わかれみち

カノエ

わかれみち

「じゃ、お客さん、ここで」


「はい」


路線バスの最終便を降りると、辺りはすっかり暗くなっていた。

バスの遠ざかる音が次第に聞こえなくなり、静寂に包まれた山奥の道路の、端にある唯一の街灯がぼんやりと草木を照らしている。

旅人はまずバス停の時刻表を確認し、スマホで写真を撮った。

念のため紙にも書き留めることにした。

朝と夕に通る2本のバスだけが、今から訪れる村と外界を繋いでいる。


懐中電灯を片手にしばらく暗闇の中を探し回り、山の草木の間に細く踏み固められた道を見つけた。

人1人がようやく通れるような、獣道にも見紛う細道だ。

これが目的地の村まで行くための経路らしい。

もう少し明るいときに来ればよかったな、と思いながらも躊躇なく細道に足を踏み入れる。


自分はそんなに計画的な人間ではない。

ふらふらと、ぐだぐだと、人生をやっていたらいつの間にかこんなところに来てしまった。

動機はちょっとした噂だった。

いつもの通りインターネットを徘徊していたところ、どこからともなく壊したら死ぬ祠の話が流れてきたのだ。

よくある与太話。

だがそんな与太話を受けて『壊したら死ぬ祠に一番近いのはどこの村の祠か?』という議論が裏で白熱していたのはあまり知られていない。

廃墟探索者や民族研究者などが数日間意見を交わし、一旦の結論として提出された村というのが今自分が向かっている村・花剥村である。

村が現在に至るまでの歴史的経緯や文化的側面についても暇な時間にある程度調べたつもりだが、説明は後でもいいだろう。

自分は、祠を壊して死のうと思っている。

それ以外のことは瑣末な情報だ。


村へと続く道は幸い短く平坦な一本道だったので、数分歩くと村の明かりが見えてきた。

舗装された道路、街灯、家々の明かり。

人と暮らしの気配がなんとなく自分を落ち着かせる。

看板もある──懐中電灯を向けると、ようこそ花剥村へ、と書かれているのが読み取れた。

日に焼けて白くなった文字が背景と同化しているようだ。

明るくなってから改めて観賞することにしようと思い、今は宿へと足を進める。


今日の宿泊先は築200年の古民家を改装した温泉宿である。

入り口の引き戸を開けてすぐの受付には宿の主人がいた。

御年70歳の主人は久しぶりの客に喜んでいるといった様子で、受付の手続き中にこちらが聞くまでもなく様々なことを話してくれた。

この村の住人はほとんどが高齢者であるということ。

若者は皆『平和だが退屈だ』と村の外へ出ていってしまうということ。

主人は普段農業に従事しており、電話予約があったときだけ旅館を営業するということ。

田舎ではそれほど珍しくない業態らしい。


「久しぶりのお客さんだから受付のやり方思い出すところからだわい。宿泊料5000円になります」


「おじいちゃん、料金はもう取ったでしょ」


「そうじゃった。久々の客ってのは面白いのお」


主人は笑って鍵を差し出すが、今度は部屋の場所を忘れたと言って広い館内を無駄に歩き回り、やたらと大回りして宿泊部屋に辿り着くことになった。

その日は広い温泉を貸し切りにして存分に湯船に浸かった後、疲れ切って寝た。


しばらくして気づけば、障子の隙間から朝日が射し込んでいた。

朝だった。

素直に起きる気になれなかったので寝返りを打って二度寝を決め込んだ。

少し動いただけで感じたが、太ももが筋肉痛だ。

昨日たくさん歩いたからなあ。

次に目を覚ましたときには全部大丈夫になってると嬉しいんだけどなあ。


再び目を覚ました。

案の定大丈夫にはなっていなかった。

よし、じゃあもう何をやってもダメだ。

祠を壊すぞ。

力の限り破壊する。

それで終わりだ。

終わらせよう。


最低限の身支度を整えて、とりあえず外に出て祠を探そうとしていたところ、当たり前のように受付にいた宿の主人に捕まった。

年寄りの朝は早いのだ。

行き先を聞かれ、変に隠すのもなんだか悪いと思ったので、率直に祠の場所を聞いてみた。


「おお……そうなのか、あなたもあの祠を……」


「あなたも、ってことは自分の前にも何人かいたんですね」


「何がいいのか分からんが、わざわざ見にきてもらえるんなら悪い気はせんな。今日は農作業もなくて暇なんで、案内しよう」


昨日の今日でこの老人の案内を信用してもいいのかという疑念もありながら、他に頼れるものもないので着いて行くことにした。

歩く道が地域の人々とすれ違う道路からだんだんと山沿いの砂利道へ変わる。

お地蔵さんが並ぶ石段を登ると、開けた小高い丘の上に出た。

今回はすんなり目的地に辿り着くことができたらしい。


「あれが祠じゃ」


「祠ですかね?あれ」


それは異様にポップな建造物だった。

正面の電光掲示板には『ようこそ!』の文字が右から左へと流れ、全体にクリスマスシーズンにしかお目にかからないようなイルミネーションがこれでもかとあしらわれている。

ライトが規則的に点滅している。

あまりまじまじと観察していると目に毒だ。

というか脳にも毒だ。

意味が分からない。

早く考えることを放棄して楽になりたい。


それでも、と旅人は思う。

点滅するイルミネーションの奥には標縄とそこから下がる紙垂、堅牢な木造の扉があり、なにかを守るように閉ざされている。

こんな見た目でもやっぱり祠だ。

……とは言え。


「これ壊したら本当に俺死ねるんですか?」


「死ぬ死ぬ。大丈夫。前の人も、これ壊してちゃんと亡くなってるから」


「亡くなってるんですか?」


「おお。2週間後に食中毒でな」


「祠関係なくないですか?」


うっかり死んじゃったのかラグめに襲ってきた祟りなのか、判別がつきづらい。

でもまあ、老人もこう言っていることだし、インターネットでもそれなりに盛り上がっているわけだし、きっと祟りなのだろう。

祟りってことでいいですよね。

じゃあぶっ壊しますね。


自宅から持ってきた鉄パイプをリュックサックから引き抜き、祠に向かって振りかぶった。

それからのことはあまり覚えていない。

ただ、どこまでやったら壊した判定になるのかがよく分からなかったので極力跡形もなく破壊しようと念入りに叩き潰したのは覚えている。

すべてが終わった後、自分の足元にはもともとなんだったのかもよく分からない残骸が散らばっていた。


下山後。

帰り際に宿の主人から、土産屋もないこんな山奥によく来てくれた、これはお土産だ、とビニール袋を渡される。


「これは?」


「今朝山で獲れたキノコじゃよ」


ビニール袋いっぱいに入ったキノコ。

白くて丸いタマゴ状のカサがかわいらしい。

自分は人間の死に方についてそれなりに調べているので分かるが、これはドクツルタケだ。

猛毒があるので食べると内臓がやられ、黒い血を吐きのたうち回り呻き苦しみ絶命する。

最悪死ぬとかそういう生ぬるいやつではなく、死亡率はかなり高い。


「前の人これで死んでますよね?」


「ほっほっほ、また来とくれな」


「このキノコ食べたら来られなくなっちゃいますけどね」


せっかく貰ったものを突き返すのも悪いか、と思いキノコはそのまま持って帰ることにした。

さようなら、花剥村。

ないほうがよさそうな思い入ればかりだが、それでもないよりはマシなのだろう。

……本当にそうか?

色褪せた『ようこそ花剥村へ』の看板を眺めながら、少しばかり足を止めて考え込んでしまった。


昼間に通る山道は、夜間のそれよりも随分と明るく安全だった。

心なしか足取りも軽くなる。


そういえば不思議なことがある。

今自分が歩いているのは村と国道を結ぶたった一つの細道だが、なぜこの道は道路として整備されていないのか?

特に村の人間にとっては交通の便がよくなると思うのだが。

あえて整備しないことを選んだとでも言うのだろうか。

なんのために?


そうして身にならないことをぐだぐだ考えていると定刻通りバスが来て、ふと現実に引き戻される。

ブザーの音が鳴るなり扉が開き、吸い込まれるように一番手近な席に座った。


バスが走り出す。

窓の外に広がる景色が静かに流れていく。

乗客は自分一人だけだ。

なぜだかとても気分がいい。

まるで視界のすべてを手中に収めたかのような、全能感と達成感で満たされている。

一時の快感だとしてもそれで構わない。

深く息を吸って、まだ朝の冷たさが残る清々しい空気を胸一杯に取り込んだ。


「お客さん」


「はい」


「このバスに行き先はありません」

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