第8話 商人、ナーチ

 アーレンツ領から戻ってきた商人はそのまま自分の店へと戻ってくる。



(ふぅ……、雇う人数は十人ほどですか……。まさか今の段階でその六十倍ほどの応募があるなんてライル様は考えてないでしょうね……)




 これからどうやってその人数まで絞ろうかと考えたらため息の一つも吐きたくなる。

 ただ、あの領主の考えることはとても面白く、金の匂いがプンプンとしているので、なんとか繋いでおきたい。



「一応あの領地に支店を出す方向で進めるつもりだが、果たして行きたいという人間がいるかどうか……。いや、違うか。行きたくないという人物がいるかどうか……」



 条件がいい分、戦えるものたちはこぞってあの領地に行くだろうが、いつ襲われるかわからない場所で商売をするのは文字通り命がけになってしまう。

 自分の命はもちろんながら、店の商品を荒らされても死ぬしかなくなってしまうのが商人だ。


 しかも辺境の地であるがゆえにどのくらい商品が売れるか見当もつかない。

 ただ、そんな心配を見抜いていたのか、あの領主は売れなくても生活の最低保障をしてくれるという。



(もし、私が個人で商売をしてるならすぐにでも行くところですが……)



 とにかく自分一人で悩んでいても仕方ない。

 あとから一度話してみるしかないな。


 そして、夕方になると店員たちを集めて話をする。

 二桁を優に超える王国でも一二を争う商会。

 流石に一箇所に人が集まるとかなり窮屈でもあった。



「忙しい中集まってもらって申し訳ない。少し相談事が出来たので皆に確認をしておきたい」



 そこまで告げると察しのいい店員が手を上げてくる。



「もしかして、あの辺境の地のことですか?」



 その言葉を皮切りに周囲が少し騒がしくなる。



「静かに! いかにもその地のことだ。実はそこの領主の要請でうちの店から最低一人、店員を送ることになった」

「そ、その……、あの場所ってかなり危険なところじゃ……」

「あぁ、その通りだ。だからこそ希望を取りたい。行きたいものはいるか?」



 場の空気がシーンと静まり返る。


 やはり追加条件を話さないと行きたいというものはいないか……。


 そう思っていたのだが、よくみると周りの人間に埋もれているが、手を挙げているものが一人だけいた。



「にゃにゃ、私が行きたいにゃ」

「お前は……ナーチか」

「そうですにゃ」



 背丈は子供くらいしかなく、顔は童顔。ただし頭の上には大きな猫耳が付いており、よくみると尻のあたりには尻尾が付いている猫族の少女。

 髪は茶色のぼさぼさのショートカットで、身だしなみは最低限整えているだけのまだ幼い少女だった。

 ただ、それも見た目だけで、すでに成人している立派な女性でもあった。



「たしかにナーチが行ってくれたら助かるな」



 何気にこの商会でも古株で商品のことなど、かなり詳しい。



「旦那さまのことだから、まだ隠してる情報はたくさんあると思うけど、あの地がかなり重要な拠点になるということだけはわかったのにゃ。それに、あんな触れ込みを出す領主だから……」

「あぁ、お前の予想通りだな。確かにあの領主からはあの求人票と同じ条件を与えるから来て欲しいとの要望を受けた」



 それを聞いた瞬間に店員たちがざわつき出す。



「うんにゃ。やっぱりそうだったにゃ。思い切って飛び込んで良かったのにゃ」



 嬉しそうに笑みを見せるナーチ。

 それを見て、周りの人間は羨ましそうな表情を見せるのだった。


 ただ、商人は一人、心の中でホッとしていた。


(もし、先に条件を言ってしまっていたら、今の雇って欲しい人たちみたいにあの領地に行きたいと殺到してしまうところだったな。先に行きたい人物が手を上げてくれて助かった……)



「それでいつから行ったらいいのかにゃ?」

「あぁ、一応今来てる求人の募集……。そこから最大十人選び出して、一緒に行ってくれるか? 選考の基準はとりあえず有能な者だ。あとはあの地は農作業中心の地だから農民経験者も数人選んでくれ。選考の基準は任せる」

「……それって旦那さまの仕事を押し付けてにゃいか?」

「いや、今後の仕事の一つになりそうだからな。経験しておいた方がいいだろう」

「体良く押し付けられた気がするけど、わかったにゃ。それじゃあすぐに選び出してくるにゃ」

「そういえば今、求人ってどのくらい来てるんだ?」

「六千人にゃ」



 ナーチが応募してきた人物の情報が書かれた紙を商人に渡す。



「なるほどな……。なかなか面白い人物がいるじゃないか」



 商人は一番上に置かれた紙の名前を見てニヤリと微笑んでいた。


 そこに書かれていた名前は。



『大賢者ユリウス』



 この国で彼を知らない人物はいないほど、有名人。

 圧倒的な知識と魔法技能を持つ人物だ。


 彼が目をつけたとなるとこの領地、やはり面白いことになりそうだな。



「あっ、あとは大教会の聖女さまが行方不明になったみたいなのにゃ。今、神官たちが必死に探しているのにゃ。旦那さまは見てないかにゃ?」



(そういえば、私の馬車に誰か乗っていましたね。ライル様の領地に行こうとしてる人物だろうと見て見ぬ振りをしましたが、まさかあの時の子が……?)



「いえ、誰も見ていませんね」

「まぁ、そうだと思ったのにゃ。辺境に行ってた旦那様が会うはずないもんにゃ」



 にっこり微笑むナーチを見るとなんだか見透かされているような気になってくる。



 ◇■◇■◇■



「あんまり人、きませんね……」



 いつものように畑を耕しているとルーが呟いてくる。

 ルーがやってきて以降、この領地で働きたいというものは誰もきていなかった。

 今日はエレンは未開の大森林へ魔物を狩りに出かけているので、ルーと二人きり。


 戦力的には不安だが、前にあっさりと追い返してしまったので、当面の間魔族が攻めてくることはないだろう。


 それならと今のうちに魔物を狩ってくると朝早くから出かけていた。



「まぁ、元々こんな辺境に来たい人間なんていないだろうからな。特にここは周囲を危険な場所で囲まれている。よほどの物好きじゃない限りは――」

「それだからあんなにいい条件を出していたのですね。私はここに来た時にはすごい人たちに囲まれてしまうのかと思ってました」

「まさか俺たちだけとは思わなかっただろう?」

「えぇ……。でもおかげで私も雇ってもらうことができましたので……」

「でも、こんな畑仕事を手伝わせてすまないな」



 ルーの仕事は経理なので、こんなことをさせて申し訳なく思った。

 ただ、ルーは微笑み返してくれる。



「いえ、私はこののんびりした雰囲気、好きですよ? ずっとここに住んでいたいくらいです……」

「それならいくらでも住んでいっていいんだぞ?」

「でも、そうしようとすると領主様にご迷惑が……」



 不安そうな表情を浮かべてくるルー。

 しかし、俺はすぐに首を横に振った。



「ルーはそんなこと気にしなくていいぞ。この領地に住んでる限り、その領民の問題は俺の問題だ。何とかして解決してやる。もちろん就業時間でな」



 俺の回答を聞いてルーは一瞬驚き、そして、すぐに笑い出していた。



「な、何か変なことを言ったか?」

「ふふっ、領主様はそういう人だったなって改めて思いまして……」

「それってどういう意味だ?」

「いえ、すごいお人好しだなって……」

「そんなことないと思うぞ。俺は生きていくのに必死なだけだからな。魔族が攻めてきた時もエレンがいなかったら死んでいたわけだし、たくさんの人を呼び込むにはルーの力がいる。だからこそ俺も出来ることをしてるだけだ」

「そうですよね……。一人だけの力じゃできることは限られますよね……」

「俺はそう思ってるぞ。だからこそのあの求人だからな」

「最初はみんな半信半疑でしたからね。人が集まるのには時間がかかるかもしれませんね」

「それに生きていくには必要だからな」

「そうですね……」



 少ししんみりとなってしまった。

 ただ、ルーがやはり何かトラブルを抱えていることがはっきりわかったので、それは良かっただろう。



「それよりもその領主様……というのは止めてくれないか? なんだかこう……むず痒いものを感じてしまう」

「で、でも領主様は領主様ですし……」

「せめて名前で呼んでくれないか?」



 どうにも役職で呼ばれるのは慣れない。

 今まで碌に呼ばれたことがないからだろうな。エレンみたいに砕けた呼び方をしてくれると良いのだが、さすがに今のルーにそこまで求めるのは酷だろうな。



「わ、わかりました。それじゃあライル様……、でよろしいでしょうか?」

「うーん、今はそんなところか。エレンみたいに呼び捨てでも良いんだぞ?」

「そ、そんなことできませんよ……」



 顔を赤くして必死に首を横に振ってくる。

 そんなルーを見て俺は思わず微笑んでしまう。

 そのタイミングで噂をしていたエレンが大声を上げて呼んでくる。



「おーい、今日は大物が取れたぞ。これで料理を作ってくれー!」

「何を取ってきたんだ?」

「これだよ」



 エレンが戻ってきたかと思うと、俺たちの前に巨大なオークを置いてくる。



「いや、流石にこれを美味しくするのは無理だぞ」

「えっ、これを食べるのですか?」



 ルーが眉をひそめながら聞いてくる。



「あぁ、これが結構美味くてクセになるんだ」

「いや、そんなことは聞いたことないぞ! とりあえず飯は普通に作るからそれは売却に使ってくれ」

「そうか……、少しだけ残念だ……」



 名残惜しそうにオークを見るエレン。

 しかし、最後にはわかってくれたようで魔物を保管している倉庫に持って行ってくれた。




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