第3話

サタヒップ郡、シリキット海軍病院



 おぼろげな意識の中で、誰かと誰かが話している。部屋は真っ白と薄い青?病院なのか?


『機体がバラバラになるような事故で、あの程度の打撲だけで済んでいるのは奇跡です。意識がまだ戻らないのは着水してから溺れた事によるものです』

『起きたら話出来そう?』



 懐かしい声、聴き覚えのある声。看護婦の声だろうか?俺は生きているのか?フワフワとした浮遊感で頭が回らない



『打撲に対して痛み止めを投与しましたので、それが切れたら意識もはっきりしてくるはずです』

『わかったわ、それまで待つわ』



 ああ、麻酔のせいか。なら、意識を手離しても良いんだよな・・・そうか。気が抜けたせいか、意識が闇に落ちていく



『・・・』



 不意に意識が戻る。部屋には電気が点けてないがまだ日中のようだ。周りを見回すと脇にはテレビ台、間仕切りの薄く青いパーテーション、自分の体は着ていた服ではなく病院着、そして



『大丈夫ですか?話が理解出来ますか?』

『あ、えっと・・・はい』



 投げ掛けられた言語、日本語に頭を切り替える。直接面と向かって日本語の会話をしたのは久しぶりだった。傍にいた女性は控えめに言って美人、少なくとも俺好みで見目麗しいと言って良いと思うが、応えたはい、の後に出そうとした大使館の人ですか?という言葉を飲み込む。その姿が白い制服姿の肩章持ち、詳しくはないが、軍人、というか自衛官なのかな?と思ったからだ。どう話始めるか迷っていると



『ゆっくりで構いませんよ、大変な経験をされたと思われますので。ちょっと電気を点けて来ますね。それと上司に意識が回復したと報告しなければなりませんので』



 そう言うと彼女は席を立つ。後ろ姿と尻をまじまじとみrっとセクハラだな。が、太もものホルダーに銃を携帯しているのに気付くと固まりもする。白い制服にそれは非常に目についた。なんで大使館の職員じゃなくてこの人が来たんだ?



『お待たせです。どうですか?お話しできそうですか?』



 電気が点いて明るくなり、端的に短い電話をし終わった彼女が戻ってくる。そのそぶりは急いでとかいう感じでもない



『あのぅ・・・もしかしてテロだったんですか?』



 我ながら情けない声色だったと思う。墜落について思い出したくはないが、俺も一応はいっぱしの、いや、だいぶフリーに近いライターとして東南アジアを渡り歩いて来た身だ。死体を見たのはこれが最初でもない。気合をいれろ。こんな体験は二度とないぞ、聴き取りは取材の基本だ



『こほん。えっとですね、乱気流に入ったかと思ったら、窓から翼に電気がバチィっと走ったみたいな感じなのが見えて停電したもんですから、あれは何か仕掛けられてた。とか?自衛官の方がわざわざ来られるなんて珍しいですよね?』



 少しわざとらしく咳払いしてから話すも、今度は早口になってしまった。どうにもまだ俺も心境的には落ち着いていないようだ。だが、俺の話に彼女は怪訝そうな顔を向けてくる



『まずはお名前から伺って良いですか?』

『え?』



 そう言ってポケットからメモ帳、頭に葉っぱを乗せたたぬきのプリントがされたやつを取り出して聞いて来た。しかし、名前?普通なら搭乗員名簿なりから誰か確認してくるもんじゃないのか?が、まぁそんなものでもないのか、と思い直し応える。手元になにも私物がないので、証明のしようもないのだけれど



『衛府英和(えふひでかず)です。年齢は32、割と珍しい苗字ですから被りはないと思いますが、出身は福岡県大宰府市の』

『待ちなさい』



 彼女の声色が変わり、制止の言葉と共にメモを置くと流れるような動作で頭に銃を突きつけられる。え、え?なんで!?



『あんた、誰?』

『だっ誰と言われましても!』



 俺は俺でして他に何を言えと!?大体、名前言っただけやぞ!?



『運が悪かったわね。その名前を私は知っている。そして14年前に死んだ事もね。何処で拾って来た名前かも含めて、詳しく吐いて貰うわ。ああ、ちょうど病院だから少し風穴あけて血の気を抜いてからお話しする?わたし、今凄く機嫌が悪いの』

『めっ、滅相もない。じゅ、銃を持った相手には逆らわないのがポリシーですので』



 おずおず両手を挙げる。な、なんでこんな目にあわにゃならんのだ、俺は被害者だぞ。大体名前を知ってるってなんだ!俺は底辺ライターとしては海外現地で取材と写真を撮って、文章も書いて送りはすれども、丸写しでも新聞社や雑誌社からは名前が出ない。いわゆる機会が来るまでは修行という名の現地有人ドローンで、出た場合でも名前からFHのペンネームで通している。じゃあ、俺の名前を知ってるって誰だよ。待てよ、考えろ・・・たぬき?たぬっ・・・



『嘘だぁ』

『何がよ。何発か殴った方が良い?』



 彼女の顔が記憶に被る。だがそれはあり得ないはず、しかし荒くなった言動はかつてのそれを思い出す。しかし彼女は14年前に地元で死んだはずで・・・



『・・・たぬき。渡来から【た】を抜けば笑いになるから』

『は?』



 今度は彼女が固まった。こっ恥ずかしく、そして俺にとってずっとトラウマになっている言葉。しかしこの反応、間違いない。じゃあ・・・



『天音、なのか?』

『嘘でしょ』



 この話は幼い頃の話で、お互いしか知らないはずだ。言いふらすような内容でもない。名前やこれまでの経歴に対してならともかく、カヴァーストーリーとして利用される筈がないのだ。そもそも、彼女が病院に訪ねてくるかも確かではない



『ちょっと、頭痛がしてくるんだけど』

『気が合うな、俺もだ』



 なんだこれ、どういう事だよ。死人が目の前にいる。頭の整理がつかない



『とりあえず銃は下ろしてくれ、オチオチ冗談も言えない』

『・・・あんた、東亜青年協力隊に行った後、風土病にかかって死んだって聞いてたし、骨になっての帰国だったから確認しなかったけど葬式にだって行ったのよ!?一体どういう』



 今度は天音側が捲し立てる番だった。銃は下ろしてはくれたが、殴りかからんばかりの剣幕だ。しかし、葬式だぁ?ってか、なんだよ東亜青年協力隊って



『俺が行ったのは青年海外協力隊。なんだよ、俺だって言わせてもらえば天音だって死んだはずだろう!?それがまあこんな元気に海外で。で、自衛官になったのかよ。銃なんか持ってさ』

『はぁ?さっきもそれ言ってたけどなによじえーかんって』



 どうにも話が噛み合わない。さっきから違和感が気持ち悪い。吐き気がする



『わりぃ、ごみ箱かなんかある?吐きそう』

『わ、わ、待って待って!あるから、はいこれ』




 渡されたごみ箱を抱き抱える様に持って、吐き戻す。胃の中にあまり何もないのか、吐瀉物に機内食の残骸もない。吐き気だけがこみ上げてくるのを、耐える。その背中を見かねた天音がさすってくれる。その手は優しく暖かい



『天音、今、仕事は何してるのか、所属含めて言ってみてくれ』



 俺の感は、こいつが嘘を言っているようには思えなかった。だとすると、最初からきちんと話を聞かなくちゃならない 



『渡来天音、大日本帝国海軍駐泰武官補少佐』



 だいにっぽんてーこくかいぐん?ゲロ袋入れとなったごみ箱を脇に置き、天音は姿勢を正してそう言った。どういう事か、さっぱり意味がわからない。それは俺の知る大日本帝国海軍で良いのか?あの戦争で無くなったはずの。意識を強く持とうと思ったそばから意識が再び遠くなりかける。状況的に考えれば、恐らく異邦者は俺の方だ



『・・・天音、おそらく俺は君の知っている衛府英和じゃない。君が居ない世界から来た俺だ』



 そして、俺はただの一般人なんだ。狂えるならば狂ってしまいたいが、理性がそれを否定している。これは俺に与えられた罰で地獄なのか?

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