第25話 看板娘、ミリム

「魔王様、手伝いに来ましたよ!」



 酒場の開店準備をしていたマオさんの前に急に現れたのはサキュバスの少女だった。

 ピンク色の長い髪に魔族特有の二本のツノ。背中には黒い小さな羽と尻尾。そしてかろうじて体が隠せるだけの露出の高い服装と豊満な体つき。


 見るものが見たらあっという間に虜になってしまうであろう彼女だが、マオさんはため息を吐いていた。



「はぁ……、ミリム、どうしてここにきたんだ?」

「えっ? もちろん幹部の方々に頼まれて魔王様のお手伝いをしに来たに決まってますよ」



 にっこりと満面の笑みを浮かべるミリム。

 その表情から何も考えずに言われるがままきたのであろうことは容易に想像がついた。



「本当に手伝うように言われたのか? 我を連れ戻せとかそんなことは言われてないのか?」

「……? そんなことは頼まれてないですよ。魔王様のお手伝いだけをするように言われました」

「くくくっ、なるほどな。それならばちょうどよかった。接客できるやつが欲しかったんだ。ミリム、看板娘になってくれるか」

「はいっ!」



 笑顔のまま元気よく返事をしてくれる。

 それを見てマオさんは不安になり念のために確認をする。



「ミリム、お前は看板娘が何をするか分かってるのか?」

「分かりません!」



 即答してくるミリム。

 それを聞いてマオさんは思わず頭に手を当てる。



「はぁ……、とりあえずお前は何もしなくていい。黙っていてくれたらいいからとりあえず店の前で笑みを振りまいて客寄せをしてくれ」

「はーい、わかりましたー!」



 本当にわかってくれたのだろうか?

 不安になりながらもただ店の前に立っているだけだから大丈夫だろうと開店の準備を再開していた。



 ◇■◇■◇■



「さて、一度マオさんの店に行ってみるか。今ならもういるだろうし」

「いってらっしゃーい」



 ユリウスに見送られながら俺たちはマオさんの酒場へと向かう。

 すると酒場の前に見たことのない少女が立っていた。



 もしかして、マオさんが誰かを雇ったのだろうか?



「エレン、彼女を知ってる?」

「いや、私は知らんな」

「だよな……。ただ、マオさんの知り合いだと思うんだよな……」



 店の前に立ち、ただにっこりと微笑んでいる。



「あの人……、魔族だね」



 ハンナがはっきりと告げてくる。

 そして、自然とその手が剣の方へと向かっていく。



「いきなり切りつけたらダメだからな」

「わ、わかってるよ!」



 どうにもまだ完全に勇者の時の感覚が残っているようで、魔族と見ただけで斬りかかる恐れがあった。



「エレン、一応何かあったら防いでくれ」

「あぁ、任せてくれ」



 エレンに確認したあと、俺たちは店の中へと入っていく。



 ◇



「らっしゃい、すまんな。まだ開店の準備中だ」

「マオさん、ちょっといいですか?」

「なんだ、ライルか。……どうかしたのか?」

「いや、付与師としての仕事をハンナに与えようとしたんだけど、武器の方がダメでしばらくは待ってもらうことになりそうなんだ。それで期間限定でマオさんの酒場で働いてもらおうと思ったのだが……」

「なるほどな……。我なら全然歓迎するぞ。ちょうど新人も一人増えたところだからな」

「新人って表にいた魔族のことか?」

「あぁ、ちゃんと仕事していたか?」

「ただ立ってるだけで何も言わずに笑いかけてくるから不気味だったぞ」



 俺の言葉を聞くとマオさんはため息を吐く。



「はぁ……、やっぱりか……。いや、何も邪魔していないならまだましか……」

「いや、ハンナが切りつけそうで怖かったぞ……」

「べ、別にボクは切ってないよ!」

「まぁそうじゃなくてもここだと魔族は珍しいからな。何も言わずに笑ってくるだけだったら逆に不気味だぞ」

「やはり少し教育は必要か……。言ったことは全てしてくれる奴なんだけどな……」



 どうやら悪い人じゃなさそうだ。

 まぁ、悪い人ならマオさんがここに置いておくはずがないもんな。



「それなら俺たちも協力するぞ? 酒場に必要そうな仕事を教えていけばいいんだよな?」

「それは助かる。我もこの仕込みの時間じゃなければ見てやるところなんだが……」



 たしかに俺たちと喋りながらもマオさんの手は動いていた。

 ここはこの領地の人たちが一堂に集まるので、結構忙しいからな。



「わかったよ。それじゃああの子の教育は俺たちに任せてくれ!」

「よろしく頼む。それじゃあ……、ミリム、こっちに来い!」

「はーい、魔王様、どうかしましたかー?」



 店の表にいた少女が嬉しそうに入ってくる。



「ミリム、まずは自己紹介をしろ」

「サキュバスのミリムです。魔王様のお手伝いをするために魔族領から来ましたー!」



 マオさんに言われて初めて挨拶をしてくれるミリム。

 命令されることに慣れてしまっているのか、それともマオさんに従っているのには何か理由があるのかわからないけど、とりあえず彼に従順ということはわかった。



 マオさんにくっつきそうなほど近付いているのでどこかハンナが怖い表情を見せていた。


 ただ、ミリムというサキュバスはその様子に気づいていないのか、更にマオさんの腕を掴み、ハンナの表情が更に険しいものへと変わっていった。



「お、俺はこの領地の領主、ライル・アーレンツ。そして、今は俺の護衛としていっしょに来てくれているエレン。あとは――」

「勇者のハンナだよ。魔族ということだけど、悪さをしようとするなら倒しちゃうよ?」



 にっこりと笑みを見せながら言うが、目の奥が全く笑っていなかった。

 ただ、それを見てミリムは怯む様子を見せずに今度はハンナに近づいてきて手をつかんできた。



「ハンナちゃんだね! よろしくね」

「えっと、そ、その……」



 さすがにここまで友好的な態度を取られると思っていなかったのか、ハンナは少したじたじになって、俺の方に助けを求めてくる。



「まぁ、一緒に働くんだし仲良くするのは良いことじゃないか?」

「私もそう思うよ。すりすり……」



 ミリムにすりつかれてハンナは動揺を隠しきれないようだった。



「ミリム、仲が良いのもいいが、今は仕事の仕方を勉強するところからだろう?」

「そ、そうでした。ハンナちゃん、一緒に頑張ろうね!」

「う、うん……」



 ようやくハンナから離れたミリムが両手をグッと握りしめて気合いを見せていた。


 やる気は十分そうだな。ただ、魔族の彼女が来た理由を考えると――。



「エレン、少しだけ彼女たちに働き方を教えてあげてくれるか? 俺はマオさんと話があるから」

「あぁ、酒場の働き方だな。任せておけ!」



 よく酒場に通っていそうなエレンにこの場を任せると、俺はマオさんに近づいていく。

 そして、二人で酒場の外へと出て行く。



「何かあったのか?」

「サキュバスのミリムがここに来たのってマオさんを連れ戻すためじゃないのか?」

「どうやら本人はそこまでの命令を受けてないようだな。まぁ見ての通りのやつだから我には逆らわん。ただ、あいつが戻ってこないとなると次はおそらく……な」



 ぼんやりとマオさんは店の中を眺める。

 窓から見えるのはエレンとミリムが酒を飲んでいる姿だった。



「酒が飲めないと酒場の店員なんて務まらんぞ!」

「はいっ!」

「え、えっと……」



 そんな二人の様子を苦笑しながら眺めていたハンナ。

 俺たちと視線が合うと目で助けを求めてきた。



「まぁ、魔族軍が攻めてきたときの対策だけは考えておかないとな」

「最悪、我が戻れば事態は解決するが?」

「マオさんが戻りたいのなら止めないけど、違うんだろう? ならなんとかするのは俺の仕事だ。まぁ、協力はしてもらうけどな」

「はははっ、確かにライルははじめからそう言っていたな。よかろう、そのときは思う存分我の力を貸そうぞ。ただ、今はあれを止めるのが先決だな」



 マオさんが店の中を指さす。

 ふらふらと真っ赤な顔をしてふらつくミリムと表情一つ変えずに高笑いをするエレン。 そして、必死に助けを求めるハンナの姿を見て俺たちは店の中に戻っていった。



◇■◇■◇■



「まだか! まだミリムは戻らんのか!」



 更に大量に積まれた書類達に埋もれるように魔族の幹部は大声を上げていた。



「は、はい、まだお戻りになっていません!」

「くっ、何をしている。所詮脳の足りん下級魔族か……。と、とにかく、急ぎ魔王様にお戻りになってもらわないとこの書類が部屋に入りきらなくなってしまう」

「そ、その、お言葉ですが、ライゼン様がその書類を片付けられるのはどうでしょうか?」



 側に控えていた少年が頭を下げながら魔族の幹部であるライゼンに提案をする。



「私が出来るならすでにしているわ! ただ、量が多すぎてどれから取りかかって良いのかわからん。領地の収入や魔物達の増減、挙げ句の果ては物価の高騰とか見てもさっぱりわからん単語ばかりだ! 魔王様に対処してもらうしかない!」

「し、しかし、魔王様はまだお戻りには……」

「仕方ない。いつまでもミリムを待っているわけにもいかんな。魔王様には悪いが、ここは我が支配する全軍を持って、辺境の地を滅ぼしてやろう。そうすれば魔王様も安心してここに戻ってきてくれるはずだからな。はははっ、とりあえずお前はここに残ってこの部屋を片付けておれ!」



 ライゼンが高笑いしながら部屋を出て行き、一人残される少年。


 背丈は低く、子供のような童顔、ただ、耳は長く先端は尖っている。いわゆるエルフという種族の少年だった。

 魔王の領土にあるエルフ族の里からやってきた少年なのだが、働き始めたばかりということもあって、下っ端として主に雑用を任されていた。


 そして、ライゼンが去った後、苦笑を浮かべながら部屋に散らばっている紙を眺めていた。



 確かに難しい内容の物もある。

 しかし、中には『魔王城、健康診断の案内』や『城下町特売セールのお知らせ』など、おおよそ魔王様に関係ない物も含まれていた。

 せめて魔王様に見てもらう物とそうじゃない物を分けるくらい出来るんじゃないだろうか……。



 それなのに魔王様の許可もなく兵を動かして……、どうなるんだろう。魔王様のお怒りを買ってしまってはいくら幹部の人でもひとたまりもないのではないだろうか?



 少し不安に思いながらもエルフの少年は自分に出来ることはここの片付けだけだからと書類をゆっくり片付け始めていた。

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