第3話

 えるの説明では、当初、蓋を内側から外した人間を地球に帰還させるという案もあったらしいのだが、予算の問題で却下されたたとのことだった。


「でも、うちのパパが本社に掛け合ってくれて、安楽死用の注射がセットされた腕時計を支給してもらえることになったの」


 そう言ってから、えるは一人感慨深い様子で頷いている。


「なんで私の所に来たの?」


 亜希子はやっとの思いで、ただそれだけ呟いた。他に言葉はなかった。言いたいことはありすぎていたが。

 えるはそっと手を伸ばすと亜希子の手を握った。


「みんなにはさ、家族とか、将来とか、お金とか、経済とか、背負わされてるものがたくさんあるけど、今の亜希ちゃんは身軽でしょ? 自由だもの。みんな、羨ましがってたよ」

「帰って。もう二度と顔を見せないで」


 えるはきょとんとした顔になった。


「亜希ちゃん?」

「消えて。私の前から」

「でも」

「もう口もききたくないの」

「あ、そうじゃなくて」


 エルの口元が大きくゆがんだ。

 それが笑いの顔なのだと気づくのに、亜希子は少し時間がかかった。


「亜希ちゃんのこと、もう登録されちゃってるから、今更拒否できないよ。キャンセル料、いくらか分かってるの?」


 亜希子は机を乗り越えると、思いっきりエルの横顔を拳で張り飛ばした。

 人を本気で殴ったのは、生まれて初めてだった。

 ふいをつかれたのか、えるは椅子からもんどりうって転がった。

 後ろの壁に頭をぶつけたのか、ゴンという低い音が響いた。


「親がいなくなったからって、バカにするんじゃないわよ! 」


 亜希子は絶叫した。

 溜っていたものを押しとどめられなかった。

 熱いものが胸から、口から吹き出てくる。

 怒り、悔しさ、悲しさ、惨めさ、すべてがほとばしっていた。


「あんたなんかより、立派な人間はいくらでもいるわよ。このクズ。お前こそ正真正銘、クズ! 博物館に額縁に入れて飾りたいくらいご立派なクズ!」 


 何を言われてもえるは答えなかった。

 ピクリとも動かなかった。

 倒れた時のままの格好で固まっていた。


「……える?」


 亜希子は机から降りると、えるに駆け寄った。

 えるは息をしていなかった。


 



 


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