09 下心に満ちた脇道
「かすみ、決まった?」
放課後、映有とかすみは駅ビルの書店に来ていた。
シュウの分析に基づいて、映有が復習すべき数学の単元が洗い出され、おすすめの参考書と問題集がリストアップされて優先順位がつけられていた。本屋に行くと言ったら、かすみもついて来たのだった。
今更、教材を買い足すのは悪手だとは思いつつ、頻出単元の正答率に安定感がないことは致命傷になりかねない。元々、数学は得意だと思っていただけに、参考書は買ってすらいなかったし、問題集は評判のいいものの内、内容を精査するでもなく、最も安いものを選んでいた。自業自得と言えば、自業自得だ。
手元の赤本を捲りながら、かすみが答える。
「あ、私、赤本の立ち読みだけだから、買わない」
「え? それ、進路室で赤本見るだけでよくない?」
「嫌なの。同級生だらけの中で立ち読みしてると、アイツ、あの大学受けるんだ、みたいな視線に晒されるじゃん」
かすみはパタンと本を閉じると、棚に戻した。
「まあね… 私もママゾンで注文してる」
二人で顔を見合わせ、声に出して笑う。
「数学? それは、ママゾンじゃないの?」
「うん、今日欲しかったから… 」
はっきり説明しにくく、後ろめたさで歯切れが悪い。
「ふ〜ん」
リストを握りしめている映有の手元にかすみの視線が止まる。
「なんか、コソコソと白鳥とやってたのは、それか!」
映有がメモを見せると、かすみが笑う。
「そこらへんの家庭教師より、出来る男だな。どうやって、あの白鳥にここまでやらせたの?」
「ん?」
かすみの質問の意図を図りかねた。
「顔は整ってるのに、人って言うか、特に女に塩対応じゃない? 冷徹? 冷酷? 非情?」
腕を組んで、首を傾げるかすみ。
「そこまで?!」
塩対応、というのはわからなくもないが、冷徹、冷酷というほどでもない。
「そうよ」
かすみが言うには、過去に何人か彼に告白した女子がいたが、"あなたのことを知らない"という理由で断られた上、知り合うためのコミュニケーションも拒否されたらしい。
「… そう言いそうだね、悪気もなく… 」
普段のストイックな勉強ぶりを見れば、恋だ、愛だと騒ぐタイプには見えない。いろいろと無頓着なところはあるが、それも注意を払いたいところと払いたくないところが明確に線引きされているからだろう。
「そんな、白鳥が! ハルには甘いんだね。ふふ」
かすみは楽しそうに笑う。
「甘やかされてないね、むしろ、かなり厳しく指導されてる。コレ、解いたら、どこを間違えたか、報告するように言われてるぐらい… 」
手の中の、乱雑な字のメモを見ると、そう言った時のシュウのくそ真面目な顔を思い出して、笑いが込み上げてくる。
「まんざらでもないじゃん!」
ほんの少しの疾しさが、かすみの勘繰りを誘引したようだ。
「そういうんじゃないってば… 誠意ある、相互信頼に基づいた友人関係を育んでる。今は、私、自分のやるべきことに集中したいし」
「何それ… 芸能人の記者会見かっ」
「プライオリティにブレのない、いい友達になれそう、って意味」
「プライオリティ、ね… 」
かすみは口元を緩ませる。
「とりあえず、アイツの
§
「ただいま… 」
映有の親は仕事で帰りが遅い。誰もいない家でさえ、ただいまと言うのは、小学生の頃から、
「おかえり〜! 早いじゃない! 私も今日は早いの」
家の奥から、母の声が返ってくる。
「あ、おかえり!」
いつもは図書館か塾の自習室に寄って帰るため、確かに早い。
紙袋を持つ左手を見やる。買い物をして、遊んで帰ってきたと母に嗜められるだろうか。
母の居るリビングに入る前にリュックを下ろし、紙袋を隠すように持ち直した。
リビングの戸を開けると、母は珍しく料理をしている。話題を振られる前に、別の話題で誤魔化す戦法だ。
「平日に料理、珍しいね、何作ってるの?」
キッチンのカウンターに近づき、手元を隠す。
「酢豚よ。すごく食べたい気分だったの。時間できたし」
「ありがと!楽しみ!」
そそくさとカウンターを離れ、自分の部屋へ向かう。
「ね、何買ってきたの?」
背後から、声が掛かる。
「えっ… と、ラクスタンの… ハンドクリーム」
「珍しいわね。いつも、ネットで注文してって言うのに… 」
お小遣いの節約のために、ママゾンを使い倒しているのは、母も承知だ。笑って誤魔化し、自分の部屋に駆け込んだ。
駅ビルでさんざん悩んだ末、"
普段使っている香水と同じ香りのボディローションなら、邪魔にはならないはずだ。
そして、同じ香りのハンドクリームを自分にも買った。衝動的に。
「… 試してみようかな… 」
制服を脱ぐより前に、紙袋に手を掛ける。
ハンドクリームの蓋を開けると、ふわりとシュウの香りが漂う。
「あ、これ… 」
夏休み明けの実力考査の後、自転車を置いてバスで帰って来たことを思い出す。バスの中のまどろみの間、この香りに包まれていたのだ。シュウにバスで帰るよう言われ、バスに乗った朧げな記憶はある。不鮮明な記憶を辿ると、家まで付き添って貰ったような気もする。
「え?」
額に汗が滲む。
「… ヤバ… 」
覚えていないほどに、具合が悪くなり、覚えていないばかりに礼らしい礼もしていない。
記憶を呼び覚ましたそれを慌てて引き出しにしまい込んだ。
思い出したとて、今更お礼を言うにはタイミングを逸している。むしろ、思い出さない方が良かった。
ブブッ
あたふたしているとスマートフォンが振動する。
ーーーーーー
かすみ: 今日は楽しかった!私たちには、たまの息抜きが必要(star) アイツがどんな顔で受け取るか興味津々(A pair of eye)
ーーーーーー
ーーーーーー
映有: こちらこそ、付き合ってくれてありがとう(heart)
ーーーーーー
ひとまず、無難に返事をする。
数学のお礼だけじゃない。家まで送ってもらったことも、きちんと謝意を伝えるべきだ。
渡したら、どんな反応をするだろうか。ありがとう、と笑顔になるのか。そんな直接的な表現をするのは想像できない。男友達といる時には笑っているのを見るが、大抵は真面目な顔つきでいる。
真面目な顔つき? 映有とのコミュニケーションは、言葉だけではない。視線の動きや、表情で気持ちや考えを伝えてくる。クラスメイトたちには見せないような表情で。
ーーーーーー
映有: きっと、ぶっきらぼう(grinning face with sweat)
ーーーーーー
かすみのメッセージの後半部分への返事を打ち込んだ。
ブブッ
ーーーーーー
かすみ: ま、それが、アイツの平常運転(woman shrugging)
ーーーーーー
映有: (laughing)
ーーーーーー
どんなリアクションをするのか、早く見てみたいという気持ちと、平常運転だったらガッカリするという気持ちが入り混じる。
普段見せないような顔を見るなら、クラスメイトのいない時に渡した方がいい。映有はそこまで考えると、スマートフォンを机に置く。
それでは、まるでシュウが普段見せない顔を映有が見たがっているようではないか。それを期待すること自体、おかしな感じがして、考えるのをやめた。
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