室へご案内いたします」
「どれもかっこいい。アルダリも見てくれる?」
「ああ」
ソファから腰を上げて服を近くで見る。
どれも素敵だが自分にはまだ早いかもしれないという気もした。
「アサヒ、これ着てみたらどうだ? 似合いそうだ」
「あ、うん!」
言われるままに次々と袖を通していく。
アルダリはそれを見ながら、「こっちの色の方が似合う」「それは少しやりすぎじゃないか?」と的確に感想を言ってくれた。
「これ、どうかな?」
「お、いいんじゃないか」
俺が選んだのは、暖色のシャツに柔らかいオレンジのネクタイ。そしてグレーのジャケットとズボンだ。
自分でも気に入ったこの一式は、俺の身体に合わせて直しを入れてもらうことになった。
「アルダリ、ありがとう」
「気にすんな。しかしまぁ、アサヒがここまでするなんて、イヴァンは愛されてんなぁ」
そう言って微笑むアルダリに、俺の顔が少し赤くなる。
「指輪も服も用意したし、明後日は精一杯頑張るよ」
「頑張るも何も、もう返事は決まってるだろ」
「それでも頑張るんだ!」
笑うアルダリに熱い気持ちを伝えた。
「お待たせいたしました。お品物のお渡しの準備が全て整いました」
先程のソファの席に、担当の店員が出来上がったスーツを持って現れた。特別感溢れる服を見て、その日が来るのを待ち遠しく思った。
「なぁ、最近おかしいぞ」
その日の夜、ベッドの上で寝転がって本を読んでいた俺に、寝室に来たイヴァンが急に話しかけてきた。
「ん? なにが?」
その言葉の意図が分からず聞き返すと、イヴァンは眉を寄せた。
「最近、コソコソ何かしてるな」
「え? な、何のこと?」
慌ててごまかすが、イヴァンは隠し事があると疑っているようで、じっと目を見つめてくる。
今バレたら努力が水の泡なんだけど……
絶対にサプライズを成功させたかった俺は、頭の中でいくつか適当な理由を考えたが、どれもイヴァンには通用しそうにない。
「アサヒ、」
続けて何かを聞かれては困ると思い、俺はとっさにイヴァンにちゅっと口づける。そして、そのまま舌を出してイヴァンの唇を掠めるように舐めた。
そのままエロい雰囲気になれば……。
動かないイヴァンに舌を絡め、ちゅっちゅと舌を吸った後、顔を離す。
そして閉じていた目を開いて、へへっと笑ってみた。
「イヴァ……ン?」
てっきり熱を持った目でこちらを見ているだろうと思っていた俺は、イヴァンが無表情であることに驚く。
「……そういうごまかし方は、好きじゃない」
「え、」
そう言うと、イヴァンは起き上がって枕元の明かりを消し、何も言わずに布団へ潜っていった。
え……もしかして怒らせた?
黙って背を向けて眠るイヴァンに焦りが募る。
今まで喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。
イヴァンが俺の無防備さに注意したり、嫉妬して怒ることはあるが、それも本気ではなかったのだ。
いつもならすぐに「まったくアサヒは」と呆れつつ抱きしめてくるイヴァンだが、今はそういう雰囲気ではなさそうだ。
俺はこの状況をどうしたら良いのか分からず、黙っているしかできなかった。
少ししても、イヴァンは何も言ってこない。
出会った日から抱き合って眠っていた俺は、イヴァンと触れていないと眠れない身体になってしまったようだ。
今日は仕事で街を歩いて疲れているにも関わらず、ちっとも眠気が襲ってこない。
そして、目の前にあるイヴァンの背中を見ると、嫌われてしまったのではないかと泣きたい気持ちになる。
もう全部言おう……
サプライズは失敗だけど、イヴァンとこうやって離れて寝るくらいなら、全て話した方がマシだ。
「イヴァン、寝た?」
大きな背中に、小さな声で話しかけるが返事はない。
寝息は聞こえないのでまだ起きているのだろうが、俺の言葉には反応せず後ろを向いたままだ。
無視されたという事実に、また切なくなってくる。
「さっきはごめんね。俺、イヴァンの言う通りごまかそうとしたんだ」
何も言わない後ろ姿に向かって言葉を続ける。
「今アルダリの部屋にね、いろいろ置かせて貰ってるんだけど……」
驚いてほしかったプロポーズが、こんな形で知られてしまうなんて悲しいけれど、イヴァンとの喧嘩の方が辛い。
「それなんだけど、」
「アサヒ。俺はアサヒが何を隠しているか、大体予想がついている」
「イヴァン?」
突然イヴァンが声を発し、俺はビックリして名前を呼んでしまう。
返事をしてくれたことにホッとするものの、隠していることの内容を知っていると聞き、元々自分の作戦は失敗していたのだと気付く。
「そっか、分かってたんだ」
「気付いてはいたが、アサヒから言うのを待っていた」
イヴァンは背を向けていた身体をこちらに向ける。
無表情だった顔はいつものイヴァンに戻っており、大げさだが涙が出そうだ。
「他の者から祝いの品が送られてきてるのを、隠してるんだろ」
一瞬、イヴァンが何のことを言っているのか理解できなかったが、すぐにアルダリの部屋にある俺宛の贈り物のことだと分かった。
「違うのか?」
「いや、それを隠してたんだ!」
とっさに返事をしてしまう。
えっと、嘘はついてないよね。実際プレゼントのことも隠してたわけだし。
イヴァンは呆れた顔でこちらを見た。
「アサヒ。俺は嫉妬深いが、それくらいで腹を立てたりしない」
「イヴァン」
「内緒事はしないでくれ。寂しい」
そう言って、俺が入れるように腕を上げる。俺はその中におずおずと入り顔を上げた。
その顔は優しく、もう怒っていないのは明らかだった。
「ごめん」
事情があったにせよ、恋人を寂しい気持ちにさせた事に関しては申し訳なく思う。
彼の胸に顔をうずめて謝った。
「俺も大人げないことをした。すまない」
イヴァンが俺を抱きしめる。
背中に回った手が優しく俺を撫で、少しウトウトしてきた頃、イヴァンが急に元気な声を出した。
「アサヒ、祝いについては後日一緒に見るとして……俺を不安にさせた償いをしてもらわないとな」
ニッと笑ったイヴァンが俺のおでこにキスを落とす。
機嫌よさげな顔に、嫌な予感しかしない。
「あのさ、もう遅い時間だし明日償うっていうのは、だめ、かな?」
「駄目だな。俺は深く傷ついた」
いそいそと俺の寝間着の前ボタンを外していくイヴァンは楽しそうだ。
「はぁ、分かったよ」
結局、償いと称していろんなことをされた俺は、翌日の午前中ずっと腰をさすっていた。
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