07 回り道のような近道



 教室を出る前に、シュウをちらりと振り返ったが、映有の視線に、軽く頷くだけだった。


「ハル、駅まで、一緒に行く?」

 かすみがリュックを背負いながら振り返った。


「あ… 今日は、図書館行くから… 」

 シュウに言われて、図書館に行くことにしたとは、かすみには言いにくかった。明確に誘われたわけでもないし、約束したわけでもない。


「そっか。じゃあ、とりあえず、下まで行こ」

 かすみと並んで、教室を出る。



「… ハル?」

 喋っていたかすみが、映有の腕を小突く。


「… え? セカンドピアスの話でしょ?」

 確かに、かすみの話を上の空で聞いていた。慌てて、話題に戻る。


「… そうそう。ハルはチタンにした?」

 かすみは、受験勉強に喝を入れるため、夏休み前にピアスホールを開けた。校則が緩く、体育の授業の時は外しなさい、ぐらいのことしか言われないため、クラスでも三分の一ぐらいはピアスをしている。年配の教師の中には嫌味を言ってくる人もいるが、あくまで嫌味のレベルだ。


「私、最近は、チタンポストだよ。多分、金属アレルギーな気がするし… 」

 映有は、一年生の秋にピアスを開けた。


 当時、映有を好きだという同級生がいた。友達付き合いから始めよう、ということになり、時折、学校帰りに一緒に過ごしたりしていた。クラスも違うし、話したこともなかったからなのだが、相手との温度感の違いは簡単には埋まらなかった。それに映有がくたびれた頃、相手も同じようにくたびれたのだろう。次第に誘われることもなくなり、何となく疎遠になった。そして、疎遠になった頃から、その相手は他校生と付き合い始めたと噂に聞いた。


 何だか失礼な話だった。相手を知ろうという努力はしたのだ。終わりなら終わりで、一言告げて欲しかった。

 それに、映有がフラれたように噂する人もいた。


 その時、衝動的にピアスホールを開けた。

 母には、風水的には余計に運気が下がると突っ込まれたが、もやもやとした怒りを、耳元に輝くピアスで癒した。


「あ、そう言えば、一時期、耳が化膿する、って言ってたもんね… そういうことだったか… 」


 かすみが手渡したスマートフォンを受け取る。かすみが話していた通販サイトの商品画像をスクロールする。


「あ、コレ、いいね」

 学校で禁止されていないとは言え、悪目立ちするデザインは選べない。

 スクエアにカットされた小粒のクリスタルがついたもので、バックキャッチがパールのピアスだ。かすみにスマートフォンを返した。


「お揃いで買わない?」

 ざくざくと画像を横スクロールしながら、かすみが言う。

 映有は夏休みに母に買って貰ったヒマワリのピアスをしている。惰性で夏仕様のピアスを着けていたが、そろそろ、小ぶりのピアスに着け替えようと思っていた。


「買う。かすみ、何色がいい?」

 2,300円。ちらりと見た値段とお小遣いの残高を頭の中で計算する。冬用の洋服代に取っておきたいところだが、友情を形にするのはプライスレスだ。服は母を買い物に連れ出せば、別予算で何とかなるはずだ。

「水色かな」

 かすみが選んだのは、かなり透明に近い水色だった。


「いいね。かすみっぽい」

「これにする。ハルは?」

 かすみのスマートフォンがまた映有の手に渡される。


「… そうだなぁ… ピンク?」

 ベビーピンクと、紫に近い発色のよいピンクの二つを見比べながら、横スクロールを繰り返す。かすみに合わせるなら、淡い色にするべきか。

 


「紫っぽい方が、ハルっぽい。でも、どっちも似合うよ、きっと」

 かすみらしい言い方だ。青みの強いピンクのピアスを映有が好んで付けていたのを覚えているに違いない。ベビーピンクのようなパステルカラーを映有が苦手にしているのもかすみは知っている。


「かすみが薦めるのは、こっち?」

 ビビッドな方のピンクを指差す。

「そうだね… こっちは間違いなく似合うはず。でも薄い方もいい。私とお揃い、っていう理由がなければ買わなそう。着ける理由が、お揃いだからって理由だけなんだったら、使い慣れた色にした方がいいけど…」

 かすみは、映有の耳を覗き込むと、きっと似合う、と呟いた。


「薄い方にする」

 お揃いだからという理由だけではない。かすみがこの淡いピンクが映有に似合うと思っているということが、映有には重要に思えた。かすみのいいところは、好みが違いところも受け入れて押し付けないところだ。それでいて、映有にたまには型を破ってみたらと促してくれる。


 かすみはニヤりと笑うと、スマートフォンを取り戻す。

「OK! じゃあ、配送まで暫くお待ちを!」

 かすみは手早く画面をタップして、注文完了の文字を見せる。



「ありがとう。P-pay で送金するから、送料と合わせて金額教えてね」

 自転車置き場の前で立ち止まり、かすみに別れを告げようとする。


「待って… ハル、図書館ってさ… 待ち合わせ?」

 かすみの顔が隠しごとは許さない、と言っている。


「うん… ってほどのものではないけど… 」

 約束はしていない。


「… 楢崎と?」

 かすみが一歩詰め寄る。


「え? 楢崎?」

 想定外の名前にぽかんとする。


「違ったか… ほら、例の取り巻きたちが、楢崎とハルが内緒話してるのを妬んでたからてっきり… 」


「あぁ… アレね… アレは関係ない」

 楢崎の受験の話のことだろう。かすみにであっても、内容は言わない方が良い。


「じゃあ?」

「えっと… 白鳥くんが数学教えてもいい、みたいなこと言ってくれたから、私も図書館行こうかな、と」

 正確には、そんなにはっきりとは言われてない。全然、言われていない。


「へえ。あのガリ勉、いいとこあるじゃん」

 かすみは屈託なく笑うと、引き留めてごめん、席なくなるから急ぎな、と言って、手を上げる。


 はっきり言われていないけれど、行っていいよね、とむしろかすみに訊ねてみたいぐらいだった。しかし、颯爽とかすみは去って行く。


「バイバイ… 」

 行っていいよね… 何となく言いそびれた言葉を呟いた。






   §




 半信半疑のまま、図書館に来た。自習室の扉を開け、勉強する学生たちの背中を眺め、シュウを探す。

 どの部屋も、席は満席に近く、三人掛けの真ん中だけが空いている。知らない人の間の席に座るのは気が引ける。


 諦めて帰ろうと、最後に訪れた部屋を出た。



「田中さん… 」

 廊下を歩いていると、呼び止められる。振り返ると、シュウだった。


「あ… 席、なくて… 」

 来て良かったのだろうか。誘われたわけでもない。いるから、と言われて来てみたものの、よくわからなかった。


「僕の隣、使う?」

 シュウはそのつもりだったような顔である。

「あ、うん」

 彼が指差したのは、二番目に映有が覗いた部屋だった。



 さっさと自習室に入ろうとするシュウのシャツを掴んで、足を止めさせた。

「あの… 教えて貰いたいことがあったら話しかけていい?」

 確かめておかないと、接し方がよくわからない。あの言い方は、お誘いだったのか、事実の伝達だったのか、はっきりしない。

 

「… いつでも、話しかけて」

 得意げな顔で映有を安心させようとしているのがわかる。

 

「ありがとう。よろしくお願いします」

 映有は頭を下げる。

 シュウは、自習室の扉を開けると映有に先に入るように促した。







 静まり返った自習室で、どうやってシュウは映有に数学を教えるのだろう、と思ったが、筆談とアイコンタクトで意外とスムーズに行った。解けた問題に対して、効率のよい解き方を学ぶのは映有にとって有り難かった。

 しかし、問題の難易度が上がるにつれ、どうにもならなくなり、図書館のロビーのベンチに移動した。


「ああ… ダメだ。今日はもう何を聞いても頭に入ってこない… 」

 完全にオーバーヒートした。脳内でシュウの言葉が上滑りする。

「うん。疲れただろうし、終わりにしようか… 基本は身についてるから、変化球みたいな問題が来た時に、アプローチを間違わなければ、時間食わないで済むはず… 」

 自信を失くした映有に、シュウの慰めはありがたかった。


「ずいぶん、私に時間使わせちゃった。ごめんね」

「いや、自分の頭の整理にもなるから丁度いい」

 本当にいいのだろうか。映有には、他人の勉強に付き合う余裕はない。


「大丈夫だよ。そもそも、普段、図書館来て、集中切れたら、本読んでるか、昼寝してるぐらいだから」

 昼寝してるとは驚きだ。

「昼寝すると、夜、家でできるし…」

「いや、それじゃ、貴重な睡眠時間削らせてない?」

 どちらにしても、彼に負担を掛けている。

「自分のペースは崩さないから大丈夫」

 シュウは頷いているが、当てにならない。


「ありがと… また、教えてね」

 思いの外、お人好しなのかもしれない。頼る度合いは、映有がコントロールすべきだと感じる。


 今日はお終い、と言うと、二人で立ち上がった。

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