第7話 新しい家族

「おはようアサヒ」

「ん、おはよぉ」

 目を覚ますと、朝日の中でキラキラと輝くイヴァンが、爽やかに朝の挨拶をした。

 昨夜は仕事が忙しく、部屋に戻り風呂へ入った後、気付かぬうちに眠ってしまった。

 普段なら横で眠っているはずのイヴァンが、俺より先に起きているなんて珍しい。

 全身を見ると、既に私服に着替えており、髪も整えられている。そんなに寝ていたのだろうかと時間を確認したが、普段の起床時間だ。

「アサヒ、誕生日おめでとう」

「あ、えっと、ありがとう」

 イヴァンは俺の前髪を後ろに撫でつけながら、現れたおでこにキスをする。

 今日は俺の二十歳の誕生日だ。

「忘れてたのか?」

「起きたばかりで頭がぼーっとしてて、」

 いつもであれば、イヴァンの起床は俺よりも遅い。

 髪は乱れ、目はしょぼしょぼと眠たげにしていることが多く、頭が回らないのか少しの間呆けている恋人。

 しかし今朝はどうだろう。身なりを整え、キラキラした笑顔で俺にキスする姿は、まるでどこかの王子様のようだ。

「早起きだね」

「今日は特別な日だからな。アサヒのことは俺が全部するつもりだ」

「俺のこと?」

 どういう意味か聞こうと上半身を起こしたが、その身体を急に持ち上げられる。

「イ、イヴァン」

「アサヒは、俺にずっと甘えていたらいい」

 俺を横抱きにしたまま、スタスタと洗面所へ向かっていくイヴァン。

 途中何度も降ろすよう頼んだが、イヴァンは聞く耳を持たず楽しそうに俺を運んだ。


「おはようございます」

「おはよう」

 食堂へ入り、俺とイヴァンが挨拶すると、父とアルダリ、そしてルーサが朝食を取っていた。

 アサヒの弟達とその母であるシータは、すでに食事を終え、教師の元へ向かったと言う。

「朝っぱらから何してんだ」

 アルダリの呆れた声に顔が熱くなる。

 俺は、所謂お姫様だっこされた状態で登場したのだ。

「イヴァン降ろして」

「まだ駄目だ」

「え?」

 イヴァンは椅子に腰掛けると、俺を膝の上に座らせる。

「な、なにしてるの!」

「今日は俺が食べさせる」

「い、いいって! 自分でできるから」

「いや、もう決定したことだ」

 二人きりならまだしも、家族の前でこのように密着して座るなど、顔から火が出る思いだ。

 しかし、イヴァンのあまりにも堂々とした態度に、強く拒否できずにいた。

「アサヒ、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」

 イヴァン達の父はこの状況を気にしていないようで、優しい声で祝いの言葉をくれた。

「アサヒ、おめでとう。お前も朝から大変だな」

「おめでとう。でも、嫌ならビシッと言わなきゃ」

 しかし、アルダリとルーサの言葉に、やはりこの体勢はおかしいのだと確信する。

「あの、イヴァ、」

「さぁ、食べようか」

 イヴァンは兄と妹の言葉を無視し、俺の手を濡れた布で拭いた。

 これでは誰が何を言っても聞かないだろう。諦めて、彼の好きにさせることにした。


「まだ食べれるか?」

「うん」

 テーブルに並べられたのは俺の好物ばかりだった。

 どれも前からイヴァンが注文していたものらしく、夢かと思うほどの完璧な朝食だった。

 そしてイヴァンの膝に乗った体勢のまま、口に食事が運ばれる。

 親鳥のように何度も往復するイヴァンに申し訳なく、やんわりと断ったが、「俺がしたいんだ」と言われ、それ以上は口をつぐんだ。

 そんな俺達を白い目で見ているアルダリとルーサ。イヴァン達の父はやはり気にしていないようで、黙々と朝食を食べている。

 俺はこんなに恥ずかしい食事は生まれて初めてだった。


「アサヒ、少し庭を散歩しようか」

「賛成! あ、抱っこするのは無しだよ。食事したばっかりだから、ちょっと歩きたい」

 食事が終わり、再び抱きかかえようとするイヴァンに、腹ごなしに歩きたいと告げた。

「そうか」

 俺を床へ下ろしたものの、その顔は残念そうだった。

 庭には光が差し込み、水やりしたばかりの花木が艶良く輝いている。

「綺麗だね」

 あまりの綺麗さに頬を緩ませつつ、そういえば……と庭の隅に目を向ける。

 種類の違う木が何本も並ぶそこには、俺が前から目をつけていた『ラムの木』があるのだ。

 赤くて小さい実をつけるその木の存在は、森で暮らしていた時に本を読んで知った。

 その説明文には『実は砂糖に浸けたかのように甘い』とあった。一体どんな味がするのか、密かに楽しみにしていたのだ。

 木の近くまで行って様子を見ようとした俺だったが、足元の茂みがガサガサと揺れ、そちらに目をやる。

 何かいるのだろうかとじっとして見ると、茶色いふわっとした何かが現れた。

 葉についた水を掃うようにブルッと身体を揺らしている、このふわふわした生き物は、茶色い子犬のようだ。

「え……イヴァン! 子犬がいるよ!」

「そうだな」

 驚く俺とは反対に、落ち着いているイヴァン。

 子犬は俺達に気づくと、こちらに駆け寄ってきた。

 てちてちという音がしてきそうな幼い歩き姿に、俺は思わずしゃがんでそれを受け止める。

 子犬は俺の手の中に収まると、嬉しそうに小さな尻尾をフリフリと振った。

「可愛い。イヴァン、この子迷子かな?」

 俺は子犬を撫でながらイヴァンに尋ねる。

 質問をしながらも、ふわふわした愛らしい姿から視線を離すことができない。

「そんなに気に入ったなら、アサヒが飼ったらいいんじゃないか?」

「でも、もしかしたら飼い主がいて、この子を探してるかも。こんなに可愛いんだから、きっと心配してるよ」

「はは、この屋敷は塀で囲まれているが、どうやって入ったんだろうな」

 俺はそこでやっと気が付いた。

 ハッとして振り返ると、イヴァンが楽し気にこちらを見ている。

「もしかして、屋敷で飼うの?」

「そうだ。アサヒにそっくりで可愛いだろ?」

 似ているのは茶色い毛くらいだが……と思いながら毛並みを撫でる。

 子犬は手に擦り寄るように顔を寄せると、クゥーンと小さい声で鳴いた。

 か、か、可愛いなんてもんじゃない!

「アサヒの誕生日を祝いに来てくれたみたいだぞ」

 悶絶しながら撫で続けていると、イヴァンがそう言って俺の頭を撫でた。

「どういうこと?」

「詳しくは部屋で話そうか。そろそろ餌をやる時間だと聞いている」

 この子の詳細は後で話すとのことで、イヴァンが遠くから見守っているナラに向かって手を上げる。

「本当にこの子が家族になってくれるなら、凄く嬉しい」

 俺はあちらの世界に住んでいた時から動物が好きだった。

 一人っ子で父は家にほどんどいない。寂しい家に一人でいるのは辛く、もし犬や猫がいたら楽しいだろうかとよく考えていた。

 しかし、働き詰めで家に居ない父と二人の生活では無理だということも分かっていた。

 そしてこの世界に来てからは、動物と暮らしたいなんて考えたことはなかった。

 森では動物達を間近で見ることができたし、この町に住んでからは新しい家族との生活が充実しており、必要はないと思っていた。

 しかし今、この丸く小さい生き物を抱いていると、胸が温かくなっていく気がする。

「名前を付けてやったらどうだ?」

「そうだね。えっと、」

 俺は少し考えた後、『コタロウ』はどうかと提案した。

「いいんじゃないか。意味があるのか?」

 小太郎は、子どもの頃に見た映画に出てきた犬の名前だ。身体は小さいが正義感が強く、泣き虫な主人公を助ける強い犬だった。

 名前が決まったところで、イヴァンが子犬に手を伸ばす。

「コタロウ、アサヒをしっかり守るように」

「ちょっと、俺が守る立場なんだけど」

「俺にとってはアサヒもコタロウみたいなもんだ」

 俺、イヴァンから見たらこんな感じなのか?

 イヴァンは、心外だという表情を露わにしている俺の頭を撫でると、近くに控えていたナラを呼び、コタロウを預けた。

「汚れを落としてアサヒの部屋へ連れて行く。俺達は、アサヒの弟達の元へ行こうか」

「あ、そろそろ約束の時間だね」

「ララとリリが朝から『あしゃひ~あしゃひ~』とうるさかったらしいからな。遅れたら俺が怒られる。」

 イヴァンは双子の真似をしながらそう言うと、俺の手を取って弟達のいる教室へ向かった。


「「あしゃひ~!」」

 教室へ入ると、すぐに双子が俺に気付いた。

 上の兄達が勉強する部屋で遊んでいたらしく、手の中のおもちゃをポロッと落として、こちらに駆け寄ってくる。

「おめでと~あしゃひ~!」

 抱きついてくるリリが言うと、ララもすぐに「おめでと」と言って足にしがみついた。

 上の弟であるラウルとセズも勉強の手を一旦止め、こちらに寄って祝いの言葉をくれた。

「あしゃひ。ララと~、リリが~、おっきくなったら、けっこんすゆって、やくそく!」

「やくそくちて!」

 イ、イヴァンの前で言わないで!

 この子達がまた泣かされてしまうと焦りイヴァンの方を見るが、思いの外余裕な表情で二人を見下ろしている。

「今日はアサヒの誕生日だからな。お前達には何も言わないでおこう」

 フッと笑うと、ライバルである双子に『せいぜい夢でも見てるんだな』という視線を向けるイヴァンは、俺からしたら十分大人げない。

 しかし、今日を楽しい日にするために何も言わずにいてくれているのだ。ありがたいと思うしかない。

 昼には家族全員で昼食をとる約束をしており、今から騒がしくなるのが目に見えているイヴァンは、俺をつついて部屋を出ようと言ってきた。


「あいつら、俺のアサヒに結婚を迫るとは、どういうつもりだ」

「結婚がどういうものか、まだよく分かってないんだよ。あまりいじめないでね」

「俺は正論を伝えただけだ。まぁ、今日は特別な日だから許すが」

「ありがとう。あ、コタロウはもう部屋にいるかな?」

「ああ、いるはずだ」

 自室の扉の前に立つと、先程出会ったばかりの小さな犬の存在を思い出した。

 扉を開けて中を覗くと、コタロウは柔らかそうな小さいクッションの上で丸まって目を瞑っていた。

 その横で座るナラは、俺達に気付きソッと立ち上がる。

「ご飯を召し上がられてから、ずっとここで休まれていましたよ」

「ナラ、ずっと見ててくれたの? ありがとう」

「いえいえ。可愛らしくて、ずっと見ていられます」

 トテトテトテ……

 俺達が集まって話しているのが気になったのか、コタロウは目を開けており、クッションから降りてこちらへ歩いてきた。

「お飲み物をご用意します」

 ナラはそう言って部屋から下がっていった。

 俺はコタロウを抱えてイヴァンとソファに座る。

 人が急に増えて少し興奮したようだが、今はまた落ち着いたのか、膝の上でうとうととしている。

「本当に可愛い。この子はどこから来たの?」

「コタロウは屋敷の近くで産まれたみたいだ。親が迎えに来るかと思って門の者が見ていたが、来る気配もなくて保護した」

「そうだったんだ。なんか、俺みたい」

 俺はすよすよと眠り始めたコタロウの頭を撫でる。

「イヴァンに見つけてもらえてよかったな」

 言いながら耳を触ると、ピコピコと小さく動いた。

 ふいにイヴァンが俺の肩に手を回す。

「茶色でふわふわして、小さいところがそっくりだな」

「俺はふわふわはしてない! あと、小さくはない……と思う」

 俺は百六十五センチはあるし、決してチビではないはずだが、この屋敷の人達は総じて身長が高いため、俺が低く見えるのだ。

 そして上の弟達は、十歳程歳が離れているにも関わらず、既に俺の身長に追いつきそうだ。

 自分の想像にショックを受けていると、イヴァンが横から手を伸ばしコタロウのお腹を撫でる。

 誕生日にやって来た子犬は、イヴァンに見つけてもらい家族ができた。

 俺は、勝手に自分をコタロウと重ねると、これから一緒に幸せに暮らす姿を想像した。

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