11 予期しない横道



 文化祭まであと二日。

 映有はシュウと出掛けたスーパーで発注を済ませており、仕入れ担当は当日まで仕事がない。当日の食材は楢崎たちが取りに行くことになっているし、映有の仕事はもう終わっているも同然だ。


 ここ数日、放課後の教室では、外装チームが木材で看板を作ったり、内装チームがテーブルクロス、衣装チームが前掛けを縫ったりしている。受験勉強を忘れ、ワイワイと楽しんでいる姿を尻目に映有は図書館へ向かう。


「田中さん、今日は塾だっけ?」

 土間で、シュウに声を掛けられる。


 この前、駅ビルで買ったボディローションは、持ち歩いているにも関わらず、渡すタイミングを逸したままだった。

 教室でクラスメイトの前で渡すには気が引けたし、かと言って、シュウを一目のない場所に呼び出すなどといった度胸もなかった。

 むしろ、ちょっとした焼き菓子程度のお礼にしておけば、一目も憚らず渡すことができただろう。かすみと共によくわからないテンションで、ラクスタンで選んだことすら後悔した。

 渡しそびれている罪悪感から、この数日間、何となくシュウを避けてしまう傾向にもあった。


「あ、今日は… 塾じゃないよ。今日は、図書館に行こうかな、と」

「月曜だったっけ… 塾」

 シュウは、軍手に木材を持ったまま答える。


「うん」

「数学、順調?」

 リストアップされた問題集に手をつけ始めたことは伝えたが、それ以上の話はしていない。避けていたから当然だ。


「… どうかな。手応えはそうすぐには… 難易度、星が五個ついてる問題とか、さっぱり手につかないのもあるし… 」

 会話まで避けていたのは、間違いだったと反省し、うしろめたくなる。そもそも、感謝の気持ちを伝えたくて、お礼を用意しているのに、それを渡すタイミングがないからといって、接触を控えるのは本末転倒だ。

 心配して、手助けしてくれようとしている相手に対して失礼である。ますます、居心地の悪さが拡がる。

 

「今日、一緒にやる?」

  

 時間を取らせて申し訳ない、これ以上借りを増やすわけには、という気持ちと、それなら、リュックに眠るラクスタンを渡す時間ができる、という二つの考えが頭を過ぎる。

 確かに、間違えたところを分析して、次に何をするべきか一緒に考える、というところまでが、シュウの提案だった。問題集をやるだけじゃ、ダメだと。


「頼んでいい?」

 恐る恐る、シュウを見上げると、当然という表情だ。ここ数日、ろくに話し掛けもしなかったことなど、気にしていないようだった。

「じゃあ、小一時間で図書館に行くから、先に始めてて」

 シュウは、木材を抱えて中庭を見やる。中庭では、シュウと同じ外装チームがノコギリで板を切っている。


「うん、じゃあ、また後で!」

 シュウは頷くと、足早に中庭に去って行った。




   §




「これ、この細い角材をさらに半分に切りたいの」

 映有は外装チームの紅一点、ゆうきに捕まっていた。

 中庭を過ぎって、駐輪場に行こうとしたところ、ゆうきがノコギリ片手に、木片と孤軍奮闘しているところに遭遇したのだ。


「え? これを半分?」

 ゆうきが手に持っている木片は手や足で押さえるところもないほどの幅である。


「外装チームの男子は、木材運びで出払っててさ… 私、17:30から塾だし、どうしようかと… エーユー、足で、ココ、踏んでてくれない?」

 ゆうきは、木片を指差す。


「いやいや、二人でやると余計危ない。私、やってみよっか?」

 ゆうきからノコギリを借りる。

 足で木片を押さえてみるが安定しない。


 左手で木片を押さえつつ、右手でノコギリを往復させた。




 次の瞬間、左手から血が吹き出るのが見えた。

 ヤバい、と本能的に感じ、左手を心臓より高くあげる。

 声など出なかった。


「キャアー!!」

 隣にいるゆうきが悲鳴をあげる。


「エーユー、水道!あらおっ!!」

 ゆうきが、映有の肩に手を掛ける。


「これ、水で洗うレベルじゃない… ゆうきちゃん、医務室、先生居るか、見てきて… あ、スカートのポケットからハンカチ出して!」

 ゆうきは映有のスカートのポケットからハンカチを取り出し、手渡すと、医務室に駆けていく。


 ハンカチがみるみる真っ赤に染まるが、映有もゆっくり医務室に向かう。医務室に先生が居なければ、職員室に行くしかない。医務室と職員室への分岐となる通路でゆうきを待つことにする。



「ああ、さいあく… 」

 呟いた時、木材を運ぶシュウに出会した。


「… え… 怪我? 血… 」

 シュウは手に持っていた木材を足元に置くと、映有に駆け寄ってくる。


「ノコギリで、やっちゃった… 」

「医務室、行こう!」

 左手の手首を押さえる映有の右手の上にシュウが手を重ねる。怪我の場所を確認しながら、止血するのに映有の握力じゃ話にならない、などシュウが呟くが、映有にはどこか遠くで起きている出来事のようだった。



 その時、ゆうきが全速力で医務室から戻って来た。

「先生、居る! エーユー、医務室行って! 私、エーユーのカバン、持ってくるから!!」


 ゆうきは、映有の横を駆け抜け、中庭に戻っていく。


「右手、首に回して。抱えて行くから」

 シュウは少し屈むと映有の右手を自分の肩に回す。


「あ、足は平気、歩けるよ… 」

 歩けると答えたものの、大量の血を見たせいか、足は震えていた。

 シュウは映有の返事などお構いなしに、映有の膝の裏に手を入れ、抱え上げた。


「医務室までの階段で怪我したら、困るでしょ?」

 動転した様子だったシュウはい落ち着いたのか、低い小さな声で映有に話し掛ける。

 さすがに重いだろう。少しでも、抱えやすいようにと、映有は右手でシュウの首にしがみついた。いつもより視線の高さが上がったが、落ちそうな気配など微塵もなかった。




 医務室に着いてからは、あっという間だった。そのまま、養護教員の車で近くの整形外科に連れて行かれ、診察から処置まで流れ作業のようだった。

 左手に包帯を巻かれ、処置室を出ると、待合室に映有のリュックを持ったシュウが座っていた。


「あ… ごめん… 待っててくれたの?」

 あっという間だと思っていたが、窓の外は日が翳っている。時計を見ると、学校を出てから一時間半は経っていた。


「荷物とか持って来た。羽田さん、用事あって来れないみたいだったから、代わりに。謝ってた。田中さんに頼んだ自分が悪かったって」

 シュウがリュックをどけた場所に映有は腰を下ろす。


「ありがとう。ゆうきちゃんに悪いことしちゃった。私の不注意なのに、気を揉ませちゃった。シュウくんにも… 迷惑かけて、ごめんね。ありがとう」

 シュウは首を横に振る。


「いや… で、何針縫ったの?」


「五針。初めて縫った… 神経は、切れてないって。こんな切り方して、神経が無事なのは奇跡的、って言われた」

「ま、そうだろね。手の甲なんて、神経だらけだしさ、不幸中の幸い」

 包帯を巻かれた映有の手は痛々しい。


 養護教員は支払いなのか、保険の手続きなのかで窓口からなかなか戻って来ない。


「… 図書館に行ってると思ってた。血だらけで歩いて来るとは… 」

「ごめん、待っててくれてありがとう… 」

 麻酔のおかげで痛みもなく、傷口もきれいな包帯で巻かれた状態になり、冷静さが戻ってくる。いや、ずっと冷静なつもりだったが、人生で一番大きな怪我だ。ノコギリを引いた瞬間を思い出し、身震いした。


 だくだくと血が流れている状態で、水道で洗うと言ったゆうきも相当、混乱していたのだろう。

 その後、シュウにしがみついて医務室へ向かった。

 言葉通り、しがみついて、だ。今更ながら恥ずかしさが込み上げる。人目はあったのだろうか。全く記憶にない。


「今日は… 約束してたし… 先に帰っても、心配なだけだし… 」

 シュウの言葉で我に返り、シュウの方に顔を向けると、ふわりとゼラニウム、微かにシトラスの香りがした。しがみついた時に嗅いだ香りと同じだった。


「もう、大丈夫。先生が車で送ってくれるみたい」

 顔が火照るのを感じながら、邪念を振り払うように答える。


「そう… じゃあ、お大事に… 今日はゆっくり休んで。勉強もナシ」

 シュウはそう言って、膝の上の映有のリュックに手を掛ける。

「うん… 」

 ふわついた心を落ち着かせれば、先ほどの返事がとてつもなく、冷たいような気がする。彼は、帰り支度を始める。


「待って」

 ここまで付き合ってくれて、世話をしてもらって、もっと、何かあるだろう。恥ずかしがっている場合ではない。伝え切れていないのは、感謝の気持ちである。



 感謝の気持ち



 映有はシュウからリュックを受け取ると、リュックの中で皺のついた紙袋を取り出した。ちらりと、養護教員の方を見るが、まだ時間は掛かりそうだ。


「え、っと… 今日の、じゃなくて、いろいろ… お礼。渡すタイミング、よくわからなくて… 袋、シワシワになってて、ごめん。今日もありがとう。今日のお礼は、また… 別の形で…」

 言いながら、よくわからなくなる。

 伝えたいのは、今日の感謝の気持ちだが、紙袋は今までのお礼だ。


「え… ありがとう。嬉しい」

 シュウは、映有の辻褄のおかしな話は気にせず、笑顔で袋の中身を取り出し、手を止めた。


「これ、僕のと同じ香りだ。知ってて選んでくれた?」

 驚いた顔をしているが、笑っている。嫌そうではない。呟くような優しい声だ。

 シュウと話をするようになってから、彼の普段の話し方と、二人の時の話し方が少し違うことに気がついた。他の誰かと二人で話しているのを聞いたことはないが、大勢で話すときのように声を張らない話し方は、素の状態に近いのだろうと思う。


「… お店で気づいた。同じなら、嫌いじゃないかな、って… 」

 そういう話し方をされた時は、映有も敢えて声を張るのを止める。


「うん。気に入ってる。ありがとう。使う」

 想像以上に素直に喜んでくれているシュウに対し、逆に目を合わせ辛い。二人でぼそぼそと話しているこの状態は、病院の待合室という公衆の場で異質なのではないかと、何かを取り繕いたい気持ちになってくる。


「… 懲りずに… また今度、数学教えて」

 数学の話だけではない。イヤホンカバーに始まり、バスで送って貰ったり、仕入れの下見、数学、怪我の付き添い。どれにも感謝しているし、これからもよろしく、なのだが、何をよろしくなのか、言葉が見つからない。"誠意ある、相互信頼に基づいた友人関係" にしては、映有は一方的に面倒を見てもらい過ぎている。


「ああ… 今日は勉強を休むにしても、明日からはやるでしょ? 明日はどう? 痛くて勉強にならない、って言うんじゃなければ… 」

 シュウの口調が平常運転に戻った。


「うん、じゃあ、明日。サボっていられない」

 映有も声音を平常運転に戻す。

 

「明日は… ノコギリで手を切る前に図書館に来てくれる?」

 何を言ってるのか、とシュウを睨みつけると、目が笑っていた。


「もう! 一生ノコギリは使わないよ!」

 当分、刃物は懲り懲りだ。包丁を持つ気にもなれない。

「それなら、安心」

 シュウは立ち上がると、待合室を出て行った。



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言葉の狭間に生まれる恋 細波ゆらり @yurarisazanami

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